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宵に沈む「恋」なれば、  作者: 青葉 ユウ
-- 第2部 --
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◇17-1:沈着した先



 触れた肌の温度をほんの僅かに下げる冷気が流れる薄明るい朝。

 いつもと変わらない朝だ。

 既に見慣れた警備塔の一室。


「リディアさん!? 目を覚まされたんですね!」


 普段と異なるのはリオの存在だけ。そして、視界に映るリオは涙ぐんでいて、目の下に隈があるからか少しやつれて見える。



「……リオ? どうしたの?」


「リディアさん、気を失っていたんですよ。一緒にいた副団長も……。覚えていませんか? 森で魔獣に遭遇してから何があったのか」


「セシルが、気を失った……? 一体どういう……」


 つきりと針が刺さるような頭痛がする。


「あっ、すみません。起きたばかりなのに……。リディアさんが目を覚ましたこと報告してきますね」


 慌てながら去っていくリオをぼんやりと眺めながら、リディアは先ほど言われた言葉を再び思い起こした。


(私達は宵の森に行って、そこで魔獣に遭遇した……)


 そう。そうだった。

 言われた言葉を復唱することで記憶が蘇る。

 なぜ忘れていたのだろうか。あんなにも鮮烈に印象に残る会話をしたではないか。


(聖霊が、私にも見えた……。それに到底信じられるものではないけれど、あの話こそが真実なのだわ)


 言い知れぬ不安がリディアを襲う。


(けど、セシルも気を失ったってどういうこと? リオのあの話し方ではまるで……)


 ――セシルと共にいたと言っているようではないか。


 会話を切り上げた聖霊は、消えろと言うように手を払った。

 たった一つの動作で宵闇に呑み込まれて、そして、それからの記憶が一切ない。


 考えられるのは聖霊がセシルの元まで送り届けてくれたという仮定。

 それしか思いつかない。



 単に眠っていただけでは「気を失っていた」なんて表現はしない。



(聖霊といたあの時間、私自身が皆の前から消えていたのなら、森の中を探していたはずだわ)


 意識だけが聖霊と合間見えていたのなら、気絶したリディアを連れて戻ればいい。セシルが隊から離れて別行動する意味はない。


 けれど、リディア自身が姿を消し、聖女の元へ還った証となる聖石もなければ人手を分けて探すだろう。

 そうして単独で行動していたセシルの元へと聖霊が送り返してくれた。

 その後にセシルが気を失ったのなら――


(セシルは無事なの?)


 リオの言葉の意味をようやく理解して、慌てて立ち上がる。


「うッ……」


 強烈な眩暈がリディアを襲ったが、それどころではなかった。

 ふらつく視界の中、家具や壁に体重を預けながら進むことでやっとのこと扉の前に立つ。


 セシルの部屋は一階下だ。階段を数段降りれば辿り着く。


(はやく、はやく……)


 疲労で気絶しただけかもしれない。けれど、リオの様子からはそう思えない。



 魔獣に遭遇して大怪我を負ったのではないか。

 気を失った私を守りながら戦って、負傷したのでは?



 早まる鼓動と歪む視界がリディアの判断を鈍くさせる。

 扉に体を預けたまま、ノブを回した。

 外開きの扉はリディアのかけた体重によって勢いよく開く。


「あっ……!!」


 縺れた足では踏ん張れない。そもそも、力が入らない。


 倒れる、と諦めかけたけれど、リディアを襲ったのは痛みではなかった。


(前にも似たようなことがあったわね)


 ふいに思い出す。

 リディアを支える、細身なのに固くて温かい腕。


 倒れ込んだリディアの視界には、深く濃い紫紺の騎士服があった。



「ありがとう、セシル」



「……期待に添えずすみません。もう少し休まれたほうが良いですよ、リディアさん」



 降ってきた声音で、ふわふわと浮いた思考は現実に引き戻される。


「ウォルト……ごめんなさい、ありがとう。それで、セシルは? 休む前にセシルに会いたいの」


 胸騒ぎがするのだ。ずっと、休む間もなく。


「ですが……」


「お願い!! ねえ、ウォルト。……セシルは無事、よね?」


「――行きましょうか。体を預けていてください」



 息の根も聞こえない一瞬の沈黙が、答えとなって表れる。

 たった数十秒。階段を数段降りた先までの、その長い道のりが生きた心地のしない常闇に紛れたようだった。



 ◇◇◇



 ウォルトが扉を開くと、すすり泣く音が耳に届く。

 感情のままに嗚咽を漏らす幼い女の子の声は、直ぐにフィリスだとわかった。


 軽傷であれば数少ない祈祷師を呼ぶことはない。

 押しかかる空気があまりにも重苦しくて最悪の事態まで頭を過ぎってしまったが、呻く重低音が聞こえて息を吐いた。


 苦痛に耐えるように漏れたその声は安心できるものではないのに、それでさえ安堵に変わってしまう。


 先に姿を消すことを許してほしいと思っていた。けれど、彼が先に消えることには耐えられない。随分と身勝手な話だけれど、リディアにとってのセシルはそういう存在で、いつの間にかセシルが怪我を負った姿を想像できなくなっていたのだ。


 ウォルトに支えてもらいながら静かに近寄る。

 寝台の脇で蹲るフィリスの横にリディアが膝をつくと、泣いてばかりだった赤茶色の丸々とした瞳がリディアを睨んだ。


「貴女のせいよ……セシルは貴女をかばって戦ったんだから。セシルは全身淀みに塗れていたのに、貴女はいつだって守られてばかり」


「フィリスさん、言い過ぎですよ」


「それなのに、どうしてそんな平然としていられるの!? 信じられない!!」


 ウォルトの制止を振り切ったフィリスの叫びに、私はそう見えているのかとリディアは思う。

 先ほどまでの焦燥が嘘のように凪いでいた。


 魔獣の淀みは人間の精神を狂わせる。

 意識のない中で顔を歪ませるセシルは、抜け出せない悪夢を見ているのだろうか。


 じっとりと汗が張り付く拳に指先を添わせる。


(もう、大丈夫よ……セシル)


 心の中で優しく投げかける。

 自分がいるから、なんて理由ではない。


 どうして平然としていられるのか。

 フィリスの問いへの答えは、()()()()()()()()からだ。


 聖霊の加護の譲渡ができると感じた時と同様に。あれは聖霊や聖女からの啓示ではないと今ではわかっているけれど。

 それでも、何者かから教え導かれたと感じずにはいられない。


「セシルは目を覚ますわ」


 フィリスへと顔を向けて笑む。

 セシルを一途に想い続ける、可愛らしい女の子だ。

 抱いているのは同じ恋心でも、自分とは似ても似つかないのだろう。


「なによ! 貴女が祈れば叶うとでも言うの!? 私は! いくら祈っても無駄だったのに……!!」


 震える叫びとともに溢れる大粒の涙へと手を伸ばす。

 触れる際にびくりと跳ねて、視線が混じる。


「私じゃないわ」


 涙がでないことが不思議だった。

 フィリスのように泣き叫びたいのに、それすらもできない。


「貴女の祈りが、唯一彼を救うのよ。――フィリスさん」



 私に宿る祈りの力は、決して私の祈りを聞き届けてはくれないのだ――――





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