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宵に沈む「恋」なれば、  作者: 青葉 ユウ
-- 第2部 --
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◇Re:祈り

 

 鬱蒼と茂る雑草をかき分けて歩を進める。


 騎士となって一年。

 取り分け人気のない『聖女の棲む森』の巡回任務にようやくあたることができ、期待を膨らませていた矢先。

 陰る木々の奥から突如現れた動物を避けた途端、足を滑らせ道を踏み外した。運悪く昨晩の大雨で地面がぬかるんでいたことで踏ん張りが効かず、斜面を転がり落ちてしまったのだ。当然仲間とも逸れた。


 聖女の棲む森といえば聞こえはいいが、騎士団の巡回以外は不可侵とされており、手入れのされていない草木が生い茂った、動物の住処となっているただの森である。

 そんな場所がなぜ騎士団の管轄なのかというと、それはこの国の信仰が影響しているからだった。

 言い伝えでは、この森には人間の目には決して見ることのできない精霊が棲んでいるらしい。ついでに、国が生まれるきっかけとなった聖女様が精霊とともにこの森から国民を見守ってくれているという。


 けれど、そんな逸話を信じる者は極僅かだ。

 魔術の発動には精霊の協力が必要不可欠だが、この森でしか使えないわけではない。国のどこにいようとも魔術は難なく使えるのだ。

 つまり、目に見えていないだけで精霊は何処にでもいる。

 何故住処を限定して、精霊と人間を切り分けて考えなければならないのかと述べた学者に賛同した者は当然多かった。


 以降、森の木を切り倒して開拓していくべきだという声明が何度も上がっているが、歴代の国王はそれを常に突っぱねていて、年々、騎士団による警備を強固にしている。


 至る所から延びる木々の枝を避けて進むが、陽が陰ったせいで見逃した枝が頬を引っ掻く。

 どうせ自分しかいないのだからと、情けない結果となった自分自身への苛立ちを思い切り吐き出した。


 騎士の巡回任務のために簡易的に整備した道の他に人間が通る道はなくて、元の場所に戻るには獣道をひたすら歩くしかない。

 巡回任務でのみ立ち入りを許されている特別な区域があると聞いて心待ちにしていたのに。

 これでは任務どころか、日が落ちる前に森から出られるかも怪しいではないか。


 気持ちのままに舌打ちをして森の奥を見据えると、ふと、目に留まった。


 宙にふわりと浮いている白い羽の鳥。

 木々の隙間から漏れる光が反射してなのかはわからないが、淡く発光している。


 その鳥の深い紫の瞳が俺を映した。

 それから、誘導するように細長い尾を靡かせて、緩やかなスピードで飛んでいく。


 どうしてかわからないが、その鳥を追いかけなくてはと。見失ってはいけないと、後を追う。


 どのくらい歩いただろうか。

 木々の隙間から照らされていた太陽の光は消えて、頼りは淡く光る白い鳥だけになってしまった。


 もうこの鳥を追いかけるのはやめようか。

 森の奥深くまで入ってしまっているだけではないか。


 来た道を引き返そうかと何度も思案するが、それでも体は勝手に鳥を追いかけていた。

 しかし、今まで誘導するようにゆったりと飛んでいた鳥がスピードを上げ、木々の合間を縫って視界から消える。


 走って追いかけようとすると、浮かび上がっていた木の根に足を取られて派手にこけた。

 情けなさ過ぎて今度は一際大きな溜息を吐く。


 目印が消えても、暗闇になれた眼はぼんやりと地形を把握できる。

 顔の前に腕を掲げて安全を確保しながら手探りで鳥が消えた先へと歩く。


 密集した蔦の葉に触れて、手を蔦の隙間に通してみると、明るい光が漏れ出た。


 騎士の巡回ルートには簡易的な外灯が用意されていると聞いていた。もしかしたら、逸れた仲間が俺のために火を燈してくれていたのかもしれない。


 ようやく元のルートに戻れると安堵して一思いに左右へと蔦を広げて身をねじ込ませると、あまりの眩しさに目を瞑った。

 勢い任せに突っ込んだので、そのまま体勢を崩して地面へと転がり落ち、何度目か数えていない情けない声が盛大に漏れる。この場に仲間がいたらとんだ恥さらしだ。


 目元を覆うことで徐々に目が慣れていく。少しずつ手のひらの覆いを外して辺りを見渡すと、そこには間近に迫る月明かりを反射する数多の青い結晶石と透きとおった泉があった。


 あまりの光景に息を呑む。


 眩しいと思っていたが、視界は青一色だ。

 止まっていた呼吸を一気に吸い込んで酸素が体中を巡ると、首を左右へと動かして辺りを観察する。


 もしかして、ここが巡回でしか立ち入りが許されないと言われる区域だろうか。


 けれど逸れた仲間は誰一人としていない。

 あると聞いていた外灯もひとつとして見当たらなかった。


 あきらかに月の光しかない真夜中なのに、眩しすぎて目が眩む。

 足元を埋め尽くす魔力を閉じ込めた結晶石が、地面を潤す清らかな泉が、そしてその中央に根を張る真っ白な樹木が淡く発光しているのだ。


 一つの雑音すら寄せ付けないような、そんな気配。

 音のない息を吐きながら体を起こして、恐る恐る泉の側まで近寄ると、片膝をつく。


 泉と言っても、湧水がほんの少し溜まっている程度の小さなものだ。泉との境界線もなくて、地についた片膝のズボンがじんわりと水を吸い込んで沁みてくる。


 取り敢えず、手袋を割いた枝に抉られて流れた血や固まった泥を洗い流したい。

 それに水を飲んで喉の渇きを潤したい。


 発光しているといっても、体に害がないことを今は信じよう。

 ここは聖女と精霊が棲む森なのだから、人間の毒ではないこと祈る。


「――――エクラシア・フィデラーレ」


 典型的な儀式でしか滅多に口にしない祈りの言葉を唱える。

 魔術の発動を促すものではなくて、精霊を信仰していることを示す言の葉だ。


 精霊様の水ならほんの少しだけ恵んでください、と心の中で祈って手袋を外した手を水に浸ける。

 澄んだ水は汚れた血や泥を綺麗に落とす。

 けれど、それだけではなかった。


「……すげぇ」


 泉に浸っていた手を顔の前へと掲げる。

 まじまじと手の角度を変えて観察しても、傷痕一つ残っていない。


 今度は不純物のひとつも混じっていないだろう透明な水を両手で掬い上げて口をつける。

 疲弊しきった脳が酒を煽った時のように一気に浮上するが、思考はクリアだった。


 国王がこの森に人を踏み込ませない理由が今ではなんとなく理解ができる。

 これは、人間の真っ当な思考を狂わせる。心奪われて独占したくなる代物だ。そうさせない為に、国で存在を隠しているのではないか。


 有難いことに傷も疲れも全て消えたのだから、長居するべきではないと立ち上がる。

 心を奪われる前に立ち去らなければならない。


 そうして帰り道を探して歩き出したところで、湾曲した幹の根元に横たわる人がいることに気づいた。

 地面に広がる滑らかな髪や白いローブに覆われた小柄な体格からして、明かに女性だ。


 騎士団に所属する女性騎士だろうかと首を傾げる。

 それにしては頼りないというか、儚く脆い印象だった。


 何はともあれ、まずは人命救助だ。

 俺と同じように逸れて、ここに辿り着いたのかもしれない。


 女性の正面へと回りこむと、背の後ろに腕を回して上半身を支えて呼びかける。


「大丈夫ですか、俺の声が聞こえますか」


 生きているのかと疑うほど、白く透き通った肌をしていた。

 血の気を全く感じなくて、細く伸びた首筋に手のひらを当ててみると微かに脈拍を感じて息を吐く。冷え切ってはいるが、体温も感じる。

 生きているらしいということは分かったが、担いで連れ帰ったほうがいいのだろうか。

 けれど、俺自身騎士団の巡回ルートを把握していないのだ。先輩の後を付いて行くだけの予定だったのだから仕方がない。

 夜が明けるまでここで目を覚ますのを待っていたほうがいいのか、それともまずは一人で帰り道を探すべきか。


 閉じられた瞼を見下ろしながら悩んでいると、その先を彩る長い睫毛が僅かに震えた。


 息を呑む音がした。

 それがどちらのものだったのかはよくわからない。


 ゆっくりと開かれた双眸が、俺をひたすらに見つめる。

 濁りなく透きとおる、蜂蜜色の甘ったるい瞳だった。


 視界が滲む。

 ひんやりと透く冷気が水滴の温度を下げて、余計に視界が滲んだ。


「また、貴方に会えたわ――セシル」


 名も知らぬ女性が俺の名を呼んだ。

 名は知らないが、俺はその女性(ひと)を知っている。


 目元を綻ばせて笑むその姿は、何度も夢に見た聖女そのものだった――





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