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宵に沈む「恋」なれば、  作者: 青葉 ユウ
-- 零れ話 掴み取った再会 --
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◆1:夜明けを探す



 寝付けない夜が明けて、窓から朝陽が差し込む。

 耳の奥でしとしとと静かに振り始めた雨の音がするのに陽は雲で覆われていないのだな、となんとはなしに窓枠へと近づいて、息が止まった。


 肌に感じる澄み切った冷気に、記憶に焼き付く既視感を感じたのだ。


 締め具を開けて外開きの窓を解放する。

 同時に外へと伸ばした腕に雨が落ちた。肌に水滴が触れた感覚はあるのに、湿り気も残らず消える。

 その感覚は祈祷師の祈りで怪我が癒えた時に似ていた。


「あの野郎……」


 窓枠に握りしめた拳をぶつけて、普段は決して口に出すことのない悪態をつく。エリアスが聖霊の力を使ったのだとセシルにはすぐに分かった。


 制止の声は完全に無視されたのだ――



 ◇◇◇



 リディアと聖霊との契約は他国で伝わる儀式とは大きく異なっていた。悪魔との契約のために必要だという魔紋もないし、時間帯や気候の条件も関係がないのか、聖霊の手がリディアの顔を覆っただけで終わりを告げた。


 瞬きをする暇もない一瞬の後には聖女ラティラーシアの身体は地面に横たわっていて。


 リディアの身に宿った聖霊が「この女を連れていけ」と、聞きなれたはずなのに聞き馴染みのない声音で指示を出していた。


 それは口出しをさせる気など毛頭ない響きで、言われるがままにセシルがラティラーシアの身体を抱きかかえると、エリアスに「私の力を使いたければ一人で来い」と言い残した聖霊が指先を払う。


 たったそれだけの動きで、黒に染まる紫煙の宵闇に呑み込まれた。



 そうして飛ばされた先は宵の森との境だった。

 木々の奥に魔導騎士団や近衛騎士数名の姿が見えている中で、エリアスは目もくれなかった。


「これからどうしようか。彼女のおかげで可能性が増えてしまったよ」


 独り言のような言葉の後に歩き出したエリアスの横顔を見て、セシルは厄介なことに気づく。

 エリアスの浮ついた眼差しは、幼少の頃に宵の森や祈祷師について語り合っていた姿に酷似している。


 なぜリディアはエリアスに大層な力を託したのか不思議でならないな、と不満を吐き出すように息をした。


「とりあえず、早まらないでくださいよ」


「わかっているよ。彼女の意志を私は尊重するさ」


 リディアは聖霊がエリアスに力を貸すよう望み、エリアスには聖霊に頼る必要のない国を願った。

 エリアスは元から聖霊の力を必要としていない。


 つまりは当初の予定通り聖霊の力を求めなければ良いのだが、今のエリアスにはその気が全くない。


 とはいえ、その場の勢いで事を進める性格でもない。

 大事の時は入念な段取りを経て、国王の承諾を得てから実行に移すのだから、その間に口を挟む余地はある。



 しかし、難儀なことにセシルはエリアスとは別行動を余儀なくされた。


 その理由はラティラーシアの存在だ。

 警備塔に滞在しているフィリスや魔導騎士団の状況確認、そして国王への報告のためにもエリアスは馬を駆けて早々に戻らなければならない。


 けれど、聖霊との契約を終えたラティラーシアが此方にはいるのだ。

 目を覚ましていないが、息はある。冷え切った体温も徐々に戻りつつあるから、何百年もの年月を経て目を覚ます可能性が高かった。


 そんな容態のラティラーシアを連れて王都に戻るとしたら日数がかかり過ぎるし、エリアスもセシルもいない中でラティラーシアをクロズリー領に置いてはおけない。


 結局、セシルはラティラーシアが目を覚ますまでクロズリー伯爵邸に滞在することになった。


 馬車旅が出来るようになればクロズリー伯爵とともに王宮に向かう手筈になっていて、ラティラーシアは思いのほか早く目を覚ました。けれど、一言二言聞き取れない単語を発しただけでまた寝入ってしまって、そんな日が二日と過ぎた今日。


 エリアスがついに聖霊の力に手を出してしまった。


 リディアが聖霊と契約をしてから僅か五日後のことだった。

 風の魔術を用いて、馬を乗り換えてひたすら駆けていたのだろう。それでも早すぎる。



「伯爵、私は彼女を雨の下に連れて行こうと思います」


 飲まず食わずで安らかに眠り続けるラティラーシアの肌艶が青白くなることも、痩せこけていくこともない。今もまだ人間と呼べるのかもわからない、生気のある死体のようなラティラーシアを見下ろしていたセシルは、扉を開けたクロズリー伯爵へと投げかける。


「ああ……そうだな。一目につかない庭園を案内しよう。着いてきなさい」


 何も問わないところを見るに、クロズリー伯爵も降り始めた雨の正体を察しているようだ。


 既にリディアの決断とこれまでの行動の結果は粗方伝えているが、感情の揺れを一度も感じなかった。黙々と聞いては頷き、必要なことがあれば全て協力すると言い切った伯爵の決意は堅いらしい。



 伯爵邸の裏にある控えめな庭園へと足を運ぶと、花壇の側にあったベンチへとラティラーシアを降ろす。


 空を見上げると、視界を白く侵食する眩い陽光とともに透明な雫が影を落として降り注ぐ。

 体中に落ちる雨が衣服を濡らすことはない。

 水滴が当たる僅かな感覚だけで、肌ではなく衣類越しであれば気にもならなかった。


 人の賑わう王都であれば早々に大騒ぎになっているだろう。

 けれども伯爵邸は大勢の使用人や騎士がいるというのに、渇いた風と清らかな雨粒の音しか耳に届かない静寂の中に佇んいる。そのことが更に現実味を失った幻のようで、悪夢で在れと思わずにはいられない。

 かすり傷一つ残らず消してしまう雨に反抗するように、血が滲んでは血が流れていたことすら忘れる手のひらの皮膚が裂けるほど固く握りしめる。


 一刻も早く目を覚ましてもらいたいという思いとは異なり、時間が無常に流れて陽が傾き始めていた。


 幾度となく、夢現な空を仰ぐ。殿下はいつまで雨を降らせるつもりだろうかと、視界の奥に存在する宵の森に苛立ちを募らせていたところに間伸びした声が上がった。


「よく寝たわぁ〜。……昨日までは動くことすらままならなかったのに、なんだか体がとても軽いし……この雨のおかげかしら」


 大きく伸びをしたラティラーシアが立ち上がってくるくると踊るように体を回す。

 悪魔と契約をしてその身を明け渡したというのに、随分と呑気なものだ。今の状況を即座に把握しようという気はないのかと不思議でならない。


「ラティラーシア様、目覚めたばかりで申し訳ありませんが、お尋ねしたいことがあります」


「あらぁ、何かしら?」


 庭園内を動き回るラティラーシアが立ち止まる気配はない。話を聞くつもりはあるのだから気にするまいとセシルは思うことにした。


「ラティラーシア様は悪魔との契約に詳しいのですよね。知っていることを全て教えていただきたい」


 ピタリ、と軽やかだった足取りが止まる。

 淡く色づく唇に指先を当てたラティラーシアが、三日月状に目を細めて笑む。それは、聖霊が宿っていた時の表情となんら変わりなかった。


「聖霊王の加護、でしょう? その言い方だと私を聖女と信じる者がいなくなるから嫌なのよ」


「不快にさせてしまって申し訳ありません。改めて、聖霊王の加護に関して私に教えていただけませんか」


 眉間に皺が寄りそうになるのを堪える。言い伝えられていた聖女とは思えない言動に頭が痛くなりそうだ。


「貴方って従順なのね〜。ふぅ〜ん?」


 軽快な足取りでセシルの元へと歩み寄ったラティラーシアがそのまま様々な角度から上から下へと視線を移す。


 能天気な振る舞いを見せているラティラーシアの頭の回転は速いらしい。悪魔と契約を結んで一国を作り上げたのだからそうでなければ困るのだが、善意も悪意も隠す気がなさそうなラティラーシアに気の抜けない安堵をする。

 こちらを騙そうというきらいは見られない。


「私は本来、起き上がることもできずに体が限界を迎えたはずよ。聖霊王の宿主になる生き物は皆そうなの。それなのにこうして動き回れるのは、この雨のおかげよね。私の座を奪った新しい聖女を、貴方は助けたいのかしら?」


「少し違いますが、そんなところです」


 リディアは自ら望んだのだ。それに対して助けるなんて言葉は似合わない。

 彼女が望んだことを見届けてやったのだから今度は私のしたいようにやらせてもらう、とセシルは決めていた。

 当然、聖霊との『永久に続く契約』とやらの終わりを待つつもりはない。


 その為にも、ラティラーシアが目を覚ましたことはセシルにとってこの上ない僥倖だった。



「なら、まずは貴方が私にこの国を教えてちょうだい? 私の望んだ国が如何に素晴らしいものとなったのかをこの目で確かめられるなんて、聖霊王に感謝しなければならないわ」


「――わかりました。先ずは屋敷に戻りましょうか」


 どうやら、最優先事項はラティラーシアの気を満足させることらしい。


 自らを聖女だと崇めさせる国を生みだした女のどこが聖女だ、と内心で悪態をつきながらもセシルは恭しく手を伸ばすのだった。








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