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宵に沈む「恋」なれば、  作者: 青葉 ユウ
-- 第2部 --
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◇15-7:宵に恋して、

 


「……アさん、……リディアさん!」


 繰り返し呼ばれた名に彷徨っていた意識が呼び戻される。

 本を読んでいる間に寝てしまっていたのだろうか。


「毎日巡回をして、そのように本を読み込まれていては疲れるのも当然です。少し休まれては?」


「心配してくれてありがとう、ウォルト。けど大丈夫よ、少しうたた寝してしまっただけだから」


「そう仰ると思いました。ですが、明日の巡回はカロリナさんにお願いしてます」


「……どうして?」


 巡回中に疲れを見せるようなミスはしていない。疲労と捉えられる行いは、自覚のあるものだと今回が初めてだ。


「遠方巡回の下準備も終えましたので。私達はフィリスさんと交代で森の警備になりますから、明日は荷造りをしてください」


 そういうことか、と納得する。

 遠方巡回前は各地の下調べをしておく必要があるため、カロリナが巡回をせずに済むようにリディアは予定を多く組んでもらっていたのだが、その必要はなくなったらしい。


 今日中に使用人に言付けすれば、リディア自ら街に出ずとも必要なものは買い揃えてもらえる。

 了承を伝えて席を立つ。読みかけの本を抱えて自室へと戻ろうとすると、「それと」と声かけられた。


 普段は言い淀むことなく話を進めるウォルトの、いつになく妙な間に首を傾げる。


「後処理も残りわずかなので、副団長とも向こうで合流します」


 再び、そういうことかと納得した。

 慎重に言葉を決めてから目を細めて微笑む。


「向こうならセシルも少しは休憩できるでしょうから良かったわ」


 戻ったばかりのセシルが早々と宵の森に入ることもないだろうし、セシルと合流する前にウォルトの指揮で踏み入ることもしないだろう。


 それなら当分は警備塔でゆっくりとした時間を過ごすことになる。

 ウォルトが示唆する時間は充分にあるのだ。


「期限は次の遠方巡回まで、でしょう? 心配いらないわ」


 内緒話をするように指を添えて笑んでみたが、柄じゃなかったかもしれない。

 困ったように頷いたウォルトに軽く手を振って魔導騎士団棟の書斎を後にした――



 ◇◇◇



 警備塔に着いて三日。

 薔薇の花びらをふんだんに使った入浴剤を散らして、上気せる寸前まで入浴を楽しんだリディアが自室へ戻ろうと階段を登っていると、その先にある扉がゆっくりと音を立てて開いた。


 数段先の、更にその上を見上げる。



 ――――セシルだ、と思った。



 他にもっと考えなければいけないことは山ほどある。

 けれど、今はそれだけで良いのではないかと思えた。


 たいして休みを取っていなかったろうに、こちらを見下ろして立っているのはいつも通りのセシル・オルコットである。


 顔色は悪くなさそうだ。娯楽小説だとこういう時は『少し痩せた』と書かれているものだが、そんなこともない。久しぶりの再会に心を弾ませる淡い空気もない。

 元から毎日顔を合わせていたかのような、そんな見慣れたセシルだ。


 それがこの上なく嬉しくて、自然と頬も上がる。



「前から思っていたが、君は随分と長風呂だな」


「なぁに? 見張ってたの?」


 まるで終始見ていたかのような言い分に揶揄うように問うと、腕を組んだセシルが「そうだな」と頷いた。


 階段を登り切ってセシルと横並びになったリディアは眉根を寄せて口元へ手を寄せる。

 例えそうでも言葉選びには気を付けるべきだと言おうか悩むと、長いこと目にしていなかったニヒルな笑みが向けられた。


「君を待っていた、という点では同じかな」


「……貴方のそういう言葉選び、どうかと思うわ」


 見ていられなくて、ふいとそっぽを向く。

 洗いたての髪がさらりと靡いて、入浴直後の甘ったるい薔薇の香りがぶわりとその場を塗り替える。



「手土産を持ってきたんだ」


 組まれていた手にぶら下がるものが掲げられて、視界に入って視線が移る。暗闇に紛れる漆黒の紙袋に箔押しされた銀色の紋様に声にならない音が漏れた。


「私も実は食べたことが無くてね。君の部屋に招待してほしいんだが?」


 目が釘付けのまま、セシルの問いかけに首を縦に振る。

 王妃が大絶賛して王宮に何度も招いたと噂の店の紋様だ。素材や質にこだわり深い菓子を作り上げる職人がただ一人しかいないことも理由の一つだが、その菓子職人がとんでもない気分屋で、予約も取れないし、いつ商品が並ぶかもわからないと方々(ほうぼう)で有名なのである。


「……皆も呼びましょうか?」


 紙袋のサイズからして量はないだろう。けれど、こっそりといただくのは忍びないほど入手困難な代物だった。

 苦悩を滲ませたリディアに、鼻で笑ったセシルが今度は蕩けるような美声で囁いた。


「生憎、君と私の分しかない」


 どくん、と鼓動が揺れた。




 ――招待は翌日の明るい時間帯に、という発想はそもそもない。

 月の光に照らされる闇夜でしか口に出せないこともある。どうしたって先延ばしには出来ないことをリディアは悟っていた。


「ねえ、この瓶はなに?」


 包装紙で包まれたチョコレート菓子を丁寧に小皿に移すと、紙袋に併せて入っていた小瓶をランタンの光に透かして眺める。


 菓子にかけるシロップにしては量が多いし、飲み物ならせいぜい一人分だ。

 とはいえ、飲食のできないものと繊細なチョコレート菓子を同じ紙袋に入れる店ではないはずなので、どちらかだとは思うのだが用途が分からなければどうしようもない。


「香りを嗅ぐと分かるさ」


 何が面白いのか知らないが、頬杖をつきながらこちらを眺めるセシルを一見すると再び小瓶に目を向ける。

 密閉された瓶の蓋を中身が飛び出ないように引き抜くと、瞬く間に芳醇な香りが漂った。

 果実の甘味が凝縮された、吸い込むだけで頬が緩む華やかさの中には仄かにアルコールが馴染んでいる。


「とっても美味しそうなお酒だけれど、二人で飲むには少なくない?」


「君は限度がわからないみたいだから、そのくらいが丁度いいんじゃないか?」


「…………そうね」


 気心の知れた相手なら多少酔っても良いじゃない、と出る前に口を噤む。


 セシルはリディアがイグレス領で酔い潰れるまでお酒を嗜んだ日のことを言いたいのだろう。

 いくら常に行動を共にして慣れ親しんだからといって、異性であることは忘れてはいけない。好いている相手と二人きりとなれば、なおさらだ。


 菓子やグラスをテーブルへと置くと、円形の室内に沿って緩やかにカーブを描く長椅子に腰掛ける。

 テーブルを挟んだ向いには一人掛けの椅子もあるのだが、今日はセシルの隣にいたい気分だった。


「えぇと、何かしら?」


 並べたグラスにお酒を注ごうとすると、指先の伸びた手で待ったがかかる。

 唐突に詠唱が始まったかと思えば、グラスの中に大きな氷が落とされた。


 次いでひらりと手のひらを翻して合図を送られたリディアは、胡乱な眼差しをセシルに向ける。


 魔術は日常生活での便利道具のように気楽に使ってはいけないのだ。

 それをこの男は、と思うが今回は手土産に免じて見逃そう。


 今度こそお酒を注ぐと、カランと清らかな音色が鳴った。



 ◇◇◇



「ねえ、もし宵の森に夢見た光景が広がっていたら。貴方の望みが叶ったら、貴方は領地に戻って爵位を継ぐの?」


 以前ウォルトはセシルにしかリディアの護衛隊長は務まらないと言っていたが、セシルだっていつまでも魔導騎士団ではいられない。そもそも目的があって魔導騎士団に籍を置いているのだから、その目的が済んでしまえば居続ける必要はないのだ。


 ゆっくりと話をする機会がなくて聞くタイミングを逃していた問いを投げ掛ける。


 フォークを口に含んで舌の上で蕩けるチョコレートを味わっている間も返事がなくて、横を見上げた。

 セシルのいつもより見開いた目と目が合う。

 なにを言われたのかわからない、といった表情にリディアは小首を傾げた。


「貴方はそのために魔導騎士団に入団したのでしょう?」


 ぱちり、ぱちりと瞬きをお互いに繰り返す。

 それでも反応がなくて、ひらりと手のひらをセシルの顔面にかざす。


 疲れが溜まっているのだろうか。

 そんなリディアの心配に反して、震える身体とともに座面が揺れた。


「クッははっ」


 耐えきれない笑いが室内に反響する。


「ねえ、ちょっと、どうしたの?」


 こんなに声を上げて笑う彼を見るのはいつ以来だろうか。

 突然の奇行に思わず仰反ると、目尻に溜まった涙を指先で擦ったセシルは声を出して一呼吸吐き出した。



「そんな事を尋ねるのは君だけだ」


「え?」


「考えてもみろ。そもそも誰も信じていない話を、それが叶ったらなんて……考えたことなかったな」


 諦めを含んでいる声音だった。

 伏せられた瞳をじっと見つめると、柔らかな笑みが返される。


「だが、その時がきたとしても私は魔導騎士であり続けるさ」

「そう……」


 まるで、ずっと側にいると言ってくれているようだ。



 警備塔に来た一度目は夏の暑さが残っていた。それがいつの間にか厚手のストールを羽織る季節になっていて、月日の流れを実感する。


 お互いに率先してお喋りをするような性格ではない。常に隣にいることに最初は気まずさや居心地の悪さを感じていたが、それがまるっきりなくなったのは、深い霧の中寄り添って過ごした宵の森でのあの日以降で。

 初の遠方巡回は密度の濃い日々だったが、その分記憶として色濃く残っている。


 昔話など一度たりとも口にしていないのに過ごしてきた日々が蘇るのは、やはり、このお酒のせいだろう。



「君と二人で酒を飲むのは二度目だな」


 同じタイミングでセシルも同じことを思ったのだと知って、くすくすと笑う。

 既にお上品な量のチョコレート菓子は食べきっていて、元々少ないお酒も溶けた氷で水に近くなっていた。


「貴方の第一印象は相当酷かったわよ」

「そうだろうな」


 さらりと返ってきたその言葉に再び笑って、目尻の涙を指先で掬う。



「でもね? 今なら分かるわ。――貴方はあの時から私を守ってくれていたのよね」



 瞼を閉じて、当時を思い浮かべる。


(あの時、私はセシルの話が真実であっても必ず不幸になるとは限らないと言ったわ)


 やっぱり、その通りだと思えた。


「あのね、セシル。貴方に伝えたい話があるの」


 これ以上ない時間をもらえた。

 好いている相手と恋人同士なら、夫婦になれたなら、今日のような他愛もない日々を過ごせるのだろう。父が恋愛結婚を薦めた理由も今なら理解できる。


 だから、もう充分だ――





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