第120話 痛み
「ダルクは機械工見習いなんだよな」
「僕は刻印機械の武器を作りたいんだ。強い機械の武器が作れたら普通の人でもモンスターに対抗できるだろ?」
俺達は夜市を歩き回った後、足を休めようと少し離れた広場の石の段差に並んで腰掛けていた。
「意外と立派な志だな」
「僕のこと見直した?」
「うん。普通にすごい」
「にゃはは。普通なのかすごいのかどっちなんだよナトリ。お、あそこにも機械を置いてる店があるね」
ダルクは気になった店をじっくり見てきたいから待っていてくれと一人市場へ戻っていった。
足を休めつつ、夜市の華やかな様子を遠目にリッカと雑談を交わす。
「ダルクはすごいなぁ。俺なんか自分の事で精一杯だってのに」
「作った機械でイタズラしてることも多いですけどね」
「ははっ、あいつらしいや」
「さっきの占いどうだった?」
「正直、当たってる感じがしました」
「そうなんだ」
「はい。私って、すごく優柔不断で。何かを選ぶのって苦手なんです」
「さっきも何を食べるかで散々迷ってたもんね」
「あは、そうですね。いつも迷うとダルクが決めてくれるので、私はそれについていくことばかりだから」
「二人は仲がいいんだな」
「迷った時はいつもダルクに頼ってました。でも……それだけじゃダメなのかなって」
「選ばない」というのはある意味楽なことかもしれない。
あるがままを受け入れ周囲に、流れに身を任せるという生き方。
でも彼女にだって意志がある。その生き方は本当にリッカが望む形ではないのかもしれない。
「ナトリさんはどうして配達員になろうと思ったんですか?」
「俺は、加護もないどうしようもない自分でもなんとか一人前になろうって必死だったんだ。だから王都に出した書類の————……」
「ナトリさん?」
「ああごめん、ちょっと頭痛が。もう大丈夫。方々書類を出して、面接してくれたのがシロネコ配達だけだったんだ」
俺はどうして王都なんて言い間違いをしたんだろう。
全然関わりのない場所なのに。リッカが心配そうに見上げてくる。
「だから、俺の場合は志とか大層なものはない。今は自分にできることを精一杯やりたい。それしかできないからさ」
「なるほどです」
「大したことないでしょ。はは」
「いえ、立派だと思います。一生懸命マグノリアの人たちのために働いているんです。普通の人より苦労しているのに。ナトリさんはすごいと思います」
「リッカちゃん……」
リッカの優しげで円らな瞳の中に、夜市のランプの艶めいた光が映る。ふわりとした金髪が頬にかかる。
俺は彼女から目を逸らし前方の石畳を見つめた。
今更ながら、意外と俺たちは至近距離で座っていることに気づく。少しずらせば触れられそうなところに彼女の手がある。
「リッカちゃんは優しいな」
「そんなことは。ナトリさんが雨が降っても風が強くてもしっかり仕事してる姿を見ていたら、私ももっとちゃんとしなきゃって。そう思えただけですから」
「そう……なんだ」
仕事はうまくいかないときも辛い時も多い。でも、こうやって見ててくれている人もいるのか。
その人達のためになら、もっと頑張れそうな気がする。
リッカの言葉にほんのりと心が温かくなる。
こんなにいい子が悩んでいるというのに、俺にできる事はあまりに少ない。
今日の夜市で少しでもリッカの心が晴れてくれればいいのだが……。
なんとなくお互い黙り込んでしまった。
でも別に嫌な沈黙じゃない。こうして彼女の側にいるとなんだか心が安らぐ。
できることならずっとこうして隣に座っていたいような……。
「あのさ、リッカちゃん」
「はい」
「俺——」
俺の言葉は、市場から聞こえてきた悲鳴によって中断された。
「……なんだ?」
次々に上がる声。何やら騒がしい。
何か大きな物音も聞こえ、ガラスやら金属やらの割れるような音が続く。……露店が倒壊した?
「何か……あったんでしょうか」
俺たちは物音のした方を凝視するが、遠いし人が多くてよくわからない。
やがて、ここからでもわかるくらいに夜市の奥が俄かに明るさを増す。周囲が赤く照らされている。
「火事だっ!」
火の手が上がっているらしい。ざわめきに混じって悲鳴が聞こえてくる。
騒ぎのあった場所の方から住民たちが逃げ出してきたのか、こっちに向かって人波が走って来る。
「逃げろ! ここにいると殺されるぞっ!」
殺される……? 一体何が起きてる。
大きくなる騒ぎと、次々に逃げ出してくる住民を見てリッカが心もとなさげに不安な顔をする。
「ナトリさん、ど、どうしましょう……」
「何かまずいことが起きてる。俺たちも広場から離れよう」
「でも、ダルクが……!」
ダルクはどこにいる。探すべきか。
この騒ぎだ。場所も決めずに合流するのは難しい。
ここで待っていれば戻ってくる可能性はあるが……、この場に留まっていていいのか。
逡巡する合間にも悲鳴や怒号はさらに増し、炎が他屋台にも引火したのか、ここからでも燃え広がる炎がはっきり見えた。
火事だけじゃない。
殺される、とさっき逃げてきた男はそう言っていた。
何か非常にまずいことが起きてる。多分ここにいるのは危険だ。
まずリッカを安全な場所に連れていくべき。
頼むダルク、上手く逃げていてくれ……!
一際大きな悲鳴が近くで上がった。
こちらに向かって走ってくる群衆が、突然まとめて空中に浮かび上がった。
空中に浮かぶ人々は水の塊のようなものの中に囚われ、苦しそうにもがいていた。
夜市の明かりを反射して、ゆらめく水のきらめきが苦しげに浮かぶ人々の周囲を取り囲む。あれは、一体なんだ。
俺はリッカの腕を掴む。一刻も早くこの場を離れなければ。
「リッカちゃんっ!」
リッカは突然起きた非日常的な暴力と狂乱の嵐に飲まれ、足が竦んでしまっていた。俺の腕にしがみついて動かない。
彼女の両肩を掴み、顔を覗き込む。
「ここにいたら危ない、一緒に逃げるんだ!」
「は、はひ……っ!」
再び腕をつかんで走り出す。群衆と一緒になって街の大広場から続く大通りを駆ける。
「あうっ!」
「リッカちゃん!」
掴んでいた腕が離れる。リッカが石畳に躓き地面に倒れてしまう。急いで駆け寄り彼女を助け起こそうとする。
広場の方向から逃げて来た人々が次々に水の塊に囚われて浮かんでいく。
彼らは口から水泡を吐き出し、手足をばたつかせ水中で苦しそうにもがく。
悪夢のような光景が広がっていた。
その時悲鳴に混じって笑い声を聞いた。
逃げ惑う人々を追い立てるように、黒いローブで全身を包んだ人物が杖を掲げてこちらへやってくる。
こいつがこの悪魔の所業を引き起こしてる張本人か。
「もっと苦しそうにして。ぜーんぜん足りない。うふふふふっ」
ローブの人物は杖を振り回し、同時に数十人もの人間を水の中に閉じ込めていく。
もうすぐそこまで来ているが、リッカは恐怖で硬直してしまっている。
「まずい……っ!」
「おい貴様! 何をやってる!」
腰を抜かしかけたリッカをなんとか立たせようとする俺の前にエアルの男が立った。
その手には杖。治安部隊の波導術士か。
「貴様街中で堂々と……! 今すぐその住民たちを解放せよっ!」
「おじさん、せっかくのお楽しみを邪魔する気なのぉ?」
「問答無用!! 捕縛せよ、『鉄檻』ッ!」
術士の男が杖で地面を突く。
黒ローブの女の周囲の石畳から金属棒が螺旋状に突き出し、彼女を中心に絡みつくようにして檻を形成、その身動きを封じる。
「んんっ……。鉄の棒が食い込んで、いい締め付け具合……」
「磐石なる大地よ。強固なる礎となれ。――『石障壁』」
黒ローブの女が鉄の檻に囚われた直後に詠唱を済ませた男の杖が黄色い光を放つ。
今度は檻の四方から石畳がせり上がり、分厚い石の壁となって鉄檻を押さえ込むように覆いかぶさった。
「君たち! ここは危険だ。早く安全な場所に避難したまえっ」
「あ、ありがとうございますっ! 立てるか、リッカちゃん」
「は、はい……!」
あの様子では、分厚い石壁に押しつぶされて奴はぺちゃんこになっているだろう。術士が来てくれて助かった……。
「むっ……!?」
目の前で、ごぽんっという水音が鳴った。
術士の男が一瞬のうちに水塊に捕らわれ、ゆっくりと上昇していく。男は水中でもがきながら叫ぶ。
「ぐぅっ! こ、この水は……っ!」
「押しつぶされるのも悪くないけど、仕事を邪魔されるのはちょっと困るの、そろそろお別れよ」
女は何事もなかったように、地面から盛り上がった石畳の裏を回り込んでこっちに歩いて来る。
「な、何故だッ!? 押しつぶしたはずだ! ぐ、ぐあああああああッ!」
男は絶叫を上げ、体を包んでいた水塊が弾けると同時に全身から血を吹き出して石畳へ墜落した。
同時に捕らわれていた他の人々も同じように処刑され地面に転がる。
「うふふふふふふっ……。いい声。痛みと絶望の悲鳴を私にもっとちょうだい」
なんて、無残な……。俺は思わずリッカの視線を体で遮った。
こいつはなんなんだ。急に現れ、無差別に殺し始めて。しかもそれをまるで愉しむみたいに。
なんとかリッカを引き起こそうとするが、彼女は両目から涙を流して全身を震わせて硬直してしまっていた。
彼女を置いて逃げるなんてできない。黒ローブの女は何事もなかったように俺たちの方にやって来る。
「あれ、もしかして。昨日のおにいさん?」
女は俺に声をかけてきた。もしやとは思っていたが、こいつはやっぱり昨日の夜に道で会ったあのやばい女だ。
「どうしよう……。今度会ったらいいことしましょって言ったよね……。でもやらなきゃいけないこともあるし」
「お前……、何がしたいんだよ。こんなに人を殺して」
「あたしだって本当は殺したくないの。でも仕方ないのよ、お仕事だから」
女は再び付近の人間をまとめて次々と水の中に捕らえていく。
なんの罪も無い多くの住民たちが水に囚われ、命を奪われて通りに転がっていく。
「うーん、これも違う……。しらみつぶしに探すのってすごく大変ねぇ……。楽しいからいいけど」
殺したくないと言ったり楽しいと言ったり……、狂っているようにしか見えない。
なんとか立たせたリッカの体を抱くように後ずさる。
「おにいさん、どこへ行くの? あのね、やっぱりアガニィ、約束は守らなきゃいけないと思うの」
ローブの端から見えている口元が笑うように歪められる。
「その女の子、おにいさんの彼女さんでしょう? あたしね、いいこと思いついちゃった」
「……っ!」
心を恐怖が覆い尽くす。全身が総毛立ち警告を発する。
俺はリッカの腕を強く引いて走る。リッカを半分抱えるように胴体に手を回し、彼女を支えながら逃げる。
至近距離で水音が弾け体が冷たさを感じとる。
強い力で押しのけられて俺はバランスを崩し転倒した。
すぐに体を起こし、見上げる。
リッカが水塊の中に捕らわれ、ゆっくりと上昇していく。
「ナトリさぁんっ!!」
「リッカ!!!」
立ち上がり、ゆっくり浮上していく水の中のリッカに縋り付くように手を差し出す。
リッカも同じように俺に手を伸ばすが、あと少しのところで手と手は空を掻き、リッカの体は手の届かない高さまで上がってしまう。
「いいわぁ。その顔。ただ苦しいってだけじゃくて、大切な人が苦しむ姿をただ見てることしかできないの。
辛いね。苦しいね。その気持ちアガニィにもわかるよ。おにいさん」
ローブの女、アガニィがころころと笑う。愉快で仕方ないといった風に。
リッカが水の中で苦しそうに気泡を立ててもがく。
嫌だ……こんなのは嫌だ。
「やめろ……今すぐこの子を降ろしてくれッ! 頼む、なんでも言うことを聞くッ! だから今すぐ、もう止めてくれよぉ……ッ!!」
「ごめんねぇ、おにいさん。もう止めらない。だって痛みはあたしの大好物だもの。その苦しみ、最後の一滴まで味わわなきゃ」
舌なめずりするローブの女の目の前で、水塊に囚われたリッカは首に両手を当て、悲痛な、声にならない叫びを上げながらもがく。
両手で頭を抱える。
この女は……、なんの権利があって、なんの理由があって、リッカに、街の人々にこんな酷いことをして回ってる。
みんな平穏で幸せな日常を安らかに過ごしていただけなのに。
許せない。絶対に。
こんな『悪』が存在していいものか。いいはずが無い。
胸の奥底から黒い感情が湧き上がり一瞬にして心を満たす。
黯い意思が心を支配し、感情は怒りに塗りつぶされた。
「放せ……。その子を放せっ!! ――うあああああああーーーッ!!!」
俺は奴に向かって駆けた。
苦しむリッカを助けるために。
声を張り上げ、頼りない拳を振り上げて。
女は口元に笑みを浮かべる。
突進する俺に向かってゆっくりと腕を上げ、こちらに杖の先端を向けた。
禍々しい波導の光が俺の全てを奪い尽くした。




