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宵に沈む「恋」なれば、  作者: 青葉 ユウ
-- 零れ話 掴み取った再会 --
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◆Re:愛を乞い、希う



 鬱蒼と茂る雑草をかき分けて歩を進める。


 魔導騎士団だった頃は幾度となく足を踏み入れていたと言うのに、たった一年離れていただけで懐かしく感じてしまう。


 宵の森は何も変わっていない。

 相変わらず道らしい道はないし、行く先は不確かだ。


 殿下が聖霊の助力を求める時には当然近衛騎士を引き連れているが、殿下だけが聖霊の元へと辿り着き、近衛騎士は殿下が戻るまでの間永遠に森を彷徨っているらしい。


 らしい、というのはこの場に殿下がいないからだ。

 神聖国レディツィオーネで知り得たものと今後の行動は洗いざらい話している。

 その上で、殿下は私を単身で送り出すことに決めた。

 結果がどうなろうと構わないと判断したのだろう。



 茂みの中へ踏み込むたびにガサガサと乱雑に音が鳴る。


 祈祷師が祈りの発動に必要だった思い込みと意志の強さは、この地でも当てはまるのだろうか。

 そうでなければ困るし、辿り着くと確信しているのだから今更そんなことを考える必要はないのだが、当時の己は足りていなかったのだろうかと疑問が頭を過ぎる。


 森の奥へと進むたびに暗く重い霧に呑まれる。比例して息も浅くなった。


 ようやくだ。


 見えない目的を目指して彷徨っていた闇路に透き通る空気が流れる。

 小さく揺らぐ水音が聴こえて、視界が真白に染まる。


 目に痛いその光に瞼を閉じて一呼吸し、再び開くとそこは既に聖霊の住処だった。


「久しいな? 人間」


 中央に位置する白樹の幹へと腰掛ける人物が、懐かしい声で聞き馴染みのない言葉を平坦に発する。


 そこに彼女の面影はない。


「私は君との契約をしにきた」


 敬ってもいない聖霊への挨拶に時間を割く気はない。

 そんなものを相手も求めていないだろうと、本題を切り出す。


「愉快なことを言うな?」


「言っておくが、お前とではない。お前が宿主にした、君だよ。――リディア」


 透き通る蜂蜜色の双眸を射抜く。


 神獣によると、宿主となった個体は一時的に悪魔になっているようなものらしい。つまり、宿った悪魔に押し潰されずに自我が残っていたとすれば、宿った悪魔と同等の力を行使し、人間と契約を結ぶことも可能だという。


 そして、全ては私次第だと言って神獣は姿を消した。

 それが真実だと言うのだから、何一つ複雑に考える必要などないのだ。



「君が聖霊様だという悪魔が、君の願いを叶えるんだろう? そして君は私に再び会うことを望んだはずだ」


 浅く透き通る泉の中へ足を沈ませると、そのまま中央の陸地へと水が染みて重たくなった足を前へと押す。


「ならば、今度こそ私の手を取れ」


 そうして木の幹に腰掛けるリディアの前に立つ。

 同時に、見下ろされる冷えた眼差しに身体中から感覚が抜けて落ちていくのが分かった。

 そこにリディアの面影はないのに、緩く弧を描いて笑む姿はリディアそのものだ。


 目の前にいる人物がリディアなのか、聖霊なのか。


 現実か幻覚かも頭が判断できなくなってきて、より白くなった柔い手をきつく握って、額をつけた。


「私は君とともに人としてのありふれた生涯を送ることを望む」


 これはただ唯一の相手に乞う祈りだ。

 私が彼女に捧げる誓いで、祈祷師として生きることを決めた彼女は私の願いを聞き届ける使命がある。


「その対価は、君が好きに決めろ。君が望むものは何だって用意してやるさ」


 それが一国の創造でも破滅でも。幾多の命を捧げることだって、何でもしてやろう。

 そんなことを望む訳がないと分かっていても、思わずにはいられないのだ。



「私は君を諦めるつもりはない。――――君も、そうだろう?」


 ひんやりと澄んだ清らかな冷気が喉を伝い、身の内を焦がす。

 伏せていた瞼を持ち上げると視線がかち合って、濃厚な蜂蜜が甘く香り立った。

 持ち上がった頬によって、目元が優しく綻んでいく。


 最後は、淡く染まる唇が緩やかに弧を描く。



「貴方って本当に、あり得ないわ。聖霊様が呆れていたもの」


 それは待ち望んでいた、穏やかで凛とした声音だった。

 握った手のひらから暖かな体温が伝わる。聖霊とは違う、人の温度だ。


 抱き抱えるように木の幹から降ろして、視線を外すことなく、鼻先が触れそうなほどの至近距離で予め決めていた台詞を口にする。


「君がいない間に殿下は婚約者を決めたぞ。私の元に縁談が舞い込んでいるようだが、全て断らせている。そして、君の父からは既に了承も得ている」


 淡々と知らせておくべき状況を語る。

 口を挟む余地はないが、そもそも彼女は声が出せないようだ。見開いた瞳が驚きに染まっている。


「私はもう魔導騎士ではないが、そもそも魔導騎士団は存在していないのだから致し方ないだろう」


 いつぞやの、彼女が適当に決めた条件だ。

 私とは考え方が異なるらしい。私は好いた相手が余所見できる隙を与えるつもりは毛頭ない。


 どれも取るに足らない条件だと鼻で笑って、いつもの様に口角を持ち上げた。


「もう待つ必要はないと思わないか?」


 何方とも言えない少しだけ早い拍動がつま先から指先まで熱を巡らせる。

 それがとても心地よくて、回していた腕を軽く引き寄せた。


「リディア、君には私と結婚してもらう。――私は君を手放しはしない」


 こくり、と木の葉が揺らぐ音に紛れて、小さく息を呑む音が鳴った。

 それを了承だと捉えて、触れそうで触れなかった唇へと音もなく口付ける。


 ひんやりと透く風が熱を生む身体に心地よく馴染んだ。


 閉じていた瞼を開けると、甘ったるい蜂蜜色の瞳が滲んでいることに気づく。潤んだ水膜が色鮮やかな光を反射して、煌々と輝く涙をつくる。


 問いかける必要なんてなかった。


 今になってようやく、悪魔を聖霊様だと呼ぶリディアの解釈を多少は認めることができそうだ。



 ――エクラシア・フィデラーレ


 聖霊様の御心に私の祈りが届きますように、という意味だと伝わっている言の葉は、建国聖話と同様にラティラーシアが生み出したものである。当時のラティラーシアの真意がどうであろうと、今のこの時代では知れ渡っていることが真実なのだ。


 口には出さずに聖霊信仰で言うところの聖霊王と聖女へと感謝の祈りを唱える。


 涙を流すほど嬉しいのなら、いくらだってしてやろう。

 そうする時間は充分にあるのだから。



 橙の色をのせて透く眼差しが深く沈み込む暗い宵に溶けていく。

 明け方の空のように美しいと讃えられるその色合いがそこにあることを、二人だけが知っていた――







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