第104話 再会
迷宮の入り口を出て、アラウダ高地に下りた時にはもうとっくに陽は沈んで森の中は暗かった。
頂上から泡の精に乗って一番下まで降りるのは、登りに比べれば随分と早かった。それでも四半日ほどの時間はかかったが。
列柱の並ぶ迷宮の入り口広場には、燈の光に照らされて大勢の人が待機していた。
その多くはオキ族のストルキオだったが、見知った顔もちらほらと見える。
俺たちが迷宮に入って八日。きっとノーフェイスの被害はさらに広がり、システィコオラの異常は周辺地域の知るところともなったはず。
加えて限界高度の遥か上空ではあったが、あれだけの騒ぎが起きたのだ。オキ族の人間であれば、嫉妬の厄災レヴィアタンが放つ禍々しい気配を察知していても不思議はない。
俺たちが迷宮の入り口から姿を表すと、真っ先に駆け寄って来たのはマリアの姉、エレナだった。彼女はマリアの前にしゃがみこむと、その小さな体をきつく抱きしめた。
「マリア! よく無事で……! ごめんなさい、私が強引にでも引き止めていれば……!」
エレナはその美しい頬を涙で濡らす。
「お姉さま……。私の方こそ、ごめんなさい。お姉さまは私の身を案じてくれていたのに。その気持ちを素直に受け取ることができなくて……」
「いいのよそんなこと! あなたが生きて、帰って来てくれただけでいいの……!」
抱き合う姉妹の側に、銀髪で見るからに屈強な眼帯をした男が立つ。
「お父様……」
「…………」
この人は彼女らのお父さんか。コールヘイゲン家現当主。かなり怖そうな人物だった。
彼は皺の入った険しい目元をじっとマリアンヌに注ぎ口を開いた。
「マリアンヌ。任務外の勝手な行動を取ったこと、自覚しているのか」
「はい……。多くの方に迷惑をかけてしまいました……」
マリアンヌはエレナに支えられながら俯く。アレク・コールヘイゲンは彼女に背を向けて、里の方へ戻ろうと踵を返す。
その冷淡な態度に苛立ちを感じた。迷宮から生還した娘に優しい言葉の一つもないのか。
「あまり心配をかけるな。屋敷の者たちもお前のことを気にかけている。……よく、生きて戻ってきてくれた」
「……! ご心配を、おかけしてすみませんでした……お父様」
マリアンヌの父親はそのまま歩き出し、去っていく。彼女はその大きな背中をずっと見つめていた。
「マリア。お父様はあなたが迷宮に入ったと聞いて、すぐにここまで駆けつけてくださったのよ。あなたのことをとても心配していらしたわ」
「お父様……。すみません、すみませんでした……」
マリアンヌはしゃくりあげ、やがて声を上げて泣き出した。
やっぱりね、マリア。君の家族はみんな、君のことをこんなにも大切に思っている。
命を投げ出そうとするまで追い詰められる必要なんてないんだ。
「なんや不器用なオヤジやのォ。ぎゅっと抱きしめたれよぎゅうっと」
「はは……」
「はうぅ……、マリアンヌちゃん……。よかったねぇ……」
隣を向いて、マリアとエレナ以上に大量の涙を流すフウカに思わずびくりとする。フウカ、お前あの子の事情よく知らないだろうに……。
でも、そうだな。フウカは家族の顔すら忘れているんだ。きっとこういうのは彼女の琴線に触れるんだろう。
俺はフウカの背中を優しくぽんぽんと叩いた。
涙を流して再会を喜びあう銀髪の姉妹をそっと残し、俺たちはオキ族の連中がまとまって控えている里の方へ進んだ。
まるで俺たちをそのまま帰してなるものかと言わんばかりの包囲網だ。
三人で、並び立つストルキオ達に歩み寄っていくと、大きな体のストルキオ、ジエが歩み出てきた。
「おう、ひさしぶりやのうオッサン。俺らになんか文句でもあんのかィ?」
「…………」
彼は俺たちの前に立ちふさがると、片膝をついて跪き、頭を下げた。
「大いなる厄災を退け、我が里を危機から救ってくれたこと感謝する」
「随分殊勝な態度やんけ」
ジエが顔を上げ、ぎらりと鋭い目でクレイルを睨んだ。
「お前に言ったのではない。このエアルの少女に言ったのだ」
「あーそうかいそうかい。好きにせえ」
「ジエさん、クレイルだってフウカを助けて戦ったよ」
「くくくっ、貴公のような単細胞のストルキオに一体何ができるというのか?」
「あ?」
立ち上がったジエの隣に鮮やかな緑色のマントをまとったストルキオが並び立った。
「テメェは……」
「あそこで貴公らの卑怯な策略に陥り、不覚を取らねば、余計な邪魔者を迷宮に入れずに済んだものを」
「テメェは……誰だっけ?」
緑のマントを羽織ったストルキオは、露骨に怒りを露わにした。嘴がぶるぶると震え、目つきが鋭くなっていく。
「く、く……。恐怖のあまり忘れたか、脳筋ストルキオめ。貴公らを追い詰めた、ル ヴァンの貴公子エリト=ラよ」
「ナトリ、そんな奴おった? 俺ァ弱い奴のことは覚えとらんでな、すまん」
「あ、迷宮に入ろうとする俺らを邪魔しに来た緑マントの人!」
「人を馬鹿にするのも大概にせよ! 我は里随一の風使いにして、ジエ=シュゴ唯一の好敵手であるぞ!」
「俺はその好敵手とやらになった覚えはない」
「はっ? そんなぁ……」
「あの、エリトさん。無事でよかったよ。一週間前はすまなかった。掟に背いて迷宮入ろうとしてさ。俺もこの子を助けようとして必死だったんだ」
「この少女を助けるため、か。族長に背いたことは到底許されることではないが、その意気は見上げたものだな。お前だけは許してやらんこともない」
なんなんだこの人……。相変わらず、ずっと目を閉じてるし。目をつぶってれば強そうに見えるとか思っているんじゃないだろうな。腕を組んで偉そうにしていたエリトの頭を、ジエが勢いよくはたく。
「アタ!」
「アホか。貴様が許す許さないの問題ではない!」
「お前達、そこまでじゃ」
彼らの後ろから老婆の声がかかると、二人は即座に両脇に退いて控えた。二人の老女を従えた、マム=ハハ族長が俺たちの前に歩み出てくる。両脇に立つ老婆達が族長の言葉を代弁する。
「エアルの少女よ、そなたは厄災を退け、迷宮を鎮めた。この里、いやシスティコオラを救ったのだ。我らガリラス=オキはそのことを決して忘れまい」
族長がフウカの前に歩み出て、自ら口を開く。
「……神の巫女よ。ガリラス様の呪縛を解き放ち、お役目を全うさせたもうた事、感謝しておる」
族長がジエがやったのと同じように跪いて頭を垂れる。後ろに立ち並ぶオキ族の者たちもそれに倣って、跪いていく。
「わ、私っ?」
フウカは突然感謝の意を向けられて戸惑っているようだ。
「ケッ、ナトリがおらんけりゃ、フウカちゃんが生還することもなかったっちゅうに。揃ってマヌケな連中や」
「いいんだよクレイル。叛逆者にはお似合いの扱いさ」
「でもなァ……」
「フウカ、胸を張っていいんだ。君はこの人達を迷宮の脅威から救ったんだから」
「……ナトリ、私はちゃんと知ってるからね。ナトリのおかげなんだってこと!」
フウカに向かって笑いかける。俺は別に称賛なんか求めちゃいない。俺の目的は初めからただ一つ。そしてその目的はもう果たされたのだから。
今こうして、すぐ隣にフウカがいる。それだけあれば俺は十分に幸せだ。
オマケに持ち帰ったフィル結晶のカケラもあるしな。
俺たちはその後里へ客として迎え入れられ、ささやかにもてなされた。
一時的に脅威を退けたとは言え、厄災が復活したのは事実だ。招待された礼の宴にも、どこかそんな沈んだ雰囲気が付きまとっていた気がする。
それでも俺たちは久しぶりの美味い飯と楽しい雰囲気を味わい、存分に飲んで騒いだ。
酔ったクレイルとエリト=ラが殴り合いを始め、ジエ=シュゴを巻き込んで里のストルキオが束になって止めにかかったりとか、マリアンヌが何故か俺の膝の上で疲れて眠り始め、それを見たフウカが波導を使って彼女をどかそうとしたりとか、俺たちは羽目を外して騒いでいた。
宴席は遅くまで続き、俺たちは迷宮から生還した喜びを存分にかみしめたのだった。




