◇15-3:行先は闇路
不快に思われる内容が含まれているかもしれませんが、異世界が舞台の小説ですので、ご理解のほどお願いいたします。
魔導騎士団員の個室が並ぶフロアで目的の人物の扉をノックすると、休みだというのにきっちりと身なりを整えた姿で現れた。
「朝早くからごめんなさいね。今日の予定は空いているかしら」
「ええ、今日一日をどう過ごそうかと悩んでいたところです」
爽やかな笑みを浮かべたウォルトには既に訪れた理由を察せられている。折角の休みを丸々潰してしまうことは申し訳ないが、手当の上乗せがされるようなのでその点では少し気が楽だった。
「王立図書館に行きたいのだけど、付き添いをお願いできる?」
「構いませんが、昨日も書斎で熱心に調べものをされていましたよね。顔色も幾分か青いですし、少し休まれたほうがよろしいのでは」
やはり気づかれてしまうかと頬に手を当てる。
血の気が良く見えるよう化粧を施したつもりだが、魔導騎士の目は誤魔化せなかったようだ。
「今回は付け焼刃だったから、今後のためにも学ばなくてはいけないもの。興味深い本があって眠るのが遅くなってしまっただけだから心配しないで」
元々決めていた言い訳を並べながら、ウォルトの表情の動きを追う。
(やっぱり……ウォルトは私が何を調べても口を出さない気がするわ)
それが真っ先に声をかけた理由でもある。
もしウォルトに予定があったとしても、リオやフレッドに頼む気はなかった。王立図書館に行くのは明日以降でも良いのだ。けれど、護衛役は彼でなければならないと直感が告げていた。
心のどこかで知らなくていいことだと拒絶している。
しかし、疑いを抱えたままでは祈れない。
祈祷師の心の在り方はそのまま祈りの力の発動に影響するのだ。
祈りが聖霊に聞き届けられたと実感できる、誰の目にも映る温かな光の粒。それが今ではとても忌々しいものに思えた――
◇◇◇
王立図書館の入館には身分証が必須である。
貴重な文献を数多く取り揃えているため、汚損や破損の際に責任能力が求められるからだ。そのため、王立図書館を利用する者の多くは学院生や貴族、研究者や医者等の学を身に付けた者が多い。
かくいうリディアも祈祷師になる以前は何度か訪れていた。
当時はクロズリー伯爵家の紋章入りブローチで出入りしていたが、今は王宮勤めの侍女としての身分証がある。
魔導騎士団棟や警備塔の書斎には質の高い本が並んでいるがそのどれもが実用的な内容だ。その点、王立図書館には幅広い分野の本が取り揃えられており、刺繍模様の載った本や楽譜、有名な舞台脚本や物語も置かれている。そのため、休みの日に利用できるようにと祈祷師になった際に渡されていたのだ。
受付の門番に用意していた身分証を見せるとすんなりと通される。
王宮勤めとなれば給金も安定しているしマナーや教養も高い水準が求められるため、侍女が訪れても足を止められることはない。
「私は医学書を読もうと思っているのだけれど……」
真横を歩くウォルトを見上げて伺うと、心得ていると頷きで返される。
「それでは私は一足先に個室を押さえておきますね。ごゆっくりどうぞ」
「そうさせてもらうわ。ありがとう、また後で」
王立図書館内には至る所に警備員がいる。
行き先さえ伝えておけば魔導騎士が付きっきりにならなくとも、さして問題はない。
その上で、ウォルトは心の機微を察せるという点で非常に優秀だ。
医学書は魔導騎士団棟の書斎にも十分なほど揃っている。そして、リディアが昨日それらをひたすら読み込んでいた姿は、何度か顔を合わせたウォルトは知っている。
それなのに王立図書館に出向いてまで再び医学書を読むという行為は、魔導騎士団棟の書斎では知り得ない知識を求めていることに他ならない。
それを追求せずにリディアに一人になる時間を与えてくれているのだ。「ごゆっくり」という言葉まで付け加えて。
(ウォルトは知っている、のよね?)
ブルーナからもたらされた情報は二つある。そのどちらもラザル伯爵が捕らえた元魔導騎士から得たものらしい。そして、話している最中に血を吐いて苦しみながら息絶えたのだという。
ラザル伯爵は“元魔導騎士を拷問した挙句、殺害した”として王命により罰せられたが、それは事実ではなかった。元魔導騎士が口外を禁止されている重大な秘密を口にしたために、魔術によって死んだ。
つまりは、元魔導騎士から得たというその情報が真実なのである。
亡くなった元魔導騎士が祈祷師の護衛騎士だったのか、そうでないのか。はたまた、隊長を任されていたのかは公にされていない。
けれど、ウォルトは魔導騎士としての経験が長く、リディア以外の祈祷師の護衛も務めていた。護衛隊長になる基準にも達している。それで知らないほうがおかしいだろう。
なによりも、拝命式を終えたあの日に魔導騎士団長であるルイスが「情報が足りず身動きが取れなくなることがあっては困る」と言っていた。
聖霊の加護と祈祷師。
どちらにも関わる重大な秘密を魔導騎士団内では共有して当本人である祈祷師には伏せておく。
それは、守るべく国のためなのだろう。
魔導騎士団は祈祷師ではなく国王に忠誠を誓っているのだから。
「…………あったわ」
医学書が並ぶ書棚の前で背表紙をなぞりながら一冊ずつ丁寧に目を配らせると、魔導騎士団棟の書斎では見つけることのできなかったものが、いとも容易く見つかる。
『医学教本Ⅵ ―妊娠から出産までの過程―』
気が先立って、立ったままページをぱらぱらと捲る。
医師を志す学院生のためにつくられたものなのだろう。本のタイトル通りの説明が挿絵を伴い丁寧に書かれていて、医学知識が乏しくとも記されていることが頭に入る。
そして、一ページ目から丁寧に目を通していたリディアが求めていた答えを見つけるのに大した時間はかからなかった。
(『妊娠の有無を判断する最大にして確実な要因は“月の病”が訪れなくなることである。月の病とは穢れた血が流れ落ちる現象であり、子を成せる女性に定期的に訪れる』ね……)
二度では足りず三度繰り返した。一部の文章の切り取りでは誤解があるかもしれないと思い、前後の文脈も注意深く確認していく。
更には、著者によって見識も違うものだと似たタイトルの書籍を探しては読み込んでいく。
そうして書棚の下段までしゃがみ込んで目を通したところで、両手で顔を覆いつくした。
リディアに“月の病”が訪れたことは一度もない。
そもそも、そんな現象が女性の体に定期的にみられるとは知らなかった。
それでも、些細な違和感を時折感じていたからこそ納得も出来てしまったのだ。
クロズリー伯爵家には年若い女性の使用人も多くいた。青褪めた顔でフラついた使用人を休ませようと声をかけると、いつものことだから平気だと弱々しく話していた。
遠方巡回でベルナール公爵家に赴いた際には公爵夫人が貧血で安静にしていた。そんな公爵夫人の様子がいつものことだというフィオレナ自身何度も経験があって、食事に気をつければいいのだと心配すらしていなかった。
どの本にも『月の病は齢十二から十六の頃に始まる』と書かれている。
そして、リディアが社交界デビューしたのは十七のときだ。
月の病が訪れないことが聖霊の加護の影響なのだとしたら、一体何を信じればよいのだろうか。国王も司教も、自分の父ですら疑わしい。
――女性を弄ぶ? 貴女方は違うでしょう?
聞き流したはずのハリソンの一言が、ふと蘇る。
あの言葉は彼にとって世迷い言ではなかったのだ。
(でも――)
――祈祷師は国に幸福を与へ、己を不幸に導く。君は、この国の生贄になることを自ら選ぶのか?
些か抽象的ではある。
その言葉が嘘偽りないからこそブルーナは拒んでいる。
喉の奥が焼け付くように痛くて、両手で首元を覆う。
セシルは既にあの日からリディアを守ろうとしていたのだ。その歪で不器用な優しさが、今はただただ息苦しい。
それでは、祈祷師にならなければ良かったのか。
(でも――!!)
ブルーナの悲嘆と憤りが織り込まれて淀みのように濁った眼差しが忘れられない。
――聖霊の加護は、月の病を止めて子を成せない体にしてしまうのよ。そして、祈祷師は皆短命なのですって。祈りの力がそうさせるのですって。
(私は、何を選べばよかったの?)
その問いを投げかける相手すら、リディアには分からなかった。
書物の内容等は時代や世界観を考えた上での文章にしています。
前書きにも書きましたが異世界が舞台の小説ですので、ご理解のほどお願いいたします。
ちなみに私は重苦しいシリアスやアンハッピー、バッドエンドも好きですが、やっぱりハッピーエンドが見たいよねと常々思います。
物語の終わりに近づいているとはいえ、まだまだこれからなので、もう少しお付き合いいただけると幸いです!




