第114話 ミルレーク諸島
翌日、プリヴェーラ中央駅で俺とフウカはクレイルと落ち合いガストロップス鉄道に乗った。
少し迷ったが部屋は借りたままにした。幸い結晶を売却してしばらく生活には困らないくらいのまとまった資金が手に入ったので、とりあえず三ヶ月分の家賃を先払いしておいた。
一昼夜かけて列車でオリジヴォーラの港町へ。列車を降りて街で一泊。
翌朝未明、ミルレーク諸島へ向かう中型の浮遊船に乗り込んだ。
オリジヴォーラ港の断崖にできた巨大な渓谷。そこに作られた縦長の港からは多くの浮遊船がスカイフォール各地に向けて飛び立っていく。浮遊船の甲板に出て並走航行する船を眺めているといよいよ旅立ちの実感が湧いてきた。
ガストロップス大陸を飛び立った浮遊船はいくつかの港に寄港しながら一週間ほどかけてミルレーク諸島へ達する。
浮遊船での退屈な旅の間、俺たちはクレイルに波導術の知識をご教授願った。フウカは術の知識はほとんど持っていないので、少しでも吸収しようという魂胆だ。
クレイルも退屈していたし喋ること自体は好きな奴なので、波導術以外にも色々な旅の話などを聞くことができた。
クレイルの授業や、寄港した港町でぶらついて遊んだりと、長くて退屈かと思われた旅路はそれなりに楽しかった。迷宮や厄災、これからの世界について俺たちは様々な議論を交わした。
「静かよな」
「何が?」
「嫉妬の厄災レヴィアタンのことや」
「確かにな。今あいつはどこにいるんだろう」
「上の方に飛んでいったまま、上空にとどまってるんじゃない?」
「限界高度の遥か上なんぞ手出ししようもねえな」
それでも俺たちは三人ともなんとなく感じている。厄災はいつか絶対に再び世界へと降りてくる。神話にも残っている破滅の化身である厄災がただ上空で漂い続けるとは到底思えない。
「マリアンヌのいる迷宮調査隊の報告が公に発表されることになったら世間はとんでもない騒ぎになるな」
「どうやろな。そもそも素直に発表するかどうか。無用な混乱を避けるために上が箝口令を敷く可能性もあるぜ」
「ええっ?! 誰にも言うなってこと? 世界中の人が危ないのに」
「今の王室は事なかれ主義やろ。ありゃあ先人の残した栄華を貪り食うことしか考えとらんぜ。自分らさえ無事ならええとか思っとるんやろ」
「そんな……」
今後の世界のことを考えると若干気持ちが落ち込む。俺たちは浮遊船の手すりにもたれて夕焼けによって区切られた茜色と紫紺に染まる空を眺めた。
「あんな大きな蛇をたった一人で封印したガリラスさんってすごい人だったんだね」
「迷宮で戦った亡霊ガリラスは攻撃を凌ぐので手一杯やった。波導生命となって数千年存在し続け、魂が劣化してすらあの強さやもんな。フウカちゃんがおらなんだら俺らはあそこで全員殺られとったかもしれん」
「あのガリラスはまだ意思を持ってるみたいだった。フウカのことを神と言ったり、かなり意識は混濁してるみたいだったけどさ。一体どんな気持ちで神代からの果てしない時間を過ごして来たんだろうな」
「壮大過ぎて想像つかんなァ」
「あの人は厄災と同じ感じがしたよ。もしかしたらレヴィアタンに操られていたのかも」
「ふむ……。力の性質というか感覚は似とった気がするな。もしかすっと厄災は波導生命になったガリラスの封印を侵食しとったのかもしれん」
「いかにもありそうだ。実際、厄災の力が強まって迷宮が活性化していたわけだしさ」
長い時間をかけて、少しずつ厄災に汚染されながらたった独りで封印を守るのは一体どんな気持ちだったか。
ガリラスは神を憎んでいた。本心かどうかわからないけど、封印の役目を命じたらしいエルヒム達に対する暗い気持ちはずっとどこかにあったんだろうか……。
「ガリラスさん、悲しい目をしてたもん」
「ああ……」
日課の修行のために集中したいというクレイルは自室へ戻り、甲板には俺とフウカが残る。
「フウカ、最近ちょっと変わったよな」
「そう?」
「うん。なんとなく」
「どんなところが?」
「うーん、前より喋るようになった気がするし、それに……」
それに、以前よりも多少大人っぽくなったというのか……。年齢に対して幼いのは相変わらずなんだけど、前はもっと感情的な部分が目立っていたような。これは俺の気のせいかもしれないが。
「それに、なに?」
「いや……。やっぱり記憶が戻ったことが関係してるのかな」
「そうかもしれない。昔のことちょっとだけ思い出せるようになったし。今まで見てた景色がほんの少しずつだけど変わって見えるよ。同じものを見ても前と違うことを考えるようになったりとかね」
「そうなんだ」
今のフウカは、本来のフウカじゃないのかもしれない。記憶を落っことして、色々と欠けてしまった不完全な状態。
もしフウカが全ての記憶を取り戻した時、彼女は果たして俺の知っているフウカでいてくれるのだろうか……。
そんなことに少しだけ不安を覚える。
「みてみて、あそこ!」
「おお!」
フウカが指差したのは浮遊船と並行して広がっている広大な雲脈。そこから高く飛び出した積乱雲から、巨大なリジラが飛び出した。雲の中に住む魚の王とも言われる大きな動物だ。
丸みのある巨体についた尾ひれで優雅に空を泳いだ後、再び雲脈の底へと潜っていく。その光景を二人で眺めた。
「雲脈の中には、リジラよりでかい生き物も住んでるらしいぞ」
「もっと大きなのがいるんだ。見てみたいなぁ」
広大な雲の広がり。その中には俺たち人間も知らない神秘的な生態系が広がっていることだろう。中には船をまるごと食ってしまうような巨大生物だっているかもしれない。長大な体を持つ蛇のような怪物とか……まさかね。
そうして俺たちはオリジヴォーラを飛び立って七日、ついにミルレーク諸島へ至った。イストミルからの玄関口、リオネラ島の港に浮遊船は停泊した。
乗ってきた浮遊船はリオネラまでしか飛ばないので、俺たちはここで船を乗り換えてカナリア島を目指すことになる。
ミルレーク諸島に入ると空の色に変化が現れ始めた。時間はまだ昼前だというのに空は夕暮れ近くのように黄金色に染まる。ミルレーク特有の空の色で、夜以外陽の出ている間はずっとこの夕暮れ時のような空模様になるらしい。なんとも不思議な感じだ。
リオネラで浮遊船を降りた俺たち三人は埠頭に沿って沿道を歩いて街へ向かう。
乗船場で聞いたところによるとカナリア島へ向かう船は明朝出る。リオネラから向かうルートは一つだけで週に一度。ここから四日はかかるそうだ。
今日はリオネラの街で飯を食ったらすぐに宿で休んで明日に備えよう。
「ねえ、何か落ちてるよ」
前を歩いていたフウカが何かを拾い上げた。ハンカチだ。柄からしてかなり古いものように見える。
「誰かが落としたのかな?」
「なぁ、あそこにおるばあさんのやないか? 年寄りっぽい柄やし」
クレイルが沿道から横に突き出した小さな埠頭の先を指差す。その突端に人影が見える。姿勢からなんとなくそうかなとは思うけど、この距離から年寄りとわかるクレイルの視力がすごい。
フウカが拾い上げたハンカチを持って、俺たちは沿道を逸れて埠頭を突端に向かい進む。島の周囲は雲原に覆われ、一面黄金色の草原のように日の光を反射して微かに輝いて見える。
突端には、持参したであろう小さな木の椅子に腰掛けた老婆が佇んでいた。近づいていくと何かの音色が聞こえてくる。俺たちはその曲に耳を傾けた。
硬質で可愛いらしい音。音をエアリアに記録させて作るオルゴールエアリアってやつかな。大きな街の土産物屋にはよく置いてある。
エアリアに刻み込んだ音声記録が擦り切れるまで、刻まれた音を何度でも聞くことができるものだ。
優しく哀愁漂う、少しもの悲しさを感じる音色だ。老婆はじっと空の向こうを見ているのか同じ姿勢のまま座り込んでいる。足音を鳴らして近づいていく。
「いい曲ですね」
「……そうかい」
「でもちょっと悲しい感じ」
「たしかに悲しいね」
「どうして悲しいの?」
「ただ独り、置いていかれてしまったことがさ」
年相応に嗄れてはいるけど、どこか上品さを感じさせる声で老婆は振り向かずに俺たちに応える。
「なあ、このハンカチ婆さんのやろ。あっちに落ちとったぞ」
「うん?」
クレイルの問いに初めて老婆は振り向いた。スカーフで頭部を覆っていたので後ろからでは種族すらわからなかったけれど、その顔を見て俺はちょっと息を呑んだ。
白い肌に白髪。そして赤みを帯びた瞳。老婆はユリクセスだった。エイヴス王国でユリクセス達と一悶着あった嫌な記憶が蘇る。
彼らがみんながみんな凶悪な者ではないとはわかってるけど、それでも少しユリクセスは苦手だ。彼らについての噂もよくないものばかりだし。どこか構えてしまう。
やはりハンカチは老婆の持ち物だった。彼女は俺たちに丁寧に礼を述べた。
「おばあさんは何を見ていたの? 雲?」
「その先にあるものさ」
「何も見えないよ。雲が少ないと島でも見えるのかなぁ」
「ふふ、元気のいいお嬢さんだねぇ」
老婆は笑ってフウカを見た。何か、懐かしむようにその瞳が優しく緩んだ気がした。
「この雲の先にはかつて一つの国があった。私の故郷だね」
「かつてって、今はもうないの?」
「そうだ。今はもうない」
ミルレーク諸島は昔エアルとユリクセスが領土争いをした複雑な事情を持つ地域だ。
戦争でエアルの勢力が勝利し、ほとんどのユリクセスは北部へと追いやられた。移動が難しく、ミルレークに残らざるをえなかった少数のユリクセス達はエアルの迫害にあっていた時代もあったとか……。確かそう学校で習った。
老婆の言っている亡国というのは、かつてユリクセスが支配していた国のことなのかもしれない。
「故郷がなくなっちゃうなんて……。帰る家がなくなってしまうなんて、悲しいよ」
「だからこうして時々、雲の向こうにあった故郷のことを思い出しているんだ。ずっと……後悔しているよ」
後悔……、どういう意味だろう。北部に引き上げたユリクセス達についていけなかったことだろうか。
「婆さん、あんまし風に当たっとると体に障るで」
「行ってしまった人たちも、きっとお婆さんのこと考えてるんじゃないかな。俺はそう思うよ」
「ふふっ、気にかけてくれるのか。最近の若者も捨てたもんじゃないね。でも心配はご無用だ。まだ青二才に気を使われるほど耄碌しちゃいない」
「そーかい、心配して損したぞ婆さんよ」
老婆と別れ沿道へ引き返す。振り返ると、彼女はまた何事もなかったように椅子に腰掛け同じ姿勢で黄金色の雲原を眺めている。
風に乗ってオルゴールエアリアの音色が微かに聞こえてくる。
どうしてか、まるで彼女の周囲だけ時間が止まっているようにも見えた。
「ユリクセスの婆さんとは珍しいな」
「そうなの?」
「おう。ユリクセスってのは、見た目は子供や若者ばっかりやろ」
「そうだな。長命だっていうのはどこかで聞いたけど」
「ストルキオや、エアルよりも寿命は長いな。100歳越えはザラらしいで」
「すごいなぁ。みんな長生きなんだ」
ユリクセスはあまり他種族と交流がない。物知りなクレイルによると、彼らの種族はかなりの高齢になるまで子供や若者といった若い姿のままであることが多いのだとか。
そして寿命が近づくと急激な速さで老化する。70歳や80歳になっても若者の姿のままでいることは普通らしい。そう考えると、さっきの老婆はやはり相当な高齢なんだろう。
大昔にエアルがユリクセスに対して行った迫害。人間が人間である限り争いはなくならない。いつかそんな争いしなくていい、平和な世の中がくればいいのに。夢物語だとわかっていてもそう願わずにはいられない。
俺たちは港を後にリオネラの街へ向かった。




