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宵に沈む「恋」なれば、  作者: 青葉 ユウ
-- 第2部 --
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◇20-2:慈悲深き星にお別れを




 リディアとともに歩くエリアスに付き従っていたレナードは、視界を遮られる濃霧が晴れ渡った瞬間、茫然と辺りを見渡した。


 隣ではリディアの護衛騎士であるウォルトとフレッド、そして少し後方にいたリオと魔道騎士団長のルイスも突然のことに目を見開いている。


 天を仰ぐと樹々の隙間からは太陽の光が所々で射しているし、足下に生い茂る雑草は青々とした深緑ではなく、枯れ果てた茶だ。


 濃霧の中に入っていく前は確かに宵の森だった。

 先陣を着るリディアの後を追って歩みを進めていたはずなのに、霧が晴れた途端に宵の森ではない何処かに立っている。

 なにより、肝心のリディアとエリアス、そしてセシルの姿が忽然と消えた。


「これは……。すまない、私は祈祷師様と距離が離れていてはっきりとは聞こえなかったんだが、彼女は『聖霊様と契約しに行く』と、そう言っていたか?」


 真っ先に状況把握へと切り替えたのはルイスだ。

 その声に幾分か冷静を取り戻したレナードが口を開く。


「はい。その後に、殿下に見届けてほしいと仰られて」


 ――――そして、消え去った。


 音のない呼吸とともに瞼を閉じる。

 利用していたのは我々ではなかったのだと知る。

 はなから彼女は聖霊との契約のためにここに来たのだ。



「我々はここで待つべきなのだろうな」


「それが、祈祷師様の意志なのでしょうね」


 共に宵の森に行きたいと話し、叶わないのが残念だと口にしたリディアはもういない。

 彼女はまさに、探し求めていた祈祷師と魔導騎士団の終点なのだ。


 それを待ち望んでいたはずのレナードは、嬉しいとも悲しいとも思えずにただ力なく握った手を下した。



 ◇◇◇



 見上げた宵は薄い水膜に反射した光で煌々としていた。


 彼の憧れを叶える唯一の祈祷師になれただろうか、と思うと胸が和らぐ。

 セシルはこんな形で叶っても嬉しくないと怒るだろうから結局は自己満足だ。それでも、その瞳の奥に応えを見つけられた気がした。


「あのお方が、貴女の話していた聖女様なのかい?」


 エリアスがリディアへと静かに問う。

 その眼差しは縫い付けられたように少し離れた樹木の幹に腰掛ける女性へと向けられている。

 もう美しいと讃えられる夜明けの色はどこにもなくて、『悪魔』を映しているエリアスの瞳には崇高な瞬きで満ちていた。


「言葉を正すと、契約の対価に聖女様の御身を宿主にした聖霊様ですわ」


「あれが……聖霊?」


 高潔で穢れのない気高さを纏う姿は、悪魔のもつ印象とは程遠い。


「ラティラーシア様は自らが望む国で在り続けることを求めたそうです。その国に必要な存在が魔獣と信仰の象徴となる私たちでした」


 ラティラーシアの望む国には、ある程度の犠牲が必要だった。

 初めは聖女が全て望んだことなのだと信じられなくて。信じたくなくて、疑ってしまった。

 それでも、ラティラーシアは確かに『聖女様』だったのだろう。

 他の誰にも成し得ない偉業を果たした。

 その結果が今のラティラーク王国なのだから。


「ですが、私はラティラーシア様とは志を同じくできません。魔獣も聖霊の加護もいらない国であってほしい」



 苦労の末にリディアへと顔を向けて口を開きかけたエリアスは、再び聖霊を見上げた。

 リディアも同様に、目の前に突如現れた聖霊へと視線を上げる。

 背が高いのではない。羽が生えたかのように浮いているのだ。


「どうやら決まったようだな?」


 嬉々として弾む声音に開いてしまった口を引き結んで息を吸う。


「私は魔獣が元の精霊の姿に戻ること、そして聖霊の加護が全て消えることを望むわ」


 揺らぐことのなくなった決意を音に乗せて、心の底からの望みを伝える。けれど、柔らかな弧を描いた聖霊から出た言葉は了承ではなかった。


「それは一度限りだろう。私が与えた条件を忘れたのか?」


「永久に続く契約、には足りないのね」


 頬に手を添えて、更なる願いを考える。

 聖霊が契約を結ぶ条件に当てはまらない可能性があるとは分かっていた。

 けれど、ラティラーシアのように国の在るべき姿を決めるのは違うと思うのだ。国が発展するための足枷になってはいけない。ラティラーシアの生きていた時代には理想的だったとしても、長い年月を経て思想は移ろうものだから。


「おっと、口出しをするなよ? 私はお前ら人間には聞いておらん」


 棘の刺さる聖霊の声で思考の渦から浮上すると、リディアへと顔を向けるエリアスと目が合った。自ずと張り詰めた呼吸が緩む。


 独りではないことを忘れかけていた。

 託したいと、エリアスの思い描く国を見たいと思ったのだから、そうすれば良いのだ。手の届く範囲のことをして、後のことは信じて任せたらいい。それが出来る相手がリディアにはいる。


「なら『聖霊信仰が根付くラティラーク王国の安寧』を加えるのはどうかしら」


 清らかな音を響かせる静かな水音の中で、凛としたリディアの声が空気を揺らす。


「そのために、唯一の象徴となる殿下が聖霊様の力を必要とした時には手を貸してあげてほしいの。もちろん、精霊にとって不利なものであれば拒否してちょうだい」


「ほう? お前との契約が潰えることのないよう人間の手伝いをしろということか。暇つぶしには丁度いいかもしれんな」


 愉悦に歪んで「契約成立だ」と続けた聖霊へと目元を細めて笑む。そうして、エリアスの正面に向き直る。



「私は他の誰でもない、私自身の望みを現実にします。それは聖霊様にしか出来ないことですから」


 エリアスは魔獣と祈祷師のいない未来を見据えている。

 けれど、それでは足りないのだ。

 聖霊の加護が存在し続ける国を許容したくないから、聖霊の手を取る。それが、他の誰でもないリディア自身の意志だった。


 エリアスの下ろしていた右手をとり、両手で包む。


「殿下は殿下が目指す国を、できることなら聖霊様に頼る必要のない国になることを祈っています――エクラシア・フィデラーレ」


 理想を確実にするために、エリアスは聖霊の力を借りるだろう。

 それでもいい。そのための契約だ。

 けれど、いつの日か奇跡的な聖霊の力を必要としない国になることを願って言の葉を残す。


 手の甲がひと回り大きな手のひらに包まれた。

 伏せていた目線が浮上する。そこにいるエリアスは、慈しみを含んだ朗らかな笑みを浮かべていて。その穏やかな眼差しがいつの日か相対した国王と重なった。


「祈祷師にも、聖霊にも頼らない国にすることを貴女に誓うよ。国を代表して礼を言う」


 他者の意見を仰ぐことなく決めた決断は単なる自己満足だ。この決断を望んでいない者だって沢山いるだろう。

 それでも、一筋の迷いもないのは信頼に足るエリアスのおかげだった。


 握っていた手を離して、最後に振り返る。


 ――別れの言葉はいらない気がした。

 いくら見ても見飽きることはない宵の瞳を眺める。

 目に焼き付けるようにセシルだけをただ見つめて、それから聖霊へと向き直ろうとして、左手首がじんわりと熱を持つ。


「待て」


 セシルの優しく染み渡る体温だった。


「君は死に行く訳ではないんだな?」


 透き通った響きの、それでいて甘さの含んだ声が耳に残る。ずっと、忘れることはないだろう。

 口早に問われた言葉に、なんと返すのが正しいのかを考えてからゆっくりと口を開く。


「そうね。聖霊様の宿主として、ずっとここにいるわ」


「なら、いい。私は君のように潔くはないとだけ言っておく」


「なぁに、それ」


 名残惜しさなんて微塵も感じないほどあっさりと腕を離されて、ニヒルな笑みでそう言い切られてしまえばどうしようもない。

 本当に、別れの言葉なんてお互いに必要としていなかったらしい。


 クスクスと声を出して笑うリディアを鋭く光る宵が射抜く。


「君もそうなれ。――私に再び会うことを祈れ。君の望みを叶えるのが君が言うところの()()()なのだろう?」


 唇を引き結ぶ。それでも、感情を隠すことが出来ずに頬が持ち上がった。

 クリアだった視界もじわじわと緩む。


 やっぱり、セシルには敵わないと思ってしまう。

 諦めさせてくれないのだ。無理だと思っていたことなのに、セシルの一言でそうなると気づいてしまったのだ。


 もう言葉は必要なかった。


 違うと否定をしていたが、これはやはり聖霊様の啓示なのだろうか、と考えを改めて当の聖霊へと向き直る。


 リディアが口を開くよりも先に、静かに傍観していた聖霊が冷笑しながら声を発した。


「お前は私のことを()()()と呼ぶことにしたのだな?」


 聖霊の存在を無視して長々と話していたことに対する不満がくると身構えたがそんなことはなくて、呆気に取られて気が緩む。

 人間からの呼称に興味もないと吐き捨てていた面影はまるでない。精霊が変わっていくことを嘆いていた聖霊だって、同じように変化するのだ。


「私の望みを叶えてくれる貴方は悪魔ではないもの。ラティラーク王国が信仰する聖霊様は貴方だけよ」


 表情を取り繕う必要はない。

 感じたままに浮かべた表情は、慈愛に満ちた聖女のような笑みになる。


「けれど、私との契約が終わる時、この地に聖霊様の居場所はないのでしょうね。だから今伝えておくわ」


 ひとつ、息を吸う。

 いつの日か訪れる遠い先の未来に向けて、言葉を紡ぐ。


「――さようなら、聖霊様。ラティラーク王国を支え続けてくれてありがとう。私は貴方に心から感謝しているわ」


 そうして、にっこりと口角を上げたリディアに聖霊も嬉々として弧を深める。


「ならば、私は別れのないよう人間に手を貸し続けるとしよう。お前が知る通り、人間は私の力を望まずにはいられないものだ」



 そうだろう? と、隣に立つエリアスへと視線を投げた聖霊の手がリディアへと伸びた。


 透き通るように真っ白で滑らかな手が視界を遮る。暗くなるはずなのに、淡い紫を帯びた眩い光に覆われていた。


 恐怖はない。

 未練も、後悔もなかった。


 それは、セシルに再び会えると確信しているからだ。

 その時の第一声はなんだろうか、なんて場違いにも考えずにはいられなかった――






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