第二話『恋……的なお話』
「ねぇね、お兄ちゃん」
「何だい千弦ちゃん? いつも通りそんな薄着でソファーをゴロゴロ占拠している千弦ちゃんが、ボクに何か用かな? 冷蔵庫からジュースでも出そうか?」
「いやいや、そんな事にお兄ちゃんを使うわけないじゃないお兄ちゃん。パシりを頼むならもっと面倒な事のパシりに使うよ。お使いとか、草むしりとか、学校の宿題とか」
「買い物や草刈りはともかく、宿題は自分でしなさい……」
「そんな事よりお兄ちゃん」
「そんな事で締め括っちゃったよ……何だい? 千弦ちゃん」
「私も年頃の女の子ってやつなので一つ、恋バナというものをしてみようと思うのだけれどお兄ちゃん」
「唐突だね……」
「こういう話って大抵唐突に始めるものでしょう? 順を追ってそこまで話をふくらませるなんて面倒だよお兄ちゃん。可愛い私の労力も少しは考えて、お兄ちゃん」
「まぁ……別にそこに関してはどうでもいいけど……。恋バナ……恋バナねぇ。恋のお話なんていきなり言われても、ボクなんかで力になれるかなぁ」
「お兄ちゃんは私のお兄ちゃんなんだから、私を楽しませる為に頑張って」
「ハードルを上げないでください。……というか、好きな人でも出来たのかい? いきなりこんな話を始めるってことは、可愛い千弦ちゃんにもついに恋の季節が来たって事なんだよね。相手はどんな人? 関係はどこまでいったの?」
「お兄ちゃん、話を急角度で飛躍させてるとこ悪いんだけど、今回は私の話じゃないんだよ……」
「ってことは、美琴ちゃんの恋かな? 確かに、千弦ちゃんに負けず劣らず可愛い美琴ちゃんの事だ……。イケイケなリア充男子に恋をしちゃうイケイケ女子の仲間入りってところかな。美琴ちゃんの好きになった人ならボクも陰ながら応援するよ♪」
「いやだから、勝手に話を急上昇させないでよお兄ちゃん。話が前に進む前に直上してるんだよ。飛行機ですらないよ。もはやドローンだよ。今日からお兄ちゃんの事、会話の上空撮影機って呼ぶよ? 嫌だよね? お願い嫌だって言って。私、お兄ちゃんをそんな風に呼ぶなんて嫌だよ。友達に紹介する時とか、とても説明がめんどくさいんだもん。最悪だよお兄ちゃん」
「確かに……それはちょっと嫌かも」
「私達姉妹の話じゃないの」
「じゃあ、父さんと母さん? それこそ今更じゃない? あの二人のラブラブ加減なんて今更話題にしても楽しくもなんともないでしょ。結婚して十年以上経つのに、いまだに月二でデートに行っちゃうくらいラブラブなんだよ? しかも、サプライズプレゼントまでちゃっかり用意してるレベル」
「……お兄ちゃん、言ったそばからまた飛躍してる……。勉強は出来るくせに、私の言葉からは何も学べないの? 無能なの?」
「ごめんなさい」
「私がしたいのは、お兄ちゃんの恋のお話だよ。……ココに辿り着くまでに何秒無駄にしたのさお兄ちゃん。お兄ちゃんのせいで無駄な会話が増えて喉が渇いたからジュース持ってきて」
「仰せのままに……」
ちょっと機嫌を損ねたらしい千弦ちゃんのためにも、ジュースと共に……あとで食べようと思っていたハーゲンもお供えするとしよう。
ちなみに関係のない話ではあるが、父はストロベリー&バニラ派で母はベルギーチョコ派、美琴ちゃんが抹茶派、千弦ちゃんはチョコミント派で、ボクの好きなバニラ味は皆そこそこ好きな味なのである。
なので、ごく稀に……ボクのアイスだけ誰かに食べられていたりする事もある……。今回は無事だったようだ。
プンスカしていた千弦ちゃんだったが、アイスを目にした瞬間一気に満面の笑顔を見せてくれた。相変わらず現金な妹様である。
そこで、ちょうどいいタイミングとばかりに、シャワーを浴びていた美琴ちゃんがリビングへとやってきた。
「美琴ちゃん……いつも言ってると思うけど、お兄ちゃんのシャツを風呂上がりに着るのやめない? あとで着る時、胸の部分だけ生地が伸びてて変な感じになっちゃうんだよ……。あと、ズボンくらいはきなさい」
その姿は、脱衣所に常備しているボクの着替えから勝手に拝借したのだろう大きめのTシャツだけ……。もしかしたら、短パンくらいはいているかもしれないけど……春秋冬ならともかく、今は暑苦しい初夏である。
ボクのシャツを脱いだらパンイチ……ないしは、スッポンポンの可能性だってあるのだ。いくら、家族しかいない家の中とはいえ、そんな格好でウロウロされては落ち着かない。
「あ、お兄ちゃん。ちゃろー♪ 最近暑いよね~……」
「平然と受け流さないでおくれよ妹一号」
「あー!? 千弦ちゃん、ソレお兄ちゃんのアイスじゃん!? ズルいー! アタシも今日はバニラの気分なのに~! お兄ちゃんお兄ちゃん! おっぱい触らせてあげるからアタシもバニラちょうだーい♪」
「おっぱいはどうでもいいから、ちゃんと自分の服を着なさい。着替えてきたら冷蔵庫のやつ一個食べて良いから……」
「やっふぅ~い♪ 愛してる~」
慌ただしく自室へと戻っていく美琴ちゃんを見送り、盛大なため息を一つ。
一瞬、ふわりと舞い上がった裾の隙間から、チラリとオレンジ色の下着に包まれた肉付きのいいお尻が見えた。……うん。いいケツだった!!
こう……ついつい、目が釘付けになってしまうから、ボクの前で無防備な姿を晒さないでおくれと、いつも念を押しているはずなのだが……。
ウチの妹供は、その忠告をガン無視して……暑さに比例するように布地を減らしていくのだ。眼福ではあるのだが、心中穏やかではない。いつもドッキドキだ。
「それでお兄ちゃん。さっきの話の続きなんだけど」
「ん? えーっと……ボクの恋バナだっけ?」
「そそ。お兄ちゃんも今や青春真っ盛りな高校二年生だよ。高二って言えば、少女漫画でも少年漫画でも、何かしらキャッキャウフフな日常を過ごしてるようなものじゃない? いわば、恋愛適齢期……的なアレだよ? シスコンなお兄ちゃんだけど、恋の一度や二度くらいはあるでしょ普通」
「そう思うかい、妹よ」
「流石に使う前から枯れたりしてないでしょ?」
「そういう下世話な話はやめようか! お兄ちゃんは、健康そのものだよ」
「じゃあ、溜まってるでしょ?」
「だから……」
「はいはい、下心云々は別にしたとしてもだよ。お兄ちゃんも立派な高校男児なんだから、初恋くらいは済ませてるでしょ? そういう話きいたことないひ、聞きらいら~と、あむ」
「話の途中で食べ始めたね……。千弦ちゃん、聞いてきておいてアレだけど、もう既にこの話題に飽きてない? 始める前にどうでもよくなってないかい?」
「………………そんなこと、ないよ」
「随分長い沈黙をありがとう。よくわかったよ……」
でもな……、さて、どう話したものか?
当然だが、ボクも一人前の男の子である。恋の一度や二度は順当に経験している。
行動には移さなかったものの、恋と呼べるドキドキは十分に味わった経験が確かにあるのです。
あの子は可愛かった。あの子は綺麗だった。あの子は良い性格をしていた。あの子は立派だった。
まぁ、そんな色んな恋を経験していた訳だが、大抵……そういう素敵な人には、既に相手がいたりする訳で……。始まる以前に終わっていたパターンがほとんどなのだ。
仲良くなろうと頑張っても、良い友達で終わるアレだよ。
あとは……妹と仲良く出掛けたところを見られて「彼女いたんだね」って誤解されたケースもあったなぁ。いくら弁明しても聞いてもらえなかったな……。兄妹は恋人繋ぎとか腕を組んだりとか抱き着いたりとかしない……とかなんとか。
嗚呼……ほろ苦い思い出がいっぱい……。
「そういうなら、別に聞かせてあげても良いけど……」
「ぉっ! なになに~? 何の話~? アタシもまぜてよ~♪」
「お兄ちゃんの恋バナ」
「マ・ジ・かっ!? チョー気になる! テンション上がるわぁ~♪」
「楽しそうなところ悪いんだけど、ボクにあるのは虚しい失恋話ばっかりだよ……。期待を裏切るようで悪いんだけど――」
「え? 知ってるけど」
「お兄ちゃん、私達はお兄ちゃんのリア充イチャイチャ惚気話を期待してる訳じゃないの」
「さーさー♪ お兄ちゃんのビターな不幸話をはよはよ! あっまいバニラが引き立つってもんよ~」
「…………ぉうふ、ボクの妹が残酷な仕打ちで楽しんでます。誰か助けてください……」
なんて言っても、期待満々なキラキラした目で見てこられたら……口を開かずにいられないのが、重度の兄バカの宿命というべきか……。
「そうだね……ボクの初恋は中学一年の夏。陸上部のマネージャーだった当時二年生のR先輩だ。マネージャー内でも頭一つ抜けててリーダーシップのあるカッコいいお姉さんだった」
「ほうほう」
「それでそれで?」
「好きだと自覚した一週間後に、同じ学年の陸上部員から、彼氏持ちだってバラされた。しかも、カッコいい幼馴染みで、小さい頃に結婚の約束までしてたんだって……」
「うはっ、付け入る隙もねぇ~」
「どんまい」
「二度目の恋は、中二の秋」
「うーわ、メッチャ引きずってんじゃん! 女々しい! ウーケーるー」
「でも性懲りもなくまた恋をしたと……」
何この拷問?
なんで、過去のほろ苦い思い出を酒の肴……もとい、アイスのお供に聞かせないといけないの? 普通にしんどいんだけど……。
「相手は隣のクラスだったFさん。快活で笑顔のまぶしいクラス委員さん」
「ふむ、お兄ちゃんってリーダー的な人に惹かれちゃう傾向にあるのかな~? ひっぱって欲しいタイプか!」
「お兄ちゃんは合わせる人だから」
「過程を話してると心が折れちゃいそうだから結果だけ話すけど、告白する前に「友達としか見れない」って満面の笑みで言われた」
「ぉおーっと、これは完全に先攻告白潰し! こぉ~れはキツイ~!」
「下心が見え見えだったのでは? お兄ちゃん、女の子というのは、そういう目にとても敏感な生き物なんですよ」
「何を言っても後の祭りだよ……はは」
「あー、疲弊してる~♪ お兄ちゃん、やつれてきてる~♪」
「嗚呼……かわいそうに……モグモグ」
「妹が鬼畜です……。誰かボクに救いをください……」
「で?」
「次は?」
救いはないようだ……。
それから、追加で三人分程話したところで、……ボクの方に限界が訪れてしまった。ツラい……ホントもうツラい……。
「いやはや、満足満足♪ アイスもちょうどなくなっちゃったし」
「最高だったよお兄ちゃん。次の機会があったら、是非もっとドロッドロの泥沼修羅場話を聞かせてね」
「……ぐす、穢された……妹に穢されたよぉ」
「それでお兄ちゃん。話を戻すけど」
「えっ!!? また戻すの!? 勘弁してくれよ妹二号! もうお兄ちゃんのHPはとっくにゼロだよ。オーバーキル、よくない!!」
「そもそも、私はお兄ちゃんの恋のお話をしたいと言ったのであって、過去の失恋話をしろなんて言ってないんだよお兄ちゃん? まぁ、とても楽しめたから良いんだけど」
「……んん?」
「私はね? お兄ちゃんの今の恋のお話を聞きたいの? 現在進行形で誰か好きな人とかいるのかな?とか、既に誰かとお付き合いしてるのかな?とか、そういう建設的なお話だよお兄ちゃん」
「なる、ほど……?」
え? ということは……アレか?
頼まれてもないのに、自傷行為をしてしまっていた?
またまた、ボクの……早とちり?
「いやぁ、やっぱお兄ちゃんって可愛いよねぇ~」
「まさか、美琴ちゃんも気づいて……?」
「とーぜん♪ 千弦ちゃんが、過去語りなんて興味ないこと頼むわけないじゃん。過去とか未来とか考える前に今をどうするかだよ♪ お・に・い・ちゃん」
「……あれ? 励まされてる?」
「ぜんぜん」
「そうだよね。励ますくらいなら、そもそも古傷を抉ったりしないよね……」
「それで? どうなのお兄ちゃん? 今、好いているお方はいらっしゃるので?」
「ん~、特に特定の女性はいないかな……。過去の恋から学んだんだ! 身の丈にあった恋をしよう、って。高嶺の花は憧れるに留めて、ボクの事を好きになってくれる女性を探そうって!!」
「「……ん?」」
「お兄ちゃん……具体的な案などはあるのかな? まさか、受け身に徹して、コクられ待ちを決め込む訳じゃないよね……?」
「そりゃそうだよ。ボクのこの可もなく不可もなくなルックスじゃ、待っても女の子が近寄ってくる訳ないし、行動に移さなきゃ何も得られない!」
「というと、お兄ちゃんには何か凄い秘策があると?」
「……ふふ、よくぞ聞いてくれたね。……それはコレさ!!」
ババーン!
ボクは高らかと自身のスマホを掲げた。
そして、その画面には……
「「出会い系アプリ……?」」
「そう! たとえ地元で需要の無いボクだとしても、全世界を視野に入れれば、きっと誰か物好きの目にはとまるはず!! ほら、この『ぽよりん⭐️』さんとか、最近頻繁に連絡を取っていてだね! もしも、お互いに日程が合えば是非会ってお茶をしたいって言ってくれててだね! まぁ、向こうは二十歳のお姉さんで忙しいらしくて、過去に四回ほどドタキャンされちゃったけど――」
「却下」
「強奪かぁ~ら~のぉ~……消去ぉ!!」
「オーマイガァーー!!」
有無を言う暇もなく、アカウントを削除されてしまった。酷い……酷いよ妹達。君達は兄の幸せを望んでくれないと言うのかい?
「なんてことを……なんてことを……」
「お兄ちゃん、ソコに手を出すのはもう少し大人になってからにしなさい。お兄ちゃんはバカ正直でだまされやすいんだから! つか、たぶんこのふざけた名前の人、成り済ましだから。実際はオッサンってパターンだから!」
「なん、だって……」
「お兄ちゃん……本当に女の人だと思っていたの? こんな男の夢を体現したような女の人いるわけないじゃん。いたとしても独身なわけないじゃん。お兄ちゃん、どれだけ滑稽なの……」
「……たしかに」
「つーか、こんなにラブラブなやりとりしてんなら、ドタキャンとかあり得ないでしょ。それも四回って……あきらかに、会うの避けられてんじゃん! ほぼ確定じゃん」
「……でも、アカウントの写真が……」
「ネットから持ってきたか、知り合い……もしくは、加工アプリでふんだんに盛ったパターンかな。または詐欺メイク」
「嘘やん……」
「いやマジマジ……」
わざわざネットで調べたのか、詐欺メイクや加工アプリのビフォーアフター画像を見せてくれた。
……いやもうこれ、別人やん……。
えぇ!? 性別すら関係ないの!? うわ、コレなんてホントにオッサンじゃないかっ!
「……こわい」
「もちろん、全員が全員そうってわけじゃないけど……お兄ちゃんみたいなのは要注意だよ。こういう世界じゃ近寄ってくる全員警戒するくらいでないとバカを見るから。この世界だけのチャットで楽しむだけなら別に良いとも思うけど、お兄ちゃん本気にしちゃいそうだしね~」
「お兄ちゃんにはまだ早いよ」
「……こわい。ネットってこわい……女性ってこわい……」
「おっと……恐怖心が女性にまでいっちゃったかぁ~。大丈夫だぞ~。ほらほら、アタシや千弦ちゃんは、メイクや加工とかしてないぞ~? お兄ちゃんの大好きなアタシ達は天然モノだぞ~♪ こわくな~い、こわくな~い」
「ほらほら、今日は特別にほっぺスリスリしてあげるよ。ほーら、スリスリ~。ムニムニ~」
千弦ちゃんがボクの両手を使って千弦ちゃんの頬を挟みスリスリと、まるで猫が甘えるように擦り付ける。
あぁ……粉っぽくないし、ベタベタしない……。フニフニでやーらかくて……なんだこれ最高かよ!?
SAN値がちょっとずつ回復していく感じが……素晴らしい!!
「……ぁう……ちょっと、暑苦しい……。んぅ~、美琴ちゃんパス~。ほっぺが疲れたぁ~」
「ほいほ~い。さぁ~お兄ちゃん! コッチへおいで~。ギューって抱き締めて、頭なでなでしてしんぜよぉ~♪ ほぉれほれ~♪」
小動物的癒しの後には、母親のような母性がぁ……こ、コレが世に言う『バブみ』というやつなのか……!? まさか、実の妹に……こんな……ふぁぁあ~~……。
「あ、なんか浄化されてるっぽい」
「んぅ、頬が張ったかも~」
なんだろう……おそらく失恋(?)直後だというのに、今回は全然ツラくない気がする。
妹達の言うように、ネットに幻想を抱くのはやめよう……。
「ボク、頑張ってみるよ。ちゃんと生身の人と恋して、彼女と幸せになってみせる!」
「ん? お、おう? まぁ……焦らず、ぼちぼち頑張んなよ~」
「というか、今の言葉だと……二次元オタク脱却、みたいに聞こえないこともないかも?」