◇15-6:嘘も誠
「もし、祈祷師にならなかった場合、結末は異なっていたのですか?」
青褪めた唇を震わせて、声を絞り出す。
エリアスは一貫して祈祷師を指していた。それでは、祈祷師でなければ違うというのか。その差は一体なんなのか。
「そこが不思議なんだけれどね。力を使わずに生きていれば、結末はただの人の死だ。亡骸は残るし聖石は生み出されない。憶測だが、その身を占める加護が少なくて結晶化しないのではないかな」
その言葉に息を吐いた。
聖霊の加護をもっていても、その存在に気づかず一生を終える者はいるはずなのだ。忽然と姿を消すという、生死さえ不確かな救いのない終わりでないことに心の底から安堵した。そう思えた自分自身に涙が出そうだった。
「祈りの力は聖霊の加護でもあり、悪魔との契約でもある。その違いは我々がどう受け取るかで、ラティラーク王国ではそれを“聖なるもの”として扱ってきた。それだけの、些細な話だよ」
「……そうですね。よく、ある話です」
捉え方が違う、というのは普段生活している中でも度々ある。育った環境が違えば尚更顕著に現れるのだ。今回は規模が大きく異なるだけで「それだけの、よくある大したことない話だ」と言ってしまえば、それで終わる。要はエリアスにとってその程度の話なのだ。
「既に気づいているとは思うが、そもそも祈りの力には聖石も魔紋も、言の葉も要らないんだよ。ブルーナ嬢は貴女と違って信心深くないしね」
押し寄せる情報量のせいで、止まることなく巡る思考に追いやられて忘れかけていた謎の答えが降りかかる。
(聖石も、魔紋も、言の葉も――? )
幻の薬の件で、祈りの力の発動に聖石が必要ないということは想像がついていた。
けれど、つらつらと並べられた三連符に開いた口が塞がらない。
その三つをとってしまえば何も残らないのだから。
「では、何故必要なのか。一つ目は、聖霊信仰を確実なものとするためだよ。祈りを捧げても目に見えた証拠がなければ、後に叶ったとしてそれが祈祷師のおかげだとは思わない」
幼い頃から聖霊信仰と共に生きたリディア自身は、その感覚がわからない。国の言い伝え通り祈祷師が願いを届けてくれたと信じるだろう。
だが、ベルナール領で祈りを捧げた者達ならどうだろう。そもそも祈祷師の存在を知らなかったり、お伽話としてとらえていた者もいた。異国の商人や旅人からは物珍しさと興味本位の眼差しが終始向けられていた。噂話につられて訪れただけで、本当に祈りが叶うとはさして信じていなかった者も多々いたのだ。
純白のローブを着た聖職者気取りの女と握手をして言い慣れない言の葉を唱えたとして、目を見張るような変化が起きなければまぐれだと思う可能性は高い。
異国の商人や旅人の中には祈りと同時に瞬いた淡い光の粒を目にしても、なにか仕掛けがあるのだろうと、光を放つ魔術なのだろうと最後まで疑いの目を向けていた者もいたのだから。
「人の信仰心を維持するためには目に見える何かが不可欠だと思わないかい? 信仰が国を創る。ラティラーク王国は聖霊信仰によって守り抜かれた平和なんだよ」
「……ええ、そうですね」
エリアスの言う“目に見える何か”は祈祷師だけの話ではない。
今まさにリディアが目にしている、聖霊を映し出す瞳だってその一つだ。というよりは、国を統べる者にのみ与えられる明け方の空の瞳がなければ聖霊信仰はこれほどまでに根付いていなかっただろうし、王族貴族問わず、権力争いは加速していたに違いない。
「二つ目は聖霊の加護がある者がその力を行使しやすくするため、と言ったら貴女はどう思う?」
「どう、と言われましても。私は祈りに必要不可欠なものと思っておりましたので」
考える余裕もなく、瞬時に想像ができないと率直な感想を伝えると、エリアスはゆっくりと話を続けた。
「その力は他者への強い想いで成り立っている。相手が親族や恋人、長年交流のある友であれば話は別だが、名も知らない初対面の相手の幸福を、自分の身を削ってまで祈れる者などいないだろう?」
耳に残る声音で語られる一言一言をそのまま思い浮かべる。父や亡くなった母、弟、クロズリー伯爵家に仕える騎士や使用人、そして穏やかで心優しい領民達。皆の安寧を幼い頃から毎日祈り続けてきた。けれど、それら全てが命を懸けた祈りかと問われれば即答ができないことを知る。
「それを容易にするのが聖石であり、魔紋であり、言の葉なんだ。内なる加護では足りないから、過去の祈祷師から恩恵をもらう。そして、言の葉を唱えれば魔紋が発動して祈りが聖霊の元へと届くといった思い込みが祈祷師の意志をより強固にするんだよ」
「思い込みと、意志の強さ……」
祈りの力の発動には聖石も、魔紋も、言の葉すら必要ない。唯一必要なのは他者への強い想いだけ。そして、“思い込み”はその意志をより強固にする。
(それらが嘘偽りない真実だとしたら、私は……)
先ほどエリアスに「君ならどう思う」と問われた時は考える余裕がなかったのに、今は自分のすべきことが真っ先に浮かんだ。啓示を受けたかのようなそれには絶対的な確信もあったが、到底素直に喜べるものではない。
思わず視線が床に落ちたリディアの姿が、エリアスには祈祷師になったことを悔やんでいるように見えたのだろう。労りの混ざったような優しい声ではあったが発する内容は淡々とした冷ややかな言葉だった。
「追い打ちをかけるようで悪いけれどね、貴女が肌身離さずつけていたそのピアスには、祈りの力の発動を遮る魔術が組み込まれていたんだよ。まあ、そもそもの祈りが強ければ何の意味もなさないから、気休めに過ぎないんだろうけれどね」
(祈りの力の発動を遮る……?)
予期せぬ追い打ちに、震える手で右耳から垂れ下がるそれに触れる。聖石とは異なる青みがかった深い紫の石が無機質な温度で指先を冷やした。
「ですが」
憧れの祈祷師から譲り受けたピアスは今でも大事なお守りだ。当然、祈祷師として行動してきたこれまでの間も肌身から離すことはなかったが、祈りの力は問題なく発動していた。
リディアの言わんとしていることが容易に想定できるエリアスは、その答えを早々と告げる。
「私がその魔術を解いたからね。いつだったか、思い出せないかな?」
魔術を学ぶ機会がなかったリディアは書物から得られた数少ない知識と騎士が魔術を発動する場面を目にしてきただけで、その詳細や原理は全くの未知だ。
それでも明白だった。
「ピアスについて尋ねてこられた時、ですね」
祈祷師になるか否かの答えを伝えた日。部屋を後にしようとしたエリアスが、尋ね忘れていたと言わんばかりに振り返って身を寄せてきたあの時。全てを聞き終えて満足したエリアスがピアスにキスを落として去っていった、あの一瞬。
想像もしない唐突な展開についていけずにその意味を深く考えたことはなかったが、全てを見通しての行動だったことに無礼だということも気にせず眉根を寄せる。
「先ほども触れたように、それに組み込んでいたのは祈りの力の発動を遮る魔術だ。聖霊の加護が強まった時に、些細な願いを全て叶えてしまっていては身が持たないだろう? だから、我々はつけ外しのしやすい指輪にしているんだけれどね」
後に続く言葉が嫌でもわかった。
「貴女はそれをピアスとして身につけてきた。……私がこの話をした理由がわかるかい?」
エリアスの言葉に瞑目する。一呼吸を置くと、左方に控えているレナードへと視線を上げた。
「貴方はどの時点で知ったの? レナード」
自分でも驚くほど穏やかなものだった。
同情の一切ない、淡々と事実確認をするだけのエリアスとの会話は、気落ちしても、思考が止まりそうになっても、取り乱しそうになっても、祈祷師としてこの場に立っているのだということを忘れずにいられる。
「魔導騎士団に入ってから? 私がエレナ様から指輪を受け取った後? ……それとも、私の護衛騎士になった時には既に父から聞かされていたのかしら?」
心の底から疑問で仕方のない率直な問いかけに、エリアスの目くばせによってレナードが口を開く。
「私とクロズリー伯爵は、リディア様に聖霊の加護が与えられた一時に立ち会いました」
これから懺悔するとでもいうようなレナードに、やはり昔から変わらないなと場違いにも思った――




