◇16-3:前が見えない
数えることを忘れるほど薙ぎ払っても何処からか現れる魔獣を相手に疲労の色が見え始めた頃、事態は急変した。
辺り一帯を埋め尽くす強烈な眩い閃光。
瞬時に瞼を閉じて痛みすら感じる光から回避するが、同時にあの日と同じだと直感した。
今すぐに現状を確認したいのに、視界を白く埋め尽くす痛々しい光によって遮られる。
何もできない歯痒さを噛み殺して、現状把握と事態の予想、対処法へと思考を巡らす。
戦闘の合間合間で視界に捉えていたリディアは、途中でしゃがみ込んではいたものの苦しんでいる素振りは見られなかった。そもそも、淀みに触れもしていないというのに。
長く感じた閃光が消滅すると、すぐ様視線を右へ左へと走らせる。
全方位から囲んでいた魔獣は一体残らず消え去り、屠った残骸さえも無かった。どろどろと地面を赤黒く染め上げていた淀みは見る影もなく、長らくこの場で戦闘していたとは思えないほど草木がぴんと立っている。
今度は間をおかずに詠唱して魔術を発動させた。
大木を覆う氷壁が蒸発して一瞬で溶ける。その中にいるリディアは以前と同じであれば意識を失い倒れているだろう。
蒸気で視界が霞がかる中、大木へと駆ける。
「……リディア?」
大木といっても、一周しなければ把握できない巨木ではない。近寄れば反対側に人がいるかどうかは判る。
それなのにぐるりと一周した。
最悪の事態が浮かんで、今度は雑草の生えた地面に目を凝らしながら大木に沿って歩く。
足を止めると吸うことをやめていた呼吸がようやく空気を求めた。
「……副団長」
指示を求める声に瞼を閉じる。
眩い光とともに魔獣が消えた。リディアが宵の森に足を踏み入れた一度目と同様、祈りの力が発動したと判断するのが妥当だ。
同時に、リディア本人が消えた。祈祷師が消える理由で思い当たるのは唐突な『死』のみ。けれど、それを証明する聖石が見当たらない。
力の入っていた眉間へと手を当てる。
冷静さを取り戻すために深く息を吸った。
聖石が残らないほどの力だったならば、命が尽きても肉体は残ると言われている。
まだ、確証はないのだ。
宵の森は謎に包まれた未開の地なのだから。
「リオとフレッドは共に近辺を隈なく探せ。食糧が尽きる前には一度塔へ戻るように。ウォルトは応援要請の後、団長に事の次第を報告しろ」
「「「はい!!」」」
闇雲に探して見つけ出せる可能性は決して高くはない。そもそも宵の森の何処かにいるのかすら分からない。
けれど、その僅かな可能性に賭けるほかなかった。
◇◇◇
冷たく澄んだ空気が頬を撫でる。
「んぅ……」
徐々に覚醒していく意識の中で、また意識を失ったのかと反省する。頭がすっきりと冴えていて、何が起きたのかは事細かに思い出せた。
今回も警備塔の部屋まで運んでくれたのだろうかと瞼を開けると、透き通った青が視界を埋め尽くした。
(私、まだ幻覚を見ているのかしら……)
目が馴染んでくると、透明な青一色でないことがわかる。
地面を埋め尽くしているのは緑の草花ではなく小さな魔石だ。濁りのない結晶の中では火や水、風や土などそれぞれの魔力の灯が揺れている。
水底に沈む砂利のように角のない丸みを帯びた魔石は、触れるとひんやりと水の膜を感じた。
両手に力を入れて体を起こすと見えてくる景色が変わる。
広がる魔石の奥には清らかな音色を奏でる水辺が広がっていた。その奥には透く明るさを含んだ黄緑の草花と、真っ白な幹、そして深く蒼い枝葉。
映るもの全てが光放っているように見えて目が眩む。
見たことのない風景なのに、知っている。
幼い頃から何度も見てきた。夢に見てきた光景を私は目にしているのだ――
とくりとくりと脈打つ。
建国聖話を物語る挿絵の中に入り込んだような不思議な感覚に頬が上気する。
「セシル、見て……!」
いつものように後ろを振り返ると目があった。しかし、見慣れた宵の瞳ではない。
明け方の空のように美しいと讃えられる深い青紫に淡いオレンジが溶け込んだ瞳。
奥の景色が透けて見えるのではないかと思うほど、白く透き通った肌。
さらりと流れるプラチナブロンドの艶やかな髪。
湾曲した幹の窪みに腰を下ろしてこちらを見下ろす人物が誰か。
そんなもの、すぐに分かった。
夢を見ている気分だった。
けれど、見えるもの全てを映す目が、空気を感じる肌が、地面に触れる指先が、体中を巡る血液がこれは現実だと訴えている。
「聖、女様……」
喉の奥が震える。
祈祷師は民を幸福へ導くという役目を果たした後、聖女の元へと還る。
信仰を植え付けるための国にとって都合の良い造り話ではなく、それが事実なのだとしたら。
(こんなところ、来たくなんてなかったのに――)