◇16-4:迫る核心
「何故そんな表情をする?」
降りてきた声によって、虚ろな焦点が戻る。
美しい瞬間を切り取った肖像画みたいに微動だにしていない聖女が問うたとは思えなくて左右を見渡す。
それでも人影は見つからなくて、本当に目の前の聖女の声だったのだろうかと見上げた。
明け方の空の瞳がリディアから逸れることはない。
そうして、待っていたとでも言わんばかりに、ゆっくりと口元が動いた。
「此処に来たがっていたろう。何故だ」
「……私は、力を使い果たして死んでしまった。だから聖女様の元に還った、のですよね?」
違和感を覚えながらも、何故と問われた答えを述べる。
目の前にいるのは明らかに聖女だ。
けれど、冷笑する声音や見下される眼差しからは慈愛の欠片すら見当たらない。
(本当に、この方は聖女様なの?)
失礼だとわかっていても疑ってしまうほどに。言い伝えられている聖女ラティラーシアと似ても似つかないのだ。
「そんな話もあったか。あの女は随分と愉快な伝承を残したものだな。――安心しろ、人間。用が済んだら帰してやろう」
慈愛に満ちているはずの聖女にあるのは嘲りで。
その様を見ていると、俄には信じがたいが聖女に対する奇妙な違和感の正体に合点がいった。
「貴方は……聖女様ではないのね。聖霊王、それとも悪魔とお呼びしたほうが良いのかしら」
目の前の人物が指す「あの女」が誰か。そして、ひとを「人間」と呼ぶのはどのような存在か。
目の前の人物は聖女ラティラーシアであるという根拠のない確信を元に答えを探すと、それ以外に思いつかない。
「お前ら人間からの呼称など興味もないわ」
建国聖話で語り継がれている聖霊王の姿形がものの数秒で音を立てて崩れていく。
空いた口が塞がらないとはまさにこのことだ。
(この方が聖女様にお力添えしただなんて、信じられないわ!)
本心が言葉の通りだとすると、大分人間を毛嫌いしているらしい。
そんなリディアを他所に、聖女の姿をした聖霊王が表情を変えることなく口を開く。
「人間、死にたくなければ今後一切この森に足を踏み入れんことだ」
「それは、どうして?」
「精霊の望みを叶えたろう。魔獣になった精霊はお前に元の姿に戻してもらうことを期待して群がるぞ」
「魔獣が、いえ、精霊が助けを求めいるのなら、私はそれを無視できないわ」
「私の力は人間には分不相応なものだ。使うたびにその身を侵蝕し、呑み込まれるぞ? 何に行きつくかを知っておろう」
(『私の』力……?)
ラティラーク王国の建国聖話では聖霊王と聖霊がいて、聖霊の加護を与えられた者が祈祷師だ。しかし、話しぶりからは目の前にいる聖霊王の力を与えられているように聞こえる。
「それでも、試してみないとわからないじゃない。私が命を落とす確証はどこにもないわ」
「分かる。故にこうして忠告しておるのだ。諦めて森から去れ」
「私が精霊の望みを祈ることが何故いけないの?」
「聖女の意志に反する、といえば満足か? お前は聖女を敬っているのだろう。ならば従え」
迷いもなく言い切る様子とその物言いに眉根を寄せる。淡々とした物言いであったが、必死に言い聞かせているようにも感じた。
(どうしてかしら……)
増えていく違和感が妙に引っかかる。
そもそも祈りを聖霊が聞き届けなければ、祈りの力は発動しない。その力が他の聖霊ではなく目の前にいる聖霊王から与えられているのなら、祈りを叶えなければいいだけの話だ。
だというのに、聖霊王は「精霊の望みを叶えたら死ぬから、金輪際宵の森へは立ち入るな」と説き伏せようとする。
目立たないように一呼吸息を置く。
これは好機である。
リディアは会話の主導権を握るべく、勝算の検討もつかない賭けに出ることにした。
「――祈りの力に貴方の意志は関与しないのね? それに、一度与えた力を引き戻すことができない。だからこうして私を呼んだ。そうでしょう?」
目の前にいる何者かは、聖霊と呼んでいた者であって、王ではない。
じっとこちらを見下ろす唯一の存在の聖霊を見返す。顔色を読み取ることはできないが、口を開く素振りは見られない。
「このままでは貴方に不都合があるのよね。けれど、私に手をかけない理由もある。それは何?」
聖女の姿をした聖霊に対し、慈愛に満ちた聖女のような笑みを投げかける。
「貴方がそれを教えてくれるのなら、私も身の振り方を考え直すわよ」
それでも、口から放つのは明らかな挑発だ。
「良かろう」
能面のように感情を映さなかった面持ちが愉悦に歪む。それが吉とでるか凶とでるかは定かではないが、じっとりと滲んだ汗で体が冷えていくのを感じた――