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宵に沈む「恋」なれば、  作者: 青葉 ユウ
-- 第2部 --
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◇16-1:宵の森



 三度目の宵の森は不思議な感覚だった。

 ざわざわと擦れる木々の葉音に混じって、何者かの囁きが聞こえた気がした。

 けれど、そんな気がしただけだ。


 近くにいた四人の護衛騎士にはそんな音は聞こえなかったらしい。セシルが眉根を寄せながら「些細でも気になったことは言え」と言ってきたので、つられて神妙に頷いた。



「歴代の祈祷師様って宵の森に対してどう思っていたのかしら?」


 青々と茂る獣道を歩きながら、思い立った疑問を口にする。

 木々の葉が色づく季節になっているにも関わらず、ここでの景観は以前と何も変わらない。



「フィリスとカロリナは薄気味悪いと嫌がっているらしいな」


「私が以前護衛に就いていた祈祷師様も、魔獣に遭遇する度に早く帰りたいと仰っていましたよ」


「そうなのね……」


 セシルとウォルトからの返答は予想通りではあった。

 祈祷師に限った話ではない。男女問わず大抵の人がそう思うことなのだ。


 それでも尋ねたのは、一つの仮定が確信に近づくと思ったからだ。



 思い込みと意志の強さ。

 祈りの力に必要なそれらは、宵の森でも当て嵌まるのではないか――という推測である。


 先頭を進むフレッドの後を歩きながら、ローブの内ポケットに仕舞い込んでいた小瓶を取り出す。

 半分ほどまで水を入れた瓶の中には、青い花脈を伸ばした小花がひとつ、ゆらゆらと漂っている。


 宵の森に足を踏み入れた一度目に手折った花。三月を超える長い期間を経ても、目を奪われた儚く清らかな姿を保っていた。


 けれど、手折った枝の挿木は呆気なく枯れてしまったらしい。それもリディアが警備塔を去った翌日に。


 祈祷師が育てると枯れないのではないかと仮説を立てた魔導騎士団の意見にリディアも納得していたし、流石に鉢植えを遠方巡回には持っていけない。


 手間を増やすことを申し訳なく思いながらも旅立ったのだが、僅か一日で終わりを迎えたらしい。遠方巡回を終えて王宮に戻ってきた際に魔導騎士の一人からその話を聞いたリディアは、残念に思うと同時に不思議だった。

 この小瓶の中を泳いでいる小振りな水色の花は今も枯れずにいるのにと。


(私が特別なのだとしたら、きっと――)


 フィリスにはなくてリディアにあるもの。

 魔導騎士団員になくてリディアにあるもの。


 答えの出なかった疑問が、祈祷師や聖霊の加護にまつわる真実を知ることで仮定を導き出せるようになる。


 一見馬鹿馬鹿しいと容易に切り捨てられる内容であるが、実体験がその可能性を物語っていた。


 一度目はこの花の成る蔦が巻きついた大樹の元へ。

 二度目は水音を追いかけて、深い霧で視界が遮られる水辺へ。


 リディアは長年宵の森を巡回している魔導騎士団が訪れたことのない場所へ辿り着いている。

 どちらも先陣をきっていた魔導騎士ではなくリディアが発端だ。



 それならば、望みさえすれば同じ場所へ行けるのではないか。

 歩いている方角は以前と異なる。同じ場所へは辿り着けないとの話もあった。二度目の巡回では、その話を聞いたことで諦めが強かったように思う。


 手元の小瓶を握りしめて当時を思い返す。

 確証はないがまたあの場所へ行けると思えた。



「あの人に恐れはなかったな。……あれは『憐れみ』だろうか」


 終わったはずの会話がセシルの一言によって引き戻る。

 その声音で、指している人物がエレナのことだと分かった。哀愁を漂わせているが、どことなく優しい。


「憐れみ……なぜかしら」


「さあな。あの人の考えることは私にも最後までわからなかった」



 誰に対して、何に対してなのだろうか。

 魔導騎士団と王族が知り得る事柄は全て聞き及んでいるというのに、憧れの祈祷師が抱いた感情の意味が理解できない。


 横を歩くセシルを見上げるが、残念ながら同じ方角を向いていたため顔が合うことはなかった。けれど、微かに見える横顔から、僅かでも柔らかな表情を浮かべているように感じる。


 以前は拒絶するように去っていったセシルが、こうしてエレナの話をしてくれたのは感慨深いことだ。


 リディアはセシルがエレナの護衛騎士だったことしか知らない。

 しかし、エレナが聖女の元へと還った時期とセシルが魔導騎士団副団長に昇格した時期が同じ年のため、察せることはある。


 エレナはセシルの目の前で消えたのではないだろうか。聖石だけを残して、忽然と。異国で使われている表現を用いるならば、それは『神隠し』のように。


 決して穏やかな最後ではなかったのだろう。負い目を感じる何かがあって、それを今でも悔いている。


 それでも、こうして穏やかに懐かしんでくれる日がくるのなら。



 セシルが変わったきっかけが私だったら嬉しい。

 彼にとって唯一の存在でありたい。

 いずれ――遠くない未来に、私の存在を懐かしんでくれたら喜ばしい。


 冷たいようで情が深い彼は、たとえ愛のない政略結婚をしても同じ時を過ごせば情が湧くだろう。その時に良い思い出として記憶に残る過去の存在になりたい。


 清らかさの欠片も無い、身勝手で欲に塗れた想いを嫌いにはなれない。


 手放せないのだから。

 手放してくれないのだから。


 だから、貪欲になろうと決めた。

 思い込みと意志の強さが祈りの力に直結するのならば、私自身の望みも叶えてくれると信じて。



 視線に気づいたのかこちらを向いたセシルに微笑み返す。目を細めていたリディアは、セシルの背後にある木々の合間に目が止まった。


 どうやら推測は正しかったようだ。

 記憶に焼き付いた蔦が蔓延る大樹がそこにあった。


「セシル、見て」


 歩みを止めて、ローブの裾を掴む。


 振り向いたセシルがリディアが指差す先へと視線を移す。


「副団長――」


 声を発するために吸い込んだ吐息に、切羽詰まったリオの声が被さった。

 それを皮切りに先陣を切っていたフレッドと数歩先を歩いていたウォルトをセシルが呼び戻す。


「以前と同じ場所なら、ここよりはましだろう」


 視線が合わない。

 一斉に駆け出した彼らの後を腕を引かれながら必死に追いかける。


 宵の森の空気がガラリと変わることはない。木々の不吉な騒めきもない。


 けれど、苦しい呼吸の中で大軍の魔獣が迫っているということだけは分かった。





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