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宵に沈む「恋」なれば、  作者: 青葉 ユウ
-- 第2部 --
68/96

◇15-8:請い祈がう

 


 返事は戻ってこなかった。


 グラスへと落ちた視線がこちらを向く。

 口角の僅かに上がった物柔らかな表情が続きを促していたが、それは諦めを孕んでいるようにも見える。

 そうであったら嬉しいという希望的観測かもしれないが。


「殿下から全て聞いたわ。聖霊の加護のこと、祈祷師のこと、そして私のこと。いくつかの話は、貴方にも伝えてくれとも言われたの」


 話を終えた時に、エリアスは敢えてセシルには知らせていない事があると言っていた。



 一つ目は、聖霊の加護が‟悪魔との契約”とも言えること。

 捉え方の問題であるし、それを知ったところで根付いた信仰は変わらない。(ひるがえ)すための根拠もない。

 そのため、留学に同行していたレナード以外には魔導騎士団長にしか伝えていないとのことだった。


 これまでの数日間に何度も思い描いていたのに、いざセシルに話すとなると上手く表情をつくれる自信がなくて、手元のグラスの、溶けた氷のその奥の色を見下ろす。

 深みのある紺青のグラスはフォスタールの街を歩いた時に買ったものだ。

 セシルの瞳と同じ、吸い込まれそうな宵がこちらを映す。


 思い出せる限りで、エリアスの言葉をそのまま伝える。

 淡々とした相槌が打たれて、話し終えた後も「そうか」とたった一言で締めくくられた。初めて聞く話のはずなのに、耳に入る声音だけでは驚きも動揺も感じられない。

 セシルなら一つの可能性として予想していたとも思える反応だ。



「もう一つは、私が祈祷師になる際に父が望んだ褒賞のことよ」


 口止め料とも言えるそれは、一度限りであるが大抵の望みを受け入れてもらえるらしい。

 これまで詳しく知ろうとはしなかったが、父であれば領地にとって有益な繋がりを得るだろうと思っていた。


「君の扱いを海外留学という形にしたことだろう」


「ええ。祈祷師は皆、その瞬間に亡くなったことにされていたのね。……私は知らなかったわ」


 カロリナもフィリスも、生まれ育った地では死んだことにされている。当然、巡回先からも外されるそうだ。それを二人は承知の上らしい。


 それなのに、褒賞という形でリディア・クロズリーという個人を生かした。

 その話を聞いた時、祈祷師でいられなくなった際には伯爵令嬢として戻ってきて良いという父の優しさかと思った。


 けれど、それも違ったのだ。



「褒賞はその他にもう一つあったの」


「なんだと?」


 今度は低く唸る怪訝な声音だった。エリアスの言葉通り、本当に知らなかったのだなと分かる。


「私が祈祷師や聖霊の加護にまつわる隠された真実を知った時に、ラティラーク王国の祈祷師になれないのなら」


 ――ラティラーク王国の、名も知らぬ国民の幸福を願えなくなったその時は。



 唇が震える。

 グラスの奥底の宵に意識を向けなければ、平常心が保てなくなりそうだ。


 セシルに知られるのが、怖い。

 それでも言わなければならない。



「クロズリー伯爵領専属の祈祷師になる。……それが、父が望んで陛下が承諾された褒賞なのですって」



 つまり、名も知らぬ者の幸福は命を賭して祈ることができなくても、クロズリー領の民のためならば祈りの力を使うのは容易だということで。


 伯爵令嬢リディア・クロズリーとしての戻りなど、望んではいないのである。



「私はラティラーク王国の祈祷師でいることを選んだわ。そして、それを証明してみせた」


「……証明?」


 感情の見えない単語だけが落ちる。


「殿下の祈りを聖霊様にお届けしたの。――聖霊信仰が根付くこの国の安寧と、殿下の後を継ぐ優秀な子がいずれ生まれることを」


 この国にとって最も重要で、祈祷師にとっては最も残酷だ。

 真実を知った上でそれを祈れというのかと、怒りさえあった。

 祈祷師となった者の犠牲で成り立つ国の安寧を。聖霊の加護を与えられた者が望めない子を授かることを。ラティラーク王国の祈祷師であれば当然祈れるだろうと、そう言い放ったのである。


 だからこそ、それは確実な証明になる。


「私は祈れた。……祈れてしまったのよ」


 凍えるほどに冷え切った心とは裏腹に、宙を舞った淡い光は温かかった。



「ようやく『祈祷師』になれたわ」


 グラス越しではない、本物の宵を見つめる。

 手を伸ばして、顔にかかる金色の前髪をそっと耳にかけた。隣に座って良かったと思えた。


「ありがとう、セシル。貴方の言葉ひとつひとつにリディア(わたし)は救われたのよ」


 一度、二度、三度、四度と思いつく限り数えていく。けれど、目に見える範囲を数えた数字に意味はない。


 笑みを浮かべようとしなくても、自然と頬が緩む。

 護衛隊長がセシルでなければ違う選択をしたかもしれない。塞ぎ込んで泣いてばかりだったかもしれない。

 こうして前を向けるのは、彼が私を見てくれていたからだ。


「私の傍にいろ」


 ぽとり、と静かにこぼされたその命令に逡巡する。

 勘違いをしてしまう。こちらを射抜く深い宵が、勘違いじゃないと言っているようで。

 即座に肯定してしまいたくなる衝動に駆られるが、私の中の冷静な部分がそれを許してはくれない。


「貴方が祈祷師(わたし)の護衛騎士でいる限り、傍にいてくれるのでしょう?」


 私がセシルの傍にいるのではない。

 魔導騎士団のセシルが祈祷師の傍にいるのだ。

 私達はそういう関係で、それ以上には決してなれない。誰からも許されないことなのだから。



「リディア――君が、私の元へ来るんだ」



 シン、と呼吸の音も止む。

 目を逸らしたいのに、それが出来ない。吸い込まれるような宵の瞳が、私だけを映して離してくれない。



「祈祷師は我々を幸福へ導いてくれるんだろう? 聖霊なんかじゃない。私の願いは、君にしか成し得ない」


「――……無理よ。侯爵様は認めてくださらないわ。私の父だって、許さない」


 オルコット侯爵は爵位を受け継ぐ前、王宮で魔術の研究職に就いていた。魔術の詳細を知り得ない社交界でも話題になるほど数多の功績を収めている人物が、祈祷師や聖霊の加護に関する事実を知らないはずがない。


 貴族同士の結婚に子の存在は必要不可欠である。

 養子を取るという選択は下級貴族なら稀に見られるが侯爵ともなれば話は別だし、騙し通せることでもないのだ。


「許可など必要ない。爵位を継がなければ済む、それだけの話だろう?」


 それだけだと言い切られてしまえば確かにそうだ。


 殿下と話した時と似てはいるが、やはり違う。

 場に似つかわしくない笑いが息を吐くように溢れた。


「貴方のその自信はどこからくるのかしら」


 普通ならば不可能だとしか思えない事柄も、彼が言うと簡単なことに思えさせてくれる。


「それで、君の返事は?」


 尋ねながらも断られるとは微塵も思っていないセシルは、いつの間にか普段の嫌みたらしい様子に戻っていて。つられて意地を張るような言葉が口をつく。


「考えておくわ。貴方が余所見をしないとは限らないもの」


「私をいつまで待たせる気なんだ?」


「そうねぇ……。殿下の婚約発表後は多くの女性が貴方を婚約者にと求めるわ。侯爵様も政略結婚を進めるはずよ。それでも貴方が魔導騎士であり続けたら、かしら?」


「ならニ、三年といったところか。随分と用心深いようだが、取り敢えずは君の護衛でいられる今の関係に満足するとしよう」



 短命といっても、祈祷師となってから十数年は保つらしい。

 だから、ニ、三年祈祷師として生きても、その後を祈りの力を使わずに過ごせば充分猶予はある。

 セシルにとっても許容範囲だったのだろう。



 優しい手つきで頭を緩やかに撫でられ、湿り気の残る髪が揺れた。


 甘ったるい薔薇が香り立つ。

 込み上げる感情に浸って、瞼を落とした。



 頬を伝う雫を指の腹で優しく拭われる。

 涙の溜まる目じりにキスが落ち、額が重なる。


 その熱を感じる度に何とも言えない気持ちが相まって滲む涙は増すばかりだ。


「なぜ泣くんだ」


 どことなく不満げな声音にふふっと息が漏れた。


「嬉しい時って、涙が出てしまうものでしょう?」



 好きなひとの幸せを願うのなら、はっきりと断るべきだった。切り捨てなければいけなかった。言葉で縛りつけてはいけなかった。


 それなのに、私はそれを望めない。


 私がリディア(わたし)でいられるひと。

 祈祷師(わたし)を私に引き戻してくれる唯一のひと。

 死の間際まで側にいてほしい。それが恋人でなくとも、夫婦でなくともいいのだ。


 ただただ、甘やかしてほしい。その優しさに酔いしれたい。

 なんと欲深く、浅ましいのだろうか。

 こんなものが「恋」と呼べるのならば、


 ――なんて、ずるい。



 ごめんなさいと心の中で呟く。


 誰に言われるでもなく自分で選んだ。

 祈祷師で居続けるためには覚悟を形にしなくては保たなかった。


 ブルーナさんに与えられた聖霊の加護は、今は私の内にある。

 思い込みと意志の強さが祈りの力の元になるのなら‟聖霊の加護の譲渡”はできるのだ。できてしまえたのだ。


 だから――――私はきっと、そう長くは生きられない。




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