◇20-1:星の導き
クロズリー領での巡回は終始順調だった。
リディア・クロズリーとして過ごしていた時はそれなりに領内の各地に足を運んでいたのだが、「どことなく似ている」といった抽象的な感想だけで本人ではないかと問われることはなかった。
これもエリアスに紹介してもらった教師の指導の賜物だろう。
そうしている間にも、エリアスとルイスが近衛騎士と魔導騎士を各々引き連れてクロズリー領に到着したことで、いよいよ魔獣掃討計画の実行日となった。
コンコン、と室内扉が叩かれる音がして返事をする。
祈祷師のローブを羽織りながら振り返ると、既に扉を開けて壁に背を預けていたセシルと目があう。
「伯爵と話さなくてよかったのか」
「ブルーナさんのことを頼めたから充分よ」
「それは祈祷師としての君だろう。個人的に話したいのだと思っていたんだが」
ずっと心配をしてくれていたのだろうか。
見上げる形となったセシルに目を細めて微笑む。
「顔を合わせてみると必要ないと思ったの。私のことを誰よりも近くで見てきた人だから、分かってくれるわ」
「――君に全てを隠していたのに?」
恨みごとの一つでも言わなくてよかったのかと言いたそうだ。
それに対してもやっぱり、リディアは笑む。
初めはセシルの言う通り問いただしたかった。
なぜ聖霊の加護が与えられたと知りながら伯爵令嬢として育てたのか。一般教養の幅を越えた知識を与えたのはなぜか。その上で恋愛結婚を勧めた理由と、祈祷師になる選択をした際に背中を押した理由。国王に求めた褒賞だって、祈祷師としてクロズリー領に戻ることを望むのなら、リディア・クロズリーを生かしておく必要はないのに。
けれど、祈祷師としてクロズリー領へと足を運び、クロズリー伯爵と挨拶をした瞬間に分かったのだ。
「きっと私が自分の意思で選べるようにしてくれたのよね」
そのために自分ができる最大限で、もしくはそれ以上に行動に移してくれていたのではないだろうか。
そうでなければ国王が口を出さないはずがない。
「私は今も昔も父に愛されているわ。それで充分よ」
心残りをなくすためにクロズリー領の巡回を望んだ。
その行程を終えた今、リディアが目指す場所は一つだった。
◇◇◇
枯草がカサカサと音を鳴らす。
伯爵邸から宵の森へと歩を進めているが、緩やかな丘になっているため境界線は曖昧だ。
では何処から宵の森か、となると判断材料はこれまでの巡回で学んでいた。
視界を遮られるほどの霧と、日の射さない密集した高木、そして季節感のない植物だ。
歩くたびに木々は増しているが、地面を覆う雑草は枯れて萎びれている。天候も良く木々の隙間から温かな陽気が射しているので、まだ魔獣の心配は不要だろう。
「殿下、私からひとつ提案があります」
「なんだい?」
隣を歩くエリアスに声をかける。
最初は騎乗しての移動を提案されたが、リディアが断るとエリアスも歩くことになった。
エリアスに従える近衛騎士にルイス率いる魔導騎士団、そしてクロズリー伯爵家の騎士団という大軍になったわけだが、その中で王太子が騎乗しないのは少々威厳に欠ける。
申し訳なく思いながらも、会話がしやすくなったのでリディアには都合が良かった。
それに、王都ならまだしもここは辺境のクロズリー領で、その中でも伯爵邸で囲った敷地の更に奥だ。誰の目にも留まらないのだから威厳なんてエリアスは気にしないのだろう。
「私とともに先頭を歩きませんか?」
リディアの前には、ルイスが率いる魔導騎士団が列を成している。
魔獣の討伐を目的としているのだから当然だが、万が一のことを考えると被害を出さないためにも出来得る策は尽くしておきたい。
「貴女が望むのなら私は構わないよ」
エリアスのあっさりとした了承で、後方を歩いていたリオが先頭にいるルイスの元へと走っていく。
「他に希望はあるかな?」
「いいえ。私の意を組んでいただき感謝しておりますわ」
既にリディアからの提案は全て組み込まれている。
それはクロズリー領で魔獣討伐を決行するということだけではない。
当初は祈祷師を総動員する案が挙がっていたが、リディアには容認できなかった。それは、聖霊と精霊がリディア以外の祈祷師にどのような影響を与えるかがわからなかったからだ。
そのため、フィリスには宵の森には決して足を踏み入れずに警備塔に滞在してもらい、カロリナには遠方巡回の行程を終えた後、王都ではなくクロズリー伯爵邸に滞在し、負傷して帰還した騎士のために待機してもらう形をとった。
本音を言えば大軍で宵の森に赴く必要はないのだが、エリアスの求めるきっかけのためにはそのほうが良いだろうし、リディアが聖霊の元へ行っている間に魔獣に襲われたとしても自分の身は守れるから問題ないだろうと思って、口には出さなかった。
遠くからルイスの号令がかかる。
前にいた騎士の歩みが止まり、その間をすり抜けて歩いていくエリアスの後をリディアも追う。先頭にいたルイスとリオに一言声をかけたエリアスは、リディアが隣に並ぶのを待ってから再び歩き出した。
吸い込む息が徐々に重さを増す。
歩いても枯れ葉の割れる音はしなくなったし、霧も少しずつ濃くなっている。
「――殿下。以前、殿下から伺った話は的を射ていましたよ」
空を見上げると、陽の光が射す隙間は既にない。
ここはもう宵の森だった。
「いつの話のことかな」
これまでリディアが交わしてきたエリアスとの会話は事実から憶測まで様々だ。
話を先延ばしにする必要もないし、時間も残されていない。
「祈りの力は悪魔との契約に似ていると仰っていましたね」
その話か、とエリアスが相槌を打つ。
「確かに、非常に酷似していました。けれど私達は契約をしたわけではありません」
「貴女が聖女から聞いた話なのかい?」
その問いかけには微笑むことで答えた。
「どちらかというと、幻の薬と同じで副産物なのでしょうね。この国は聖女ラティラーシア様が聖霊との契約によって望まれた在り方ですから」
ブルーナの祈りによって生まれたものが幻の薬だったのと同様に、ラティラーシアの望みによって聖霊の加護を与えられた人間が生まれた。
薄っすらと漂っていたはずの霧は、今では濃霧となり視界を白く埋め尽くす。
それでも足を止めることはなかった。
そんなリディアを遮ることなくエリアスも歩を進める。
背後でルイスの制止が上がる。
だが、分厚い壁で遮断されたようにその声がリディアの元に届くことはなかった。
「――私は、これから聖霊様と契約を結びに行くのです」
息を吸って、心の中で祈る。
聖霊の元へ辿りつくと信じて真っ白な霧の中を迷いなく進む。
「殿下はこの国を変えていく力のあるお方ですから。ぜひ、私と聖霊様との契約を見届けていただきたいわ」
吸い込む空気が透き通ったものに変わったことに気づいて、止まることのなかった歩みを止めて振り返る。
見慣れた金の髪と宵の瞳がはっきりと見えて、頬が緩んだ。
「もちろん、貴方にも。――この光景を貴方と一緒に見たかったの」
息を呑む音がした。
視界を覆っていた霧が瞬く間に晴れ渡る。
そこは透き通った青で埋め尽くされた、建国聖話で語られる宵の森そのものだった。




