◇後日談:甘い檻
ハッピーエンド(◆Re:愛を乞い、希う)の後日談
貴族の邸宅が並ぶ王都の住宅街に、外装を補修されて間もない一軒の邸宅がある。
長らく無人だったその邸には、ひと月前から毎日、窓からの明かりが煌々と宵の闇に洩れていた。
「ねえ、セシル? そろそろ、私はクロズリー領に戻りたいのだけれど」
どうかしら、とリディアは微笑む。
食事を終えたセシルは口元をナプキンで拭ってから、伏せていた眼差しを持ち上げた。
「――却下だ」
仏頂面な彼の返事にリディアの眼差しは細まる。
微笑んだままでも、頬は引きつっていた。
「私がこの邸宅から外に出た回数を、貴方は覚えている?」
「一度だな」
「そう、一度だけなの。ひと月の間で、たった一度だけなのよ。セシル」
彼が宵の森に踏み入り、リディアにも聖霊にも予測ができなかった『契約』で再会した日から一か月。
彼が用意していた王都の邸宅に招かれたリディアは、毎日を彼と過ごしていた。
最初は、こうも長く彼と暮らすつもりはなかった。
今後の方針が決まるまでの仮の住まいと思っていたのだ。
人目を忍ぶ数日が過ぎてから、表には一切でない形で、リディアは国王とエリアス王太子に謁見した。
まだ陽も登らない早朝に、大聖堂で彼らの前に立った。
聖霊を映すことのできる明け方の空の瞳にリディアが映った時、星は瞬いていなくて。
聖霊の存在は確かに己の中に感じるのに、彼らの瞳を通して、祈祷師でも聖霊の宿主でもない存在になったことをリディアは実感した。
父の意向で『リディア・クロズリー』はまだ存在している人物らしい。
祈祷師としての役目を終え、晴れて元の伯爵令嬢の生活に戻ることになったリディアは、その場に同席していた父から「一度領地に戻ってきなさい」と言われていた。
(落ち着いたら戻る、とお父様に伝えたけれど……一緒に帰ればよかったかしら)
ここ最近のリディアの悩みである。
始めは彼の傍にいたかった。
後々のことは後回しにして、今の奇跡的な幸せに浸かっていたかった。
あの日、突然現れて契約を申し出た彼は自信満々でいた。
思いもよらない再会を果たせても「当然だ」と言わんばかりの表情でいた。
それなのに、セシルは毎日を不安に思っている。
大切な人が唐突に消える経験をしてきたから、いつ消えるかわからない恐れを抱いている。
(セシルの気が済むまで、と思っていたけれど)
祈祷師エレナの終わりを悔いている彼に、同じ恐怖を味わわせたのはリディア自身だ。
誰に何を言われたとしても、当時を振り返っても譲れない選択だった。
後悔はしていないけれど、祈祷師となった自分を守り、寄り添ってくれていた彼に酷いことをした自覚はあるから、せめてもの償いとして彼に安心してほしかった。
もう聖霊の力によって突然消えることはないと彼が納得できるまで。
そう思って、彼が用意していたこの邸宅で過ごしたひと月。
まさか、一歩たりとも邸の外に出させてもらえないとは思いもしなかった。
「君の件で、色々と処理しなければならない問題が山積みなんだ」
「ええ、ありがとう。毎日忙しいものね? 私が手伝えないのが残念よ」
「君がいてくれたら私も楽なのにな。悪いが、もう少し待っていてくれ」
「待っている間に領地に戻りたいのよ。リオにも申し訳ないわ」
「リオは仕事として来ているから心配するな」
セシルは朝早くに発って、陽が沈み切ってから帰ってくる。
それまでの間、この邸宅には家事を任せる使用人の他に、リオが訪れていた。
セシルからは「私が不在の間の護衛だ」と伝えられたが、監視の意味合いが強いのではなかろうか。
リオは魔導騎士でなくなって以降、オルコット侯爵家の騎士になったらしい。
隣接するベルナール領が地元のリオにとっては嬉しい就職先になったようだ。
神聖国レディツィオーネから帰国したセシルが、リオを引き連れて王都に戻ってきたと聞いた。
その目的がリディアの護衛役と知った時には大層驚いたらしい。
セシルが不在の間は、祈祷師だった頃の思い出話をしたり、リディアが聖霊と契約した後の魔導騎士や祈祷師、そして国の変化を教えてもらったりと話し相手になってもらっている。
けれど、外出しないかと持ち掛けてみたら「邸から離れないようにと言われているので」と首を振られるのだ。
祈祷師だったリディアを知っていて、指示に忠実なリオを選んで連れてきたところがセシルらしい。
邸を出ることは許されないが、人を招くことに制限はされていない。
商人を呼んだり、元魔導騎士の面々やカロリナ、そしてフィリスまで来てくれたので、退屈しない一か月だったけれど、そろそろ外の空気を吸いたい。
ちなみに、セシルが不在の間に護衛のリオと王都を歩くだけのことを何故嫌がるのか、聞いたことがある。
「君は何をしでかすか分からないからな。逃走計画でも立てているかもしれない」
そう言って、彼は嫌味たらしく鼻で笑っていた。
祈祷師だった頃に色々と行動してきた分、彼の信頼を得るには時間がかかりそうだ。
今日のところは諦めたリディアは、息をついてから立ち上がった。
そうして、空になった皿を厨房に運ぶために重ねていく。
使用人は雇っているけれど、住み込みではなく通いだ。
リオもセシルが戻ってくると邸を後にする。
二人では余りあるほど部屋があるのに、セシルはリオが寝泊まりする宿を手配したらしい。
セシルがいる間は、言葉のとおりに二人きりなのだ。
このひと月で習慣づいた後片付けをするリディアの背後に、立ち上がったセシルが歩み寄る。
彼の腕がお腹に回って、動かしていた手を止めた。
手元を見るために下がっていた頭に、彼の頬がのる。
擦り寄るような僅かな彼の動きに幸せを感じた。
「あと少しで、長い休暇をもらえるんだ。クロズリー領からオルコット領は遠い。――婚姻前に挨拶は済ませておきたいだろう?」
――前もって教えてくれれば良いのに。
今、彼はどんな表情をしているのだろう。
向き直ろうとしても、強く抱きしめることでそれを彼が許してくれない。
代わりに、胸の前に回る彼の腕を包み込むように握った。
「セシル。私、貴方が大好きよ」
全身を包み込んでくれる彼の身体に身を任せるように、リディアは体重を預ける。
全身から伝わる彼の温度が心地良い。
「愛しているわ」
瞼を閉じて、幸せな温もりを噛み締める。
そうするつもりが彼の手によって体を反転させられて、驚いたリディアは目を見開いた。
「私もだ。もう君を離さない」
暗い夜の奥底まで沈む宵の瞳。
どこまでも暗いのに、柔らかな彼の眼差し。
その瞳に、甘い蜂蜜の色が溶け出していく。
降り落ちてくる彼の眼差しに目を細めたリディアは、唇に触れた熱とともに瞼を閉じた――
リディアとセシルの後日談はいかがでしたか?
まさかの監禁エンドでございます笑
セシルは自信満々な発言でリディアと再会を果たせましたが、内心では何日経っても不安で堪らないはず。
最初の数日間はひと時も離れずリディアのそばにいたことでしょう。
リディアの性格からして長くは続かない監禁エンドですが、とても甘く、幸せな二人を物語として残せて満足しています。
以上、これにて投稿は終えますが、またいつか何かしらのお話書きたいなと気持ちはありますので、気長に、時折覗いてもらえたら光栄です!
いいねやご感想、評価やレビューなど、何かしら反応をもらえると嬉しく思います〜!
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!