第118話 巡り会う日々
翌日も俺は配達中にリッカの家の前を通る。
「やあ」
「ナトリさん。こんにちは」
今日もリッカは通りに面した玄関の階段に座っている。
「今日も一日お疲れ様です」
「まだ終わってないけどね」
ふふ、とリッカは少し笑う。彼女は確か、昼間は師匠のところへ通って波導術の修行をしているんだったか。
「リッカちゃんもお疲れ。波導の修行は煉気をたくさん使うんだろう?」
「疲れるほど使えてないですから」
「なかなか上手くはいかないもんだね」
「私に比べてナトリさんは立派です。ちゃんと人の役に立つ仕事をやっていて」
「いやぁ、まだちょっとマシになってきたくらいで全然だよ」
配達の仕事を始めたばかりの頃は周りについていくだけで精一杯だった。多少心にゆとりが生まれたのは今年に入ってから。それまでは毎日必死だった。
「私、全然ダメなんです。波導の感覚はあるのに、どうしても弱い力しか出せない。どんな性質の波導を使えるのかもはっきりしないし……所謂落ちこぼれで」
「…………」
俯いて暗い表情になってしまうリッカ。困った。さすがに波導術に関しては門外漢だから助言もできない。何とかリッカを元気付けたいけど……。
「俺も落ちこぼれなんだ。リッカちゃん、ドドーリアって知ってる?」
「はい、お話を聞いたことはありますけど」
「俺、そのドドなんだ」
「!」
リッカが驚きのあまり固まる。あまり人に言うことではないんだが、つい言ってしまった。
これこそ俺がモテない原因の最たるものだ。五体不自由にして哀れみの対象。普通の人間とは対等になれない劣った存在。
彼女を慰めようとつい自虐ネタを披露してしまったが、そんなに効果的でもないだろうに。逆に引かれてしまっただろうか。
「俺には空の加護がないからフィルを感じ取れないんだ。飛ぶこともできないし、普通の人がどんな風に世界を見てるのか全然わらからない。本気で争ったら子供にも勝てない」
「そんな……。でもきっと、私はナトリさんには勝てないです」
「俺が負ける」
「ナトリさんの勝ちです」
何故か架空の勝敗に対して意地になるリッカが不思議で、つい笑ってしまう。リッカもつられて笑ってくれる。笑ってくれれば少しだけ救われる。
「こんな俺でもさ、なんとか時間をかけて仕事ができるようになってきてるんだ。少しずつでいいと思う。リッカちゃんなら絶対大丈夫だよ」
「そう……でしょうか」
「そうだよ。辛い時があったら俺のことを思い出すといい。俺みたいな最底辺の人間でもなんとかやっていけてるんだ。それに比べたらリッカちゃんはすごいよ。波導の才能があるなんて」
「私なんて、全然だめです……」
ぐぬ……、彼女の気分はむしろ段々と沈んでいってないか。何か起死回生の一手を……。
「そうだ。明日、役所前広場で夜市があるって聞いた。一緒に見に行かない? ダルクと一緒にさ」
「いいですねっ! 前からずっと行ってみたかったんです」
リッカの沈んだ表情が少し晴れた。よかった。珍しくいい提案だ俺。
夜市というのは、半年に一度暗くなってから中央広場で開かれる露天の市場のことだ。
スカイフォール各地の特産品や珍しいものが集められて売られ、見て回るだけで面白いという。ちょっとしたお祭りみたいなものだ。三人で遊びに行けばきっとすごく楽しい。
「よし、決まりだ。明日は休みだからいい頃合いに迎えに来るよ」
「それなら、またうちに晩御飯を食べにきてください。その後一緒に出かけましょう」
「そうさせてもらおうかな。よっし、またオリヴィアさんの料理が食べられる!」
「ふふっ、好きなもの教えてください。私も作りますから」
「おおっ! 本当に?」
明日の約束をして俺は配達に戻った。楽しい休日になりそうだ。今からわくわくした気分になってくる。
♦︎♦︎♦︎
浮かれた気分で走っていたのが裏目に出てしまった。空輪車は刻印機械じゃない。フィルで制御する機械じゃない分、俺にとっても扱いやすい乗り物だ。
だがそれでも地面から少し浮かんでいるのは事実。集中力を欠けばたちまちバランスを崩してしまう。
「うわわわっ!」
ハンドルがあらぬ方向へ曲がり、俺は空輪車から放り出される。視界が回転し、地面に背中を打ち付けて道の真ん中に倒れてのびた。
恥ずかしい。幸い人通りはほぼなく、誰にも近くで見られなかった。
「いってぇ……」
体を起こし、石畳に座る。少し離れた場所に空輪車が転がっている。背中をさすって起き上がろうとした。
「これキミの?」
声に振り返ると女の子が屈んで俺を覗き込んでいた。可愛らしい透明感のある少女だ。
見上げた顔に備わる二つの瞳にどきりとして、思わず心臓の鼓動が跳ねた。透き通るような薄紅色、とても珍しい色をしている。
長い髪は明るい橙色で、かなり人目を引く派手な容姿である。服装は、どこかの店のウエイトレスの制服だろうか。
彼女は差し出した右手に俺の財布を載せていた。
「あ……、俺のだ。ありがとう」
突然目の前に現れた美しい少女に驚き、さらにその目立つ容姿からまじまじと彼女を見つめてしまった。
すぐに我に返り、お礼を言う。
「あはっ、無くさなくてよかったね!」
女の子がにっこりと笑う。純真無垢な笑顔だ。俺が財布を受け取ると、彼女はその場でくるりと振り返ってそのまま通りを歩き去っていった。
俺は惚けたままその後ろ姿が見えなくなるまでぼんやり見送った。
「いい笑顔だ……。すごく可愛い子だったな」
「おい邪魔だァ!」
すぐ後ろから怒声が響いた。振り向くと、目の前に迫る牛車。
「うわぁ!」
急いで道の真ん中から飛びのいて車を避ける。危なかった。
こんなところで呆けてないで配達を早く終わらせなければ。俺は倒れた空輪車を引き起こすと、サドルに跨り急いで坂を登っていく。
♦︎♦︎♦︎
営業所に戻り、配達を済ませたことを報告した。これで今日の業務は終了だ。
配達所を出たその足で近くのレストランに入り夕食を摂る。今日は妙に腹が減っていた。昨日リッカの家であんなご馳走いただいてしまったせいで胃が拡大したかな。
食後にとっておいた魚のスープをすすりながら、窓越しに日が落ち始めて明かりの灯る街の通りを眺める。
さっき道で話しかけられた橙色の髪をした美少女の事を考えた。珍しい容姿だが多分種族は俺と同じエアルだと思う。
あれだけ可愛ければきっと恋人なんて選び放題だろう。あの綺麗な少女の隣を歩くのは一体どんな男なんだろうか。
……うん、悲しくなってくるからやめよ。
店を出た頃にはあたりはすっかり暗い。空輪車を引いて自宅アパートへの坂道を登る。
市街地から離れるにつれ当然人気はなくなっていく。陽が沈めばたいして外に用はない。家々の窓の暖かい明かりを眺めながら歩いていく。
全身をすっぽりと黒っぽいローブに包んだ人物が前方から歩いてくるのに気が付いたのは、アパートまでの坂も中腹を越えたあたりだった。
何事もなく通り過ぎる。すると背後で足音が止まった。俺はそのまま歩き続ける。
しかし足音はこちらに引き返してきた。足音? ぺた、ぺた、と随分柔らかい音が石畳を鳴らす。裸足なのか?
「ねえおにいさん。ちょっといい?」
「え?」
反射的に振り返る。ローブに身を包んだ人物は背が低い。俺の胸あたりの高さに頭頂部がある。
目深に被ったフードに隠れ顔は口元しか見えない。女性か……?
その人物は右手をすっと持ち上げ、俺の前に出した。手のひらは横向きだ。
「いきなりでごめんなさい。握手、してもらえない?」
「あ、握手?」
俺は動揺した。なんなんだ、こいつ。顔も見せずに握手? 何が目的なんだ。声の感じからするとまだ子供のような感じだ。
ふと、その人物の首筋、ローブのくたびれた襟から覗く胸元に目がいく。前は適当にボタンがかけられているだけで、なんとなくだらしない着こなしだ。近づくと身長差で胸元が見えそうになる。
慌てて目を逸らす。胸が見えそうになったのもあるが、この女はもしかしたらローブの下に何も来ていないんじゃないかと思ったからだ。
何も言えずに黙ると、そいつはころころと笑い出した。
「うふふふふ、おにいさん、かわいい。お相手してあげたいところだけど、今はちょっとすることがあるから」
「く、靴は……?」
気になっていたので、会話の流れを無視してつい聞いてしまった。彼女はやはり裸足だった。
「靴? ……ああうん、靴を履くのは嫌いなの。足の裏に当たる小石や砂利、棘やガラスの破片……、それがあたしの薄い皮膚を突き破って体に食い込んでくる……、そういう感覚がとっても好きだから」
「は、はあ……?」
女はどこか艶っぽく言い、舌なめずりをする。こ、これ……、明らかにやばい人じゃねえか。関わり合いになっちゃいけない。逃げたい。
女が音のない動作で近づき、すっと俺の手を取った。痩せた女の細腕。しかしその手のあまりの冷たさに俺はゾッとした。ひやりとして、まるで死人のような感触だ。
「うーん、ざんねん。おにいさんは違うわね」
何か一人で納得した様子で俺の手を放す。気味の悪い感触を拭い去ろうと思わずズボンに手を押し付けた。
冷え切っていた。それどころか人の温もりを一切感じない。人形にでも手を掴まれたかのようだ。
「うふふ。また会えたら……、今度はいいことしましょうね」
弓なりに曲げられ、上がった口角から赤い舌が覗く。女が顔を上げ、目が合う。
「…………ッ!!!!」
その瞬間、俺の頭の中を稲妻のような衝撃が駆け抜けた。
あまりにも怒涛、そして膨大な映像、音、感触、様々な匂い、そして感情。
赤く染まる夜空逃げ惑う人々沸き立つ水塊弾け飛ぶ肉片強烈な波導の光ひやりとした感触路地裏の暗闇崩れ落ちる時計盤倒れ込み燃えるストルキオ巨大な水の化け物血溜まりの中から見上げる天井――――。
それらをいちどきに脳内に叩きつけられたような感覚。
めまいを感じて、その場に倒れこむ寸前でなんとかバランスを取り空輪車にしがみついた。
「はぁ、はぁ、……っあぁ」
呼吸が乱れる。片手で頭を押さえながら体を支える。頭が割れそうだ。一体、何が……。
それが収まるまで、動かずにじっとしていた。なんとか体調が戻ってきた頃周囲を見回したが、あの女の姿は既にない。すぐに立ち去ったようだった。
ひどい目に遭った……。念のため確認したが何かを取られたというようなことはない。ひとまず安心する。
なんとも気味の悪い出来事だった。まだ少し頭痛もするし早く帰って寝よう。明日は楽しい休日なんだ。俺は足早にアパートへ向かった。




