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宵に沈む「恋」なれば、  作者: 青葉 ユウ
-- 第2部 --
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◇16-2:招かれる者



 覆われた薄い氷壁のなかで、ぼやけながらも見える魔導騎士の姿を目で追う。

 大樹の四方に散らばって魔獣を倒していくその姿は気後れを微塵も感じさせないし、動きだけならいきいきとしている様にも見えた。


 祈祷師の護衛につく魔導騎士は体を動かす機会が少ない。巡回の予定がない日は戦闘訓練もあるのだが、セシルは元々の副団長としての仕事があるため、他の者よりも圧倒的に時間が足りない。


 それなのに、誰に劣ることなく襲いかかる魔獣を流すように屠っていく。


(優秀だとか、有能だとか。そんなありきたりな言葉で表してはいけないのではないかしら……)


 息を吐くように魔術を発動させ、足場にして、盾にして、武器にする。鋭く研ぎ澄まされた剣術と組み合わさったそれらの威力は数倍にも跳ね上がる。


 剣術と魔術を組み合わせた戦闘は幼い頃から何度も見てきた。

 魔術を唱えるタイミング。発動までの間。種類の異なる魔術の組み合わせ。一瞬の判断力。

 最前線で剣を振るうセシルは、そのどれもが寸分の狂いもなくぴたりと合わさっているように見える。


 これまでは祈祷師の身の安全を第一にして前線に立つことはなかった。守る対象から離れてしまえばこうも俊敏に飛び回るのかと、翻るローブを見ながら思う。


 とはいえ。

 流石にこの扱いはどうなのだろうか、と宙を見上げた。

 そこにあるのは天高く伸びる大樹の枝葉――ではなく、氷の壁だ。


 リディア達が大樹の元に辿り着いた時には、既に周囲をぐるりと魔獣に囲われていて、薄暗い霧の中でも赤く光る瞳を数え切れなくなっていた。


 セシルが後方支援に徹していては数に太刀打ちできない。

 それを回避するために、大樹の周りをぐるりと囲むように氷壁を出現させてリディアを隔離した訳だが、氷の壁に遮られる直前の一言が余計だった。

 我々のことを思うのならゆっくり休んでいてくれ、という労りの言葉を要約すると、余計なことはせず大人しく守られていろという意味だ。


 魔獣に遭遇した一度目は、根拠のない自信と我慢が己のみでなくその場を混乱させてしまった。

 そして、それなりに剣術を学んできたから身は守れるという過信は、イグレス領でハリソンと対峙した際に思い知らされた。実戦では剣を握り続けることすらままならないのだと。刃を伝って手のひらに滴る血に呼吸が止まりそうだった。


 なにより、祈祷師の護衛を任された魔導騎士は実力者揃いだ。


 当然『護衛騎士に守ってもらう』という心持ちでいたので不満はない。不満はないのだが、ぐるりと氷壁で覆われて閉じ込められてしまう今の状況はこの場では最善だと分かっていても一言言いたくなってしまうのは仕方がないのではないか。


(それにしても……)


 頭にずきりずきりと重く響く何かを、流石に無視できなくなってきた。

 低く唸るような囁き声。

 木々の掠れる葉音が不気味に聞こえただけかと思っていたが、そうではないと知る。


 聴き取れないその音は、耳を傾けていると苦しくなる。怨念のように積み重なった恨みに埋もれる切実な何かが胸を打つ。


 聴き覚えのある既視感。

 充満した深緑に馴染む柔らかで華やかな瑞々しい花の芳香。

 氷壁越しに見える、真っ赤に燃え盛るルビーの瞳。


 あと一歩でその正体を思い出せる気がして、瞼を閉じる。


 訪れた暗闇の中で頭を(よぎ)ったのはレナードが語った話だ。


 いつ聖霊の加護が与えられたのか、という問い。

 それに対して、レナードは父とともにその時を目にしたと言っていた。


 母が不運の事故で命を落とした少し後のことだったらしい。

 忽然と部屋から消えた私を探し回って父が外に出た時に、宵の森の方角から淡い光を纏った私が現れた。その境を警備していた小隊の中にレナードがいて、それを機に私の専属護衛を任されたのだという。


 五歳の頃の話だ。

 年を重ねてから周りの大人に聞いた思い出話を自分の記憶のように感じているだけで、それ以外のことは分からない。母のことですら飾られている肖像画からぼんやりと思い浮かべる程度で、それが本当の記憶がどうかすら怪しい。


 思い出したくてもできないのだから、他人事のようにそうだったのかと納得する他なかった。


 馨しい花の香りが肺を満たす。

 体中を巡っていたそれはゆらりと脳を揺さぶる。


 閉じていた瞼を上げても視界が暗い。ひんやりとした氷壁から流れ出る冷気は変わらないため、黒い濃霧に覆われたこの空間は幻覚だろうか。魔獣の淀みには触れていないのに。


 ゆらゆらと揺らめく暗闇の中で、赤い光が揺らぐ。


 真っ赤に燃え盛るルビーの瞳。

 鮮血のように真っ赤な目。

 充血した、いつかの父の眼だ。


 あっ、と思った時にはもう視界が切り替わっていた。


 明かり一つない薄暗闇の部屋で、その赤だけは鮮明に映る。締め切られたカーテンの隙間から差し込む月明かりが水膜の奥で滲むそれを反射していた。


「お、父様……?」


 幻覚だと分かっていても、声をかけずにはいられない。

 床に転がる酒瓶の数に唖然とする。乱れた髪に皺だらけのシャツ、無惨に散らばった書類の数々。


 これは確かに幻覚だ。けれど、その全てが幻とは思えない。


 立っているのに、椅子に腰掛ける父を見上げなければいけないほど視界が低い。それに、扉の側から眺めているような立ち位置だ。

 これは私の記憶から消え去った過去の出来事なのだろうか。


 厳格な父は当然自分にも厳しい。こんなにも力なく項垂れた覇気のない姿を見たことがなかったが、この光景が実在していたのなら可能性は一つだ。



 淀んだ冷気に肌が粟立つ。

 どろりとした赤黒い淀みが床から泡立って現れる。沸々と湧き上がるそれは、散乱する書類や酒瓶を巻き込んで父を取り込んでいく。


 湧き上がる淀みがぐるぐると反転し、視界を覆う。脳を揺さぶる眩暈に耐えきれず地面に手をついた。暗闇で見えないが草と土の感触はある。幻覚に飲み込まれないように手のひらに意識を向けながらも、目の前の切り替わる視界を見渡す。


 今度は宵の森だった。

 けれど、今居る場所ではなく生い茂る草木の中である。

 目の前の獣道に沿って、草木の風景が後方へと流れていく。視点は相変わらず低いままだ。


 奥深い闇へと駆けていく黒い獣。それを追っているのは、五歳の私なのだろう。


 父が魔獣に変わってしまったのかと思った。けれど、姿を眩ました私を探していたのは父自身なのだ。目の前を走る魔獣は父ではない。


 ぐらりと視界が下がって、暗転する。

 間をおかずに浮上すると、追いかけていたはずの魔獣がすぐ近くでこちらを見下ろしていた。


 赤く染まる瞳がじっと私を見下ろす。

 丸みのある小さな手が魔獣の前足を掴む。どろりと沸き立つ淀みが手のひらから甲へ、手首へと滲む。

 徐々にぼやけていく視界の中で、漆黒の闇に潜む魔獣が光を纏う。眩くなった光が霧散して思わず目を瞑ると、薄暗闇の伯爵邸へと巻き戻っていた。


 暗い室内で淀みに取り込まれる父を見て、宵の森で魔獣を追いかける。その光景を二度、三度と繰り返して、ようやく腑に落ちる。


 この幻覚の正体が何か。

 なにを伝えようとしているのか。

 叫び声の主が誰なのか。


「貴方達だったのね……」


 いつだってこちらを見ては訴えかけてきていた、焼けつくような鋭い鮮紅。

 燃え盛る怒りの奥で救いを求めていたのだと、ようやく気づくことができた。


 それならば、私は祈ろう。

 聖霊の加護が与えられるきっかけとなった願いを込めて――





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