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宵に沈む「恋」なれば、  作者: 青葉 ユウ
-- 第2部 --

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◇19-2:解けて混ざる




「エレナ様の話を、君にしたい」


 それはクロズリー領を目前に控えた夜のこと。

 食事を終えて宿の自室に戻っていたら、隣部屋と繋がる扉がノックされてセシルが現れた。


 部屋に用意されていた果実水をグラスに注ぎ、二人して腰を下ろす。


 満月に近い丸々とした月が空に昇っていた。

 ガラス一枚の大きな窓へと向けられたソファからは小さな街を見下ろせるし、空も見上げられる。

 巡回までに立ち寄る集落が経由する領随一の大都市になることはあまりない。ここも領の外れに位置する村の一つなのだが、地形の高低差を利用して宿泊者が夜の静かな時間を楽しめる造りになっていた。


 折角だからとランタンの火を最小限にして隅に置く。

 差し込む月明かりだけでも横に座るセシルの表情はよく見えた。


「直接言いたかったんだ。私の自己満足で、要は言い訳になるんだが」


 青く澄んだ、溶けてしまいそうな宵だった。


「そんな、どうしようもない私のことも君には知ってほしい――……」



 ◇◇◇



 セシルが王立学院のカリキュラムを終えて卒業したのは十八の時だった。

 学院生の頃から魔道騎士団棟や研究所に出入りし、実力を証明していたセシルは入団直後にエレナの護衛騎士に任命された。

 丁度、それまでの護衛隊長が王宮騎士への異動が決まったために編成の見直しをしていた時期だったのだ。


「私が入団した当時、レナードは隊長職を持ちかけられていた。彼のことは知っていたから、当然快諾するものと思っていた」


 知っている、という表現が挨拶程度の間柄ではないことが分かった。そんな素振りは見たことがなかったが、深い間柄だったと静かな声が物語っていた。


「だが、護衛隊長ではなく殿下の近衛騎士に選ばれて、『私が()()の間エレナ様を護ってほしい』と言われたよ」



 代わりに選ばれた護衛隊長は齢三十過ぎで、団長を除いた魔導騎士の中で最年長の快活な男だった。

 それから二年、平穏な日が続いた。


「今の君は誰の目から見ても『祈祷師』だ」


 セシルの眼差しが空へと向かう。

 リディアも同じように遥か遠くにある月を見上げた。


「あの人は誰の目から見ても『聖女』だった。人の喜ぶ姿があの人の幸福になる。それが親しい者でも初対面の相手でも、己の身を脅かす悪党でも等しく同列なんだ。私は尊敬もしたが、同時に恐れたよ。同じ人間には思えなかった」


 さらりと、視界の端で垂れ下がる髪が揺れた。

 横髪を梳きながら後ろへと流したセシルは、耳たぶに指先を這わせる。


 リディアの熱を奪っていく冷えた指先に、喉の奥が震えた。


「君は、これを七歳の頃に譲り受けたのだろう?」

「ええ」


 呼吸とともに頷く。

 元は祈りの力の発動を遮る魔術を組み込んだ指輪だとエリアスは言っていた。リディアが知り得る情報だけでも、エレナは指輪を受け取ってから聖女の元へ還るまで約十年もの間祈祷師として生きていたことになる。


「あの人は祈祷師になると同時に指輪が用意されていたらしい」

「同時に……?」


 感情のままに目を見開く。

 聖霊の加護は『他者のためならば自己犠牲を厭わない者』に与えられているが、祈祷師にならない限りは人間として普通の死を遂げる。

 自分の身を削っても構わないと思えるほどの他者への強い想いが、そう多くはないからだ。


 祈祷師に与えられる聖石と魔紋、そして言の葉という長い歴史が生み出した『思い込み』がなければ易々とは力の効力が発揮されない。それには同様に埋め込まれた祈祷師像も力になっているのだろう。

 そこまで用意されていても、祈れない時もある。


 それなのに、エレナには祈祷師になった時点で制御が必要なほどの力を有していた。

 これをエリアスは「聖霊の加護が増す」と考えていたが、聖霊は「使うたびにその身を侵蝕し、呑み込まれる」と言っていた。言い換えると、聖霊の加護との同化だ。


 エレナを『聖女』だと讃える理由がリディアにもわかった。

 セシルの言葉通り、エレナにとっては親しい者も赤の他人も平等に手を差し伸べる対象なのだ。



「祈祷師の死に際は隊長格以上しか知らない。部下に伝えるかは状況に応じて任されているが、指輪の存在は全員が知っている。増し過ぎた聖霊の加護は身体に負担が生じるから、とな」


 その言い回しは敢えてなのだろうなと思った。

 指輪が必要ない状態ならば身体には負担がないと解釈できてしまう。


「だが、あの人はその状態で十数年祈祷師で在り続けた。『特別な存在』だと全員が思っていた。――私も、その内の一人だ」


 自嘲めいた笑いが音もなく零れた。


「元々魔獣との遭遇率は多かったが、あの日は異様だった。どこを歩いても魔獣の気配を感じるし、霧が全くなかったことが何より不気味で、一旦引き返して様子を見ることにしたんだ」


 異変に気づいても王都への報告を急ぐ必要はなかった。

 それは、宵の森は全てにおいて未知だからだ。

 たった一度の異変に過剰に反応していては立ち行かなくなるし、その異変に対応できる人材を魔導騎士団に迎えている。

 そして、万が一魔導騎士が()されても、祈祷師が傷を癒す。人数は少なくとも、魔獣に太刀打ちできる体勢を常に整えているのだ。



 その日の夜も異様だった。

 深夜から明け方まで、断続的に魔獣が境界線を越えて現れた。一度に現れる魔獣の数は少なく、夜番の魔導騎士のみで充分に対応できたが、それでも一晩中魔獣が現われるなんて過去の記録にない。


 朝方に報告を受けた護衛隊長はエレナの元に魔獣が集まっているのではないか、と仮定を立てた。


「随分と突飛な発想だと思ったが、完全には否定できなかった。なにせ、あの人は特別なのだから」


 護衛隊長は宵の森の状況を確認する必要もあると言い、そのついでに寄ってくる魔獣を一掃してしまおうと発案した。

 護衛小隊と警備塔での任務に就いている魔導騎士数名、何よりエレナがいれば、魔獣の数が多かろうと充分な戦力と判断したのだ。


「もちろん止めたよ。ここまで異例の事態になっているのなら、一度王都へ報告するべきだとね。だが、隊長はその場の最終決定権を持っていた。加えて、入団してすぐエレナ様の護衛になった私を快く思っていなかったんだ。私が真っ先に反論したことが、彼を頑なにさせてしまった」


 嫉みは必要な判断を見誤る。


 その場にいた他の魔導騎士の中には、セシルに同意する者もいただろう。

 だが、地位も実力も兼ね備えたセシル・オルコットには、ほとんどが羨望や嫉妬の眼差しを向ける。そのセシルの意見に聞く耳を持たなかったのなら、他の誰が口を挟んでも無意味だと思ったのかもしれない。

 何よりも、全員が『特別な存在』だと疑わないエレナがその場にいる。


「あの人は他者の意見に異を唱えることはない。その時も、隊長が望むのならと快く頷いていたよ」


(私にはできない)


 憧れの祈祷師に少しでも近づきたいと思っていた。

 けれど、変わらずに尊敬する思いはあっても、今では手を伸ばせそうにない。


「私は内密に王都に知らせを送ることにした。夜番で魔獣と戦い続けた者の中にウォルトがいてな。適した人材だろう?」


 夜番で体力を消耗した魔導騎士を連れていくのは危険だ。場合によっては邪魔になる可能性もある。

 そして、ウォルトは実力があるが危険なものには決して手をださない。実力に見合った安全圏内で得られる功績を求めているのだ。セシルがその場で求めた最適な人物に違いない。


「前日と同様に霧は晴れていたが、少し進んだだけで魔獣に取り囲まれた。ようやく魔獣を殲滅したと辺りを見返したら、立っていたのは私とエレナ様の二人だけだったよ」


 セシルは前を見ていた。

 今目の前に起こっていることを説明するように、淡々と淀みなく言葉にしていく。


「私はその場で負傷した騎士の回復を祈ってもらった。魔紋が発動して目を開けると舞う光が多く感じた。私の手を覆うあの人の手が熱を帯びて、私の皮膚に爪が食い込んだよ。苦痛に歪んだ顔から薄っすらと開かれた瞳は、淡く透き通る紫に変わっていた」


 浅い息の根が開いた口から漏れた。

 ドクドクと激しく拍動する心臓とは異なり、末端の指先からは冷え固まっていく。

 セシルの見ている情景一つ一つがリディアの目の前にも広がるようだった。


「私は茫然としていたよ。声をかけることすらできなかった。エレナ様から放たれた白く目に刺さる閃光に耐えきれず目を瞑り、瞼を開けた時には手に感じていた体温は消えていた」


 瞼を閉じて、目を開けた。

 振り返ってセシルがいないと気づいた感覚を思い出した。


「私の前に落ちていた聖石の塊に向かって頭を下げて謝罪を喚く隊長の姿を見て状況を理解したが、全て手遅れだった」


 喉がつっかえて息が苦しい。


「殿下の言う通りだ。私は私の力を過信していたし、あの人を妄信していた」


 自然と涙が頬を伝っていた。


「魔導騎士は魔獣からも人間からも祈祷師を守る。君にそう言ったことがあるな。だが、実際に祈祷師を死に追いやっているのは我々魔導騎士だ」


「――――セシル」


 名を呼んで、その手に触れる。

 滑らせるように握ると、加わっていた力が緩まった。爪の跡が手のひらに残っていて、滲んだ汗が微かに残る熱すら奪う。


「私はレナードに顔向けができなかったから、せめて君が祈祷師にならないようにと声をかけた」


 口を開いたリディアを遮るように足速にセシルが言葉を落とす。


「君を代わりにして罪悪感から逃れようとしただけで、結局、私は自分の身を案じていたんだ」


 握っていた手を握り返されて、額へと持ち上げられる。懇願するように瞼を閉じたセシルに、開いた口を一度閉じた。



 励ましも慰めも求めていなかった。

 セシルに非があると責め立てる者などいない。だからこそ、副団長に選ばれている。


(だから殿下はあんな言い方をしたのね)


 いくら最善を尽くしたと励まされても、讃えられても、それはセシルには剣を突き立てられているようなものなのだろう。

 同罪だ、という非難は一種の救いなのだ。


「私は貴方に何度も救われたわ。貴方のおかげで、私はリディア(わたし)でいられるの」


 冷え固まった頬を持ち上げて精一杯微笑んで、なによりも伝えたいことを口に出す。

 何度だって同じことを言う。覚えていてほしい。全て、セシルのおかげで選べた道なのだと。



 持ち上げられていた手の指に薄く整った唇が触れる。

 ほんの少しの力で引き寄せられて、顔にかかった横髪を掬い上げられた。

 目線だけを上に向けると、セシルの指に絡まる髪はその口元に触れていた。

 伏せられた目を覆うまつ毛が、青白い月明かりできらきらと輝いている。


 息ができずにただ眺める。


 ゆっくりと持ち上がった瞼から覗く宵に、心臓が震えた。


 首に腕を回されて、また引き寄せられる。

 冷えた手のひらとは対称的な温かな吐息が空気を揺らいで伝わる。


 音のない口づけが額に落ちて、目元に落ちて、頬に落ちる。

 お互いの額が合わさって、鼻先が掠った。


 深く奥底まで沈む宵の瞳が澄んだ青を伴って、こちらを射抜く。

 視界の端で揺れる煌々とした金色の髪は、深い夜を照らす道標だ。


 触れている、と錯覚する程に吐息が近い。

 それでも視界を覆うことができないのは、目に焼き付けておきたいからだ。広がる宵の闇に沈み込んでしまいたいからだ。


「期待を、しているのか?」


 意地の悪い人だ、と思った。

 見えていなくても口角が上がっているだろうと想像がつく。


「これ以上君に手を出す気はない。思い出作りに協力する気はないからな。――残念に思うなら、無事に戻ることを考えろ」


 止まっていた呼吸がとうとう動き出す。

 酷い、と声に出さずに呟く。お互い様だ。



 更に抱き寄せられて、セシルの顔が左肩に埋まった。


「それに――君が祈祷師としている以上、邪魔者が三人もいる。君に手を出せないのが残念でならないよ」


 くぐもった台詞は本心から残念だと訴えていた。

 なんと答えたらいいのか分からなくて、とりあえず丸まった背中に腕を回すことにする。


 好き合っているけど、恋人ではないのだ。だから、このくらいが丁度いい。




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