第124話 恋の病
「あ、あんたは……」
「見たらわかるが術士や。すまんな、そいつぶっ飛ばしたら兄ちゃんも吹き飛んでもうてな。微妙な力加減は苦手でなァ。カカッ」
この人のおかげで助かった……のか。でも待て。きっとまだ奴は死んでない。
「まだ……生きてるかもしれない。気をつけろ!」
「おいおい。無防備なまま吹き飛ばしたんや、流石に生きとらんぜ」
ゆらり、と炎の向こうで見知らぬものが動く。こちらに向かって石畳を踏み、歩み出てくる。
見知らぬもの、という表現はこの場合正しい。人と形容するにはそれはあまりに異形だったからだ。
「う……」
立ち上がり距離を取る。水塊はある程度の射程距離があるのがわかっている。遠くにいればすぐには捕まらない。
炎から歩み出たのはかろうじて人の形を保つまさに肉の塊。
手足と頭部がかろうじて判別できるだけで、ぶよぶよした赤い肉塊だ。それが、歩く。
「なんやこいつ、いや、コレは……?」
肉人形は小刻みに膨張と収縮を繰り返し、目にも留まらぬ速さでより人に近いシルエットに収束する。
露出した筋繊維が皮膚に覆われ、歯茎は唇に、眼球はまぶたに覆われる。頭部から紫がかったような髪が長く伸び、地面近くまで垂れ下がる。
杖だけを持った裸の少女、アガニィが立っていた。
「あぁ……熱かった。焼けるのもいいね。血管や内臓の中までも炎が舐って、アガニィを体の隅まで蹂躙するの……。あたしの存在が激しい苦痛と一緒に別のものに変化していく感じよ」
一糸まとわぬ自分の体を両腕で抱えるように、頬を染め蠱惑的に悶える少女。地面に届きそうなほどの長髪の合間から黄色い瞳がこちらを見ていた。
「こいつが一連の騒動の主犯」
「ああ。奴が住民を殺して回ってる狂人……」
「えらい騒ぎや思て出てきたが、頭のいかれたガキとはな」
エアルの少女だ。まだ15にもならないだろう。どこか幼さを残す容姿。
しかし身に纏う雰囲気はとても子供とは思えない危うさを感じさせる。
惜しげも無く自らの肉体を晒す少女だが、その身体に若さ特有の瑞々しさを感じることはない。
血色が悪く全身の肌は腐ったように緑がかっている。
「服が燃えちゃった。恥ずかしいけど、おにいさんにならアガニィのハダカ見られてもいいよ」
「……ごめんあんまり好みじゃない」
「えーん……。アガニィふられちゃった。全部曝け出したっていうのに」
臓器まで見せるのはやり過ぎだ。
「……でも失恋の痛みも、やっぱり悪くな——」
「俺を忘れんなよ。灼きつくせ『火焔』!」
ストルキオの術士が問答無用で放った火球を、アガニィは水塊を生み出し防ぐ。
中空に現れた水の塊に着弾した火球はじゅっと白煙を立てて消えてしまう。
「ちっ」
「ちょっとぉ、鳥のおにいさん。お話の邪魔をしないでよ?」
「水術士か。相性が悪ィ。しかもなんやあの再生能力。確かに全身灼き尽くしたはずや」
「こいつは心臓を貫いても首を切り落としても生き返るんだ……!」
「ホンマに人間なんかよ?」
「少なくとも見た目は。いや、……どうかな」
正直、肉体的にも精神的にも人とは思いたくない。どちらも常軌を逸している。
「その再生能力、アイン・ソピアルの類いか」
「うふふ、わかるんだ。そうよ、これは私のアイン・ソピアル『恋の病』の力。この力が私に無限の痛みと最高の苦痛を与えてくれるの」
「…………」
アイン・ソピアル。聞いたことがある。どこで知ったのかは忘れたけど……。普通の波導術とは全く異なる系統の強力な波導の力、だったはずだ。アガニィはその力で不死身の体を得ているというのか。
「なら話は簡単や。塵も残さず消し去ればええ」
「私、水使いだよ? おにいさんの炎でできるのかな。死んでみるのも興味あるけど……、その前にちゃんとお仕事しなきゃ。お姉様たちに怒られちゃう」
「残念やがお前はここで終わる」
「うふふふふっ……。もしかしたら、鳥のおにいさんが私の探している人なのかしら? だったらちゃんと確かめなきゃ」
アガニィは赤毛のストルキオに標的を移したようだ。屋根の上にいる彼に向けて杖を構える。
「危ない!」
「?!」
ストルキオが飛び退いた瞬間、彼が立っていた場所にボコンッと水塊が現れる。
勘だったが、水の射程もある程度融通が利くらしい。どこにいても全く油断できない。
彼は屋根から広場へ降り立ち、油断なくアガニィに向けて杖を構える。
「ここまで届くか」
「あいつは自在に水を生み出せる。気をつけてくれ」
「なるほどな。どうもただの水術士ともちゃうな。奇怪な奴め。それにあのツラ……気に入らんな」
ゆっくりと俺たちとの距離を詰めてくるアガニィから後ずさる。
近づくのは殊更危険。さっきのように光の剣で攻撃をしかけるのは無謀。かといって遠くから撃っても致命傷にはならない……、俺にできるのは彼を援護することくらいなのか。
ストルキオが地面を蹴って高く飛び、再度出現した水泡を避ける。
「灼熱の尾、捕えろ——『炎鞭』」
空中で詠唱し、杖から発生した炎の鞭がアガニィの肌に直に巻きつく。
「あああぁっ! 熱い、熱いよぉ。あは、あはははっ!」
常人であれば身体を拘束する灼炎に巻かれた時点で高熱にパニックになるところが、あろうことか奴はその状態でさも楽しそうに嗤う。
「気色悪りィ」
「叛逆の弓、『アンチレイ』っ!」
すかさずアガニィの頭部を狙いリベリオンを放つ。光の軌跡は側頭部を貫き、アガニィの頭が大きく横に振れる。
頭を攻撃すれば死なないまでも一時的に思考能力は奪えるはず。さすがに破壊された頭脳で集中することはできないだろう。
「炎獄の檻——、罪人をその業火で焼き尽くせ。『炎監獄』」
杖から噴き出した炎のうねりが炎鞭の軌跡を辿って、激しく渦を巻きながらアガニィを包み込んだ。
奴は轟々と渦巻く火の柱の中に囚われ、完全に炎に覆い尽くされた。
「ああああああぁぁぁっ!!!!」
「そのまま塵になれや!」
炎の向こうで黒い影が燃え崩れていく。天を仰いで絶叫を上げるアガニィの頭髪と皮膚と肉が焼けて溶け落ち、骨格が剥き出しになる。
「うっ……」
壮絶な光景に気分が悪くなる。彼はこのままアガニィを燃やし尽くすつもりだ。
しかし業火の中から水が溢れ出し、炎の勢いは急速に弱まっていく。水泡が現れ、その中に全身の肌が焼けただれたアガニィの姿が見えた。
そして少女の裸体は急速に再生し、目にも留まらぬ速さで元通りとなる。
「バケモンか」
「あれでもだめなのか……」
水の中に浮かぶ裸の少女が紫色の長髪を揺らめかせて嗤う。
「ああ……気持ちいい。おにいさんの炎すごく熱くて、本当に死んじゃうかと思った」




