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スカイリア〜七つの迷宮と記憶を巡る旅〜  作者: カトニア
四章 黄昏の国
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第123話 刹那の終わり

 


 終わりのない悪夢が続いていた気がする。


 時間は泥のようにゆっくりと流れ、まるで停滞してしまったようにその動きを止めた。



 混濁した意識と感覚の中、嗅覚は異様な生臭さを感じ取る。


 暗い部屋。僅かな窓外からの明かりで辛うじてそれとわかる。

 周囲を確認したくても体が思ったように動かない。動けなかった。



 眼球だけを巡らせ窓の方を見る。窓は黒っぽい液体で汚れ外の様子はよくわからない。目を凝らすと壁にも一様にその何かがこびりついている。それはおそらく俺の体中にも。



 思考は非常に緩慢だった。


 うまくものを考えることができない。体は痺れ、頭の中も同じ。下半身は特に酷く怠い……。



 腹の上で何かが蠢いた。先ほどからその何かはそこにあった。


 ()()が動くことで初めてその重みを感じ取る。



 下腹部の上で上下に一定のリズムを刻みながら規則正しく蠢いていたそれは、俺の体に覆いかぶさるように顔へと近づいてくる。

 つと、顔にひやりと冷たいものが触れた。頬から顎をなぞるのは細く華奢な手。その手もやはり濡れていた。撫でられた部分に不快な感触が付着していく。


 顎に触れていた手は口元へ、そして口の中に指が侵入してくる。口内を撫で回すように指が這いひどく不快感を感じる。


 でもそれに抵抗するだけの力が出ない。なぜこんなにも体が怠いのだろう? 


 舌が指についた液体の味を感じ取った。これは————血だ。



 酷く寒い。視界が霞んでいく。暗闇が淡くなっていく。


 体にのしかかっているものはまるで氷みたいな冷たさだった。


 そこをどいてくれ。————寒いんだ。



 世界が徐々に淡い闇に閉ざされていく。全ての終わりは目の前にあった。


「うふ、ふふふ……」








 ♦︎♦︎♦︎♦︎




 目の前でアガニィの根元から吹き飛んだはずの右腕が急速に再生していく。


「ねえ」

「…………っ!?!?」

「アガニィ、おにいさんに惚れちゃったみたい。……だっておにいさんならあたしにもっと苦しみを与えてくれるでしょ? ほら、もう痛いの消えちゃったもん」

「…………」

「怒られちゃうかもしれないけど、いい。ねえアガニィともっともっと楽しいこと、しましょ?」


 黒いローブに包まれた口元が艶めかしく曲げられる。



 この光景は……。まただ。言葉、状況、全てが同じ。


 知っている。知ってるんだ。そしてこの後どうなるのかも。……わけがわからない。


「うふふふふ。今夜は楽しみ、ねぇ」


 そう、この直後俺は水泡に捕われて————。


 俺は全速力で走り、アガニィから距離をとる。周囲の温度がわずかに上昇するのを感じた。


 背後で水音。巨大な水塊から間一髪逃れ、走り抜ける。


「あらら?」


 きっとあのまま攻撃を続けても意味はない。一度状況を整理しないと。


 なんとかリッカを逃すことには成功している。犠牲者は増えてしまうかもしれない、だけど今は撤退以外の道はない。



 見えてきた十字路を曲がりアガニィの視界から逃れる。そのままさらに手近な路地へ飛び込んだ。


 暗がりで民家の壁に背中を預け、息をつく。



「はあ、はあ……」


 アガニィの腕は確かに切り飛ばした。それどころか心臓を貫いた。

 しかし奴はピンピンしているし、切断された腕は目の前で再生した。怪我をしても出血しないし、奴は本当に不死身なのか。



「でも……俺がやらないと」


 あの治安部隊の術士はきっともう既に……。この街にあいつを止められる術士なんて残っているのか。


 きっとアガニィは住民たちを殺してまわる。あいつをなんとかしないかぎりリッカやダルク、オリヴィアは……。


 俺がやるんだ。命がけで食い止めるしかない。でないと全員、死ぬ。


 武器を握る手に力を込める。この白銀の杖だけが頼りだ。頼む。俺にこの街を、みんなを守る力を。


『————』

「っ?!」


 突然聞こえた声に飛び上がりそうになる。アガニィに見つかったのかと思ったけど、そうじゃなかった。

 声はどうも頭の中に響いたらしい。


『もしかして……リベリオン、か?』

『肯定』


 杖を持ち上げる。さっきから、どうにも不可解なことが起きすぎだ。

 どうもこいつは俺の中に存在するらしい。一体いつから、どうやって……。


『お前……喋るのか。いや、今はそれより。何かないのか、あいつを倒せる力とか……、みんなを守るための能力とかが』

『肯定』

『頼む教えてくれ!』


 頭の中の何者かは、この白銀の杖に関する力の説明を始めた。力を放つ光の矢、光の剣、厄災とやらを倒すための形態。


 何を言ってるのかよくわからない。

 くそ……。こんな得体の知れない喋る杖を頼りにしてどうなるってんだ。


 通りを走っていく住民の姿が見える。周囲の様子を窺おうと壁沿いに移動した。


「そんなところにいたんだぁ。おにいさん見いつけた」

「んなっ?!」


 首がちぎれるような速さで振り向くと、向かいの建物の屋根の上に立つ黒ローブの人物が目に入った。


「畜生っ!」

「もう、全然気配もしないしここまで近づかなきゃわからないんだもの。

 響波導も使って探ったのに一体おにいさんどうなってるの。あ、もしかしてその変な服のせいなの?」


 アガニィが言うことはわからないが、今日は丈夫な作りの黒いベストを着込んでいる。

 何処で手にいれたかは忘れたが精一杯格好つけようとした結果だ。


 くすくすと笑うアガニィに杖から光を放ちながら全力で路地を走る。


 引き離して撒いたと思ったのに甘かった。振り返るな。気を抜けば即座に水に捕まる。



 力の限り地面を蹴りながら路地を走り抜ける。どうする。心臓は効かない。怪我は治る。だったら……、首を切り落とすとか。


 前方に路地の出口が見える。赤い。火の手の広がる広場の方に戻ってきてしまった。


 あそこまで逃げ切ったら建物の横に入り込み、路地から出てくるアガニィを待ち伏せる。


 石畳を蹴りつけ赤い炎に煌々と照らし出される広場に飛び出した。アガニィの視界を遮るため、建物の角を折れる。


「うっ!」


 突然耳元で水音が鳴った。そして顔のすぐ横に透明でちらちらと光を反射する水泡が出現した。速い。温度変化を感じ取る暇はなかった。


「くうううっ!」


 俺の体は前に進まない。まるで空中に出現した水塊に絡め取られるように、左肩から腕が覆われて身動きができない。


「追いかけっこはもう終わりにしましょ。アガニィちゃんがもっと楽しいこと、してあげるんだから」

「…………」

「おにいさん?」

「……らあああっ!!」


 のこのこと捕らえた俺に近寄ってきたアガニィに向かって、変形させたリベリオンの光の刃で斬りつける。


 首を狙って横一閃。もうためらいは、ない。



「あっ……」


 青い光は見事にアガニィの首を掻き切り、女の首は重い音を立て石畳に落下した。


 首が落ちたことで胴体もバランスを失って転倒し、俺は弾けた水泡から解放され広場に放り出された。



「やったのか……?」


 油断なく剣をアガニィの首なし死体へ向けながら後ずさる。



 だが次の瞬間、周囲でごぽんっと音が響き気付けば俺は水中にいた。


 水を掻きもがくが思ったように動けない。ふわりと体が持ち上げられていく。



「……うふ、うふふふふっ」


 地面に落ちて転がった首が不気味な笑い声を上げていた。厚い水の層を通しても耳障りなほどに。


「……がはぁ!」


 ゆっくりと首を絞められるみたいに息ができない。首を切り落としたアガニィがすくりと立ち上がった。



 首の断面からピンク色の腫瘍のような肉塊が膨れ上がり頭の形になる。

長い髪が伸び、消えた頭部は一瞬で修復された。


「うーん、頭がなくなるとあんまり苦しくないのね。おにいさん、もう首は切らないでね。苦痛を感じないんだもの」

「……っ!!!」



 もうだめだ。息が……。


 どうすればいい、こんな奴。心臓を突いても首を切り落としても死なないなんて。


 首に両手を当て、口を大きく開き、精一杯空気を吸い込もうとする。しかし体の中に送り込まれるのは水。



 苦しい。苦しい。苦しい。



 意識が薄らぐ。厚い水を通し、夜空にきらめく流星を見た気がした。赤くて大きな……。



 真っ赤な華が咲き、視界を覆った。同時に水の層を通して緩慢な衝撃と、鳴り響く大きな音。


 かろうじて状況を理解したのは、石畳の広場に放り出されて転がった時だった。


 俺は水泡から解放され吹き飛んだらしい。



「ごえっ……がはっ! ぐ……はっあ……」


 地面に両手をついて激しくむせ込み、肺から水を吐き出す。

大きく息を吸い込む。全身に空気が送り込まれ、窒息寸前だった体は一命を取り留めた。


 這いつくばったままアガニィの方を見上げる。広場と路地の境目は燃え盛る炎に包まれていた。



 広場で上がっている火の手とは違う。俺はさっきの爆発……、そう、爆発が起きたんだ。その余波を食って吹き飛んだ。一体何が。



「そこのエアルの兄ちゃん。生きとるか?」


 振り返り声のした方を見上げる。広がりつつある火事が暗い空を炙るように俄かに赤く染めている。

 それを背景に、民家の屋根の上に人影が見えた。


 目を凝らすと、それは赤い輝きを灯す杖を携えた、燃えるような赤毛をしたストルキオだった。


 彼は大きな嘴の端を歪めてにっと好戦的な笑みを浮かべた。












挿絵(By みてみん)

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