騎士団長にはもう一度会いたいひとがいる
その日王国騎士団員の多くが訓練後、騎士団御用達の酒場に集まっていた。
理由は他でもない、彼等を率い、彼等が敬愛する騎士団長その人が「もし訓練後に手の空いてる者がいたら、頼みがあるから酒場に来てくれないか」と言ってきたからである。
地位も強さも兼ね備えた上司のそのような『お願い』は大変珍しく、彼を慕う騎士団員の殆どが二つ返事で引き受けた。
団長はぞろぞろと酒場にやってきた団員たちにとりあえず酒を注文させると、自分もジョッキを片手に店の奥にある一段高くなったスペースに上がった。
この場所は普段楽士や踊り子が酒のお供にちょっとした余興を提供する為の舞台であるが、今は何も無い。酒を飲むには早い時間なのもあるし、団長が店側に必要ないと断ったからでもあった。そのため、現在店内には騎士団員と酒場の給仕たちしかいない。
団長は団員全員に酒が行き渡ったのを確認すると、まずは乾杯しようとジョッキを掲げた。
「さすが団長!」
「待ちきれないっす!」
大喜びの団員たちも団長に倣ってジョッキを掲げ「乾杯!」の声が店に轟いた。
タイミングを合わせるように大盛りの肉や野菜、酒のツマミ類が続々と運ばれてくる。
「それで、今回集まったもらった理由と言うのがだな……」
早速本題に入った団長に全員がツマミに伸ばしていた手を止めたが、食べながら聞いてくれればいいとの言葉に遠慮なく飲食を再開する。
締めるところは締めるが、仕事外で立場をひけらかさないのも団長が団員たちに慕われる理由である。その彼が真顔で切り出した要件というのが、
「探すのを手伝って欲しい人がいる」
ということであった。
団員の1人がすかさず「何かの事件の容疑者か?」と顔を引き締めて訊く。
「いや、違う」
「被害者のお身内ですか?」
今度は比較的若手の団員が尋ねたが、その問いにもそういうんじゃないと首を振った。
「仕事とは関係ない、俺個人が探している……」
そこで団長は一旦言い淀む。何においても豪快で思い悩むことの少ない彼のそんな姿は珍しい。団員たちは互いに視線を交わし、心当たりがないか探りあった。が、事情を知る団員はこの場にいないようであった。ならばと一同は黙って団長の言葉の続きを待つ。
長考の気配を感じた副団長が、一脚の椅子を抱えてそっと舞台に上がる。乾杯も終わったことだし、座って話したほうが気が楽かと思ったためであった。
しかし副団長の予想は外れ、団長はすぐに物思いを断ち切る。一気に酒をあおるとぶちまけるように白状した。
「その……昨日一夜を共にした女性を探して欲しいんだ……!」
「「「えっ?」」」
何人かが思わず声を上げ、皆が一斉に舞台の方を見た。その反応を見て団長は慌てたように言葉を続ける。
「名前は聞きそびれたが外見の特徴は分かるぞ!」
団員たちは絶句した。副団長も椅子を差し出そうとした姿勢のまま固まる。物言わぬ団員たちに団長は眉を下げた。
「すまん、こんなことを頼むなんて恥知らずだとは思っているんだ」
「いえ、決してそんな事は!ただ、その、驚いただけで……」
舞台近くの席に座っていた団員がいち早く衝撃から立ち直ると言った。その隣に座る団員も視線を泳がせながら続ける。
「あの、ど、どんな女性だったんですか? 心当たりとかは……?」
訊かれた団長は途端に顔をほころばせながら話し始めた。
「白金色の髪をなびかせた、透き通るような青い目の美女でなぁ」
団員たちは団長……の背後で固まったままの副団長を見る。
副団長は騎士団員の中でもトップクラスの氷魔法の使い手であり、また騎士団長の右腕として常に冷静沈着な姿勢を崩さず、見事な作戦で騎士団を勝利に導く姿から『氷の美姫』と渾名されている。
そんな彼女の瞳は二つ名に相応しいアイスブルー。一筋の乱れもなく結い上げられた髪の毛は見事なプラチナブロンドであった。
「俺のような男はどうもご婦人や子供には敬遠されるんだが……」
対して微笑みながら話す団長は、大柄でガタイもよくしかも元から強面の顔には数々の戦闘でついた傷跡が走っており、長身ではあるものの華奢な体格の副団長と並ぶとまさに美女と野獣だと噂されている。
だいたい今浮かべている微笑みも、団長慣れしていない一般人が見るとちょっと距離を取りたくなる凄味があるのだ。
「昨日一人で飲んでいたら彼女から声をかけてくれたんだ」
そういえば昨日の魔獣討伐帰りに一人で酒場方面に消えていく団長を副団長がじーっと見ていたな、と団員たちのうち何人かが思った。
「いつも国民を身体を張って守っている騎士団を尊敬していると言って」
盗賊に襲われた子爵家の箱入り娘だった副団長を、単騎で蹴散らして見事無傷で救出したのが当時は一騎士に過ぎなかった団長だったことを年配の団員が懐かしく振り返った。
事件の二年後、入団条件である十四歳を迎えた彼女は父親である子爵の反対を押し切って騎士団に入団したのだった。
「それで、騎士団をまとめる立場の俺のことを、ずっと、あ、憧れていたと……」
女性というハンデを覆すために副団長が血を吐くような努力をしていたのを入団歴の長い団員たちはよく覚えている。力が足りない分技術や素早さで補う術を身に着け、戦術を学び、常に適切な判断ができるよう感情を殺す訓練もしていた。それはひとえに団長の隣に立ちたいという強い願いからだ。
昨年やっと彼女の努力が認められ、副団長就任が内定したときは盛大に祝ったものである。
「そんな風に言ってくれる女性に、俺は、初めて出会った」
いやずっとすぐそばにいたでしょう、と新人団員の少年が内心でツッコミを入れた。少年は表情こそとぼしいものの、美人で大人のお姉さんでしかも陰ながら自分たちを気にかけてくれる副団長にほのかな想いを抱きかけていた。
しかし彼女を見ていればすぐに分かった。彼女がひたむきに追いかけているのは団長だけだということに。
先輩団員にそれとなく話を振ってみるともう八年にもなると言われ、これは諦めるしかないと少年は悟ったのである。先輩団員にはだいたいの新人が通る道だ、と言われた。バレバレであった。
経緯は違えど、九割九分九厘の団員が彼女の隠しているつもりの恋心に気がついている。気づいていないのは本人だけだ。
「美しく着飾っていたが爪は短く整えてあって、そういうところも好ましいと思ったのだ」
そこまで覚えているのになぜその美女が自分の常に行動を共にする副団長だと気がつかないのか。
いささか呆れつつも、どうやら彼女の長い長い片想いが実りそうだと副団長と同年代の娘がいる団員は嬉しくなった。
副団長はまだ椅子を抱えたまま固まっている。団長の口から次々と飛び出す告白のような言葉の数々に、普段陶器のように白い頬がじわじわと桃色に染まっていた。
この場でお探しの女性は副団長ですよと教えるのは簡単だが、そんな気まずい役目は御免こうむりたい。なんとか自力で気が付いてもらいたい団員たちは頭をフル回転させた。
「あの、ほら、団長もよく考えたら思い出すんじゃないっすか? そういえば会ったことのある女性だった、とか」
「そうですよ! 出会いの少ない騎士団といえども、女性と接する機会が皆無なわけではありませんし」
「女性団員だっています」
「他にその女性について覚えていることはないのか?」
そうだな……と団長は真面目な顔で一呼吸のあいだ考え、すぐに言った。
「処女だったな」
何名かの団員が口に入れていたものを噴き出した。別の何名かは団長一筋だったしそうだろうなぁ……さて、明日からどんな顔で出勤しようかなぁと遠い目をする。
「酒場で声をかけてくるくらいだから、ある程度経験があるものと思ったが」
だが団長は止まらない。見ればいつの間にか団長の周りにジョッキの山ができている。団長はかなり酒に強いほうだが、この話を部下たちに切り出すのは相当恥ずかしかったのだろう。酒に慣れていない若者でもやらないような無茶なペースでジョッキを空けていた。
「二人きりになったら急に恥じらいだして、駆け引きかと思えば手つきも拙くて、口づけ程度で真っ赤になって……」
夢見るような表情で情事の時彼女がいかに初々しく、可愛らしかったかを詳細に語りだす団長。止めようとする団員の声も全く耳に入らない様子である。
仕事上の機密情報であれば酔いつぶされようが薬を盛られようが拷問されようが一言も漏らさないというのに、よっぽど浮かれているのか。
酒場に集まった中には女性団員も何人か混じっていたが、この赤裸々な暴露を聞いて一斉に荷物をまとめた。物理的に突き刺さりかねないほど鋭い一瞥をくれて帰っていく。
好きな女について惚気たい気持ちは分からなくもないので帰るに帰れない男性陣は、給仕に強い酒を樽で出すよう頼んだ。とても素面では聞いていられない。
副団長はというと、ほんのり赤く染まっていた頬は今や憤怒と羞恥で真っ赤に変わり、抱えた木の椅子は手が触れている箇所から凍り始めていた。魔力も殺気もガンガンに漏れ出ている。怖い。
前方の席についていた団員たちはバレないように少しずつ二人から距離を取っていく。
その間も団長は一人でどんどん盛り上がり、ついに決定的な内容に差し掛かった、瞬間。
――――バキッ
彼はすっかり氷漬けになった椅子で殴り倒された。
王都では“鬼神”と名高い今代最強の騎士を一撃で昏倒させた麗人は、先ほどまでの動揺が嘘のように落ち着き払い、口元に微笑みすら浮かべて言った。
「大変お騒がせしました。本日は団長がご馳走してくれるそうです。好きなだけ飲んで食べてからお帰りください」
そして気絶している団長の懐を探り、取り出した財布をそのまま給仕に渡す。
「お釣りは結構です。足らない場合は王国騎士団・団長宛に請求してください」
てきぱきと椅子を解凍し、団長の両足を抱え上げた副団長は
「それでは、私たちは先に失礼させていただきます。くれぐれも明日の業務に支障のないように」
と告げると軽々とうつ伏せの団長(しかもよく見たら少し凍っている)を引きずって出て行った。地面で団長の顔面がすり下ろされている気がしたが、誰も言わなかった。言えなかった。
入口のドアが閉まっても、酒場の中は水を打ったように静かだった。しばらくの時が経って、一人の勇気ある団員がぽつんと呟く。
「…………生きてますかね、団長」
「……彼女は回復魔法もかなり遣える。まぁ……大丈夫だろう」
呟きに答えたのはこの中で最年長の団員である。一同はホッと息をつき、緊迫した雰囲気が和らいだ。各々酒やつまみに手を伸ばす。
最年長の団員と同じテーブルを囲んでいた若い団員たちが次々と話しかける。
「副団長ってすげー強かったんですね」
「氷魔法特化の魔法騎士なんだと思ってましたよ。近接もいけるとは」
「ぶっ倒れてる団長なんて初めて見ました」
「俺、動き見えなかったッスよ……怖すぎて見ないようにしてたのもありますけど」
「副団長になったのも、団長が書類仕事からきしだからサポートに入ってるもんだと思ってました」
騎士の性か、強者の気配に興奮を隠せない様子だ。最年長の団員は微笑ましくそれを見やり、教えてやる。
「確かに彼女が抜擢された一番の理由はそのへんのスキルの高さを買われてだろうな。騎士団員は事務系の仕事が苦手な奴が多いから。でもいざというときに団長が背中を預けられない者を副団長には据えんよ」
先ほどの一撃を見れば否やはない。皆納得の面持ちで頷いた。しばしの沈黙が場を満たし、再び勇気ある団員がぽつりと呟く。
「…………生き抜けますかね、団長」
今度は誰も答えられなかった。誰からともなく酒の入ったジョッキを掲げ、一同は上司の安寧を祈った。
翌日、団長と副団長が正式に婚約したことが発表された。全員何事もなかったかのような笑顔で二人を祝福した。二人も笑顔でそれを受けたが、その後二週間団長は婚約者となった副団長から完全に無視されていた。団長は他の女性団員全員からも総スカンをくらい、普段は判を捺すだけで済んでいた書類を全部自分で片付けなくてはいけない事態に陥っていた。
幸いと言っていいのか、この状況は二週間後副団長が団長を赦したことで終結した。だがそれからしばらくは訓練場の隅で新人騎士に交じって黙々と草むしりをする団長の姿が見られたという。
騎士団長が酒場の女性=副団長と分からなかった理由とか、酒場から去ったあとのやりとりとか、裏設定を考えてはいるので反響があれば今後書くかもしれません。