◇17-2:狭間に立つ
「貴女には変わらずに聖霊の加護があるのね」
「……え?」
ぼそりと小さく呟かれた言葉に小首を傾げる。
何を当たり前のことをと思ったが、その考えをすぐさま否定した。
何日意識を失っていたかはわからないが、ブルーナの聖霊の加護を受け取ってから既に十日以上経っている。
王太子との謁見にすぐには応じないでほしいとは伝えていたが、ブルーナもカリナも置かれた現状に限界だっただろう。
セシルの容態が落ち着いたことを報告してくると言って部屋を去ったウォルトと入れ違いに入室していたフィリスの護衛隊長に不審がられないように意識を入れ替える。
「ブルーナ・ラザルさん、いつの間にか聖霊の加護が消えていたんですって」
「消えた……? えぇと、司教様からも魔導騎士団からもそのような話はお聞きしたことないのだけれど」
「前例がないらしいわよ。それで、殿下が私の加護はどうか確認にきたの。まあ私は変わらずあったけどね」
「……そうなのね。ブルーナさんは祈祷師になることを拒んでいると聞いていたから、良かったわ」
「貴女も王都に戻ったら殿下から確認されるでしょうけど、結果はでてるわね。残念……って思いたいけど、今は感謝してるわ」
つんつんと尖った口調で会話をしていたフィリスは、そのままの口調で言い難そうに感謝を紡ぐ。
ふいとそっぽを向いて恥じらう姿に、つい頬を緩ませた。
「私も、貴女に感謝しているわ。駆け付けてくれてありがとう」
視線だけが動いて、また逸らされる。
そして耐えきれないというようにフィリスが唸った。
「うぅ~、ふん!! 宿に戻るわ! 隊長もそのために来たんでしょう!?」
「うむ。君はそろそろ体が限界だと思うぞ。子どもは睡眠時間を多く取らなければな」
「やめてよ! 私はもう子どもじゃないんだから!」
まるで父子のような会話に目が細まる。
フィリスの様子から聞かなくても答えは導き出せそうだったが、それでもフィリスの考えを知りたくて口を開く。
「フィリスさん。ひとつ聞きたいことがあるのだけれど、いいかしら?」
背を向けて歩いていたフィリスが二つ結びの長い髪を揺らして振り返る。口をつんと尖らせて不機嫌そうだ。
「……なによ」
それでも会話はしてくれるようで、少しは気を許してくれたのかもしれないと思えた。
「フィリスさんは、聖霊の加護が無くなって欲しいと思う?」
「私は嫌よ」
逡巡の一切ない、あっさりとした返答だった。
果たしてフィリスは何処までを知っていて、何処から知らないのだろうか。ほんの少し前までの自分と同じように何も知らないのなら不思議ではない。
「理由を聞いても……」
じろりと睨まれて、流石に深入りしすぎたかもしれないと慌てて謝罪を口にしようとする。
けれど、それよりも先に声をあげたのはフィリスだった。
「お貴族様の貴女には分からないでしょうね。……私は平民よ。それも食い扶持を減らすために親に捨てられて、貧乏な孤児院で暮らしてたわ。そこが偶々聖堂の近くで、私に聖霊の加護が与えられた時に偶々司教様がいたの」
偶々、と強調して話すフィリスに息が詰まる。
「どうせ私はあのままあそこにいたら餓死してたわ。だから、今更長生きしたいなんて思わないもの。……祈祷師としての生き方以外わからないんだから、聖霊の加護が無くなったら困るの!」
言い切られた内容と、あまりの剣幕に言葉がでない。
(祈祷師が短命だということを、彼女は知っているの?)
魔獣に対する恐怖心からでてくる話しぶりではない。しかし、祈祷師自ら尋ねない限り事実を伝えない方針を魔導騎士団がとっているのに、まだ年若いフィリスが知り得るきっかけは何処にあったのだろうか。
「フィリス、君は知っていたのか? その……」
「なによ?」
「いや、祈祷師がだな、あまり長寿ではないということをだ」
顎に手を添えて言葉を絞り出したフィリスの護衛隊長は、曖昧な言葉で聞き出すことにしたらしい。その様子から、魔導騎士団から聞いたわけではないことがわかる。
「知らないわよ」
口をとがらせたままあっさりと告げたフィリスの答えに、護衛隊長は見るからに安心していた。
「いや、すまない。あまり長寿でないと言ってもな? ほら、祈祷師は心身ともに負担が大きいだろう? 君も巡回中に過労で倒れた者達を救ってきたからわかるだろうが、あまり気負わずに適度に休むことが必要だという事だぞ」
そう言って、にかっと豪快な笑みを浮かべた護衛隊長は自然に取り繕うことにしたらしい。
けれど、そんな護衛隊長をじろりと睨めつけたフィリスは「知らないけど、知ってるわ」と続けた。
「私はエレナ様が宵の森に行く姿をここから見送ったのよ? それなのに、魔導騎士は全員戻ってきてエレナ様は遺体も戻らないなんてあり得ないって、今ならわかるわ」
(そういう事だったのね……)
エレナが亡くなったのは三年前で、フィリスが祈祷師になったのはリディアが祈祷師になる半年前。
聖霊の加護が与えられて魔導騎士団棟に来てから祈祷師になるまでの長い年月を、彼女は魔導騎士団員や祈祷師と家族のように暮らし、教養を一から学んだのだ。
「重傷の騎士もいなかったし、セシルもあの日から変わったもの。ただ魔獣に襲われたんじゃなくて、ろくでもない死に方をするんだって、私にだってわかるわよ」
「ぐぅ……」
固く目をつぶった護衛隊長が唸った。その姿を見て鼻息をならしたフィリスは、今度ははっと大きく息を吸ってリディアへと視線を戻す。
赤茶色の丸々とした瞳と目が合った。
「ごめんなさい、私、貴女への配慮が足りていなかったわ……って、あまり驚いてないのね?」
「私は少し前に殿下からお聞きしたの」
「ふぅん? 逃げださなかったのね。でも、聖霊の加護がなくなるって知ったら気持ちも変わったかしら?」
「私は……」
聖霊の加護がなくなってほしいと思う。
けれど、自分のすべき決断をできずにいる。
「わからないわ。ごめんなさい、貴女に聞いたのは私なのに」
言葉と共に頭を下げる。
なんて情けないのだろうか。
目の前の年若い女性は、祈祷師の終わりを知ってもなお堂々と自分の意思を貫いているというのに。
「別に……いいんじゃないの? 今知ったばかりなんだし。そもそもどう消えるのかも分からないんだから考えたって意味ないわよ」
「ありがとう、フィリスさん」
「……私もう行くから。隊長も! 行こう! なんだかお腹空いてきちゃった!!」
居たたまれなさそうにしている護衛隊長の太い腕をフィリスが引っ張って歩き出す。
二人を見送ろうと少し後ろをリディアが歩いていると、足を止めたフィリスが首だけを動かして振り返った。
睨まれているのではない。ただ、じっと観察されているような眼差しが向けられて、リディアは微笑みながらも首を傾げる。
「――リディアさん、カロリナさんには同じ質問はしないでね?」
赤茶色の大きな瞳が静かに伏せられる。
「あの人は、子どもが好きなの。母親になりたいって今でも思ってるはずだから、期待を持たせないであげて」
少女だとか、幼いだとかは失礼だと思い知る。
そこにいたのは聡明で優しい心の持った、芯のある立派な『祈祷師様』だった。