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宵に沈む「恋」なれば、  作者: 青葉 ユウ
-- 第2部 --

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◇14-5:花を召して、



「再びお会いできて光栄です、祈祷師様」


 コツ、コツ、と石畳をゆっくり踏む足音が鳴り止むと、左方から名を呼ばれる。


「ごきげんよう、ラザル伯爵。本日もご参席いただけて嬉しいわ」



 軽快なワルツの音色が風の囁きとともに流れてくる。

 腰の高さまである生垣が迷路のように模様をつくっているこの庭園には、休憩がてらに散策しながら談笑をする者がちらほらといる。

 リディアもエリアスのエスコートによってこの庭園へと足を運び、すれ違う貴族と挨拶をしながら散策をしていた。

 そうして、中央にある噴水を囲むベンチに腰をかけたところに、待ち望んだ人物から声がかかったのだ。


「休憩を兼ねてこちらに足を運んだのですが、祈祷師様がいらっしゃるとは思いませんでした」


「私と同じね。ラザル伯爵も舞踏を楽しんでいただけたかしら?」


 舞踏をしていなかったことはリディア自身が目視で確認済みなのだが、今日の夜会の趣旨は舞踏による交流だ。こうして尋ねることが場に適している。



「私のような年になりますと、若い者が楽しんでいる姿を見るだけで満足なのです」


「ふふっ。エリアス殿下はもちろんですが、魔導騎士団の副団長が入ることでご令嬢の方々にも喜んでいただけて、私も嬉しく思うわ」


 ラザル伯爵の言い分はリディアも思っていたところだ。

 貴族女性の間で最も注目を集める二人が同時に参加し、舞踏のパートナーとなる。それは多くの令嬢が夢に見ていた日であろう。

 リディアが伯爵令嬢として参加していた社交場での知り合いも沢山出席している。口々に不満を吐いていた彼女達がこれ以上ないほどに着飾り、心から幸せそうにステップを踏んでいる姿に嬉しく思わないわけがない。


 開催した目的は黒幕であるラザル伯爵を誘き寄せ、聖霊の加護がある者を保護して不正をする輩を捉えることであるが、遠路はるばる召集に応じてくれた多くの貴族にとって有意義なものであってほしかった。


 昨日は年若い令嬢にとっては退屈な時間だっただろう。堅苦しい話ばかりで、領地の経営に興味をもたない者もいる。三度目の式典の趣旨も、退屈に思うかもしれない。

 だから、今日の舞踏会を目に見えて喜んでくれていることに安堵していた。



「まさか祈祷師様の護衛であるオルコット卿が舞踏の輪に加わるとは思いませんでしたからね。我が妻も年甲斐もなく混ざりに行きましたよ」


「それでお一人でしたのね。夫人にも喜んでいただけて嬉しいわ」


「祈祷師様には心から感謝しておりましたよ。――して、祈祷師様はどうしてお一人で?」


「私はエリアス殿下とこちらに訪れていたのだけど、ベルナール公爵家のご令嬢がいらしたので、是非お二人で舞踏を楽しんできてほしいとお伝えしまして。私はそのまま、こちらを訪れている方々とご挨拶しながら庭園を楽しんでいたの」



 ラザル伯爵も遠くから様子を見ていたはずだし、全て見られていることを想定した上での行動である。隠すことは一つもないし、リディアはその後に挨拶を交わした貴族とも似たような会話を数度している。


「そうでしたか。祈祷師様にはてっきり他の魔導騎士が護衛につくものかと思いましたが」


「私達の身は魔導騎士団が守ってくださるから、安心して楽しんでいただきたいわ。魔導騎士団の副団長も、護衛というよりはエスコート役をお願いしているに過ぎないの」


 招待した貴族は一切警戒していないのだと暗に伝えると、ラザル伯爵もまたにっこりと微笑み返す。


「そうしますと、魔導騎士団長は警備に?」


「ええ。警備に当たっている団員の指揮を取ってくださっているわ」


 実際にはラザル領での指揮を取っているのだが、表向きの理由をさも事実であるかのように淀みなく説明する。

 そのことに、疑問を持たれた様子は見受けられなかった。



「そうでしたか。特異な才能を持っていると言われる魔導騎士団が我々を守護してくださるとは、大変ありがたいことですな」


「彼らの実力は確かよ。私も幾度と助けられていますもの」


「魔術が我々のいる表舞台で披露されることは滅多にありませんが、水を出す、火を出す等の一般的なものの他に、特殊な術もあったりするのですかな?」


「特殊な術、とはどのようなものかしら?」



 こてん、と首を傾けてる。

 ラザル伯爵は警戒を緩めたらしく話を深めていく。

 気を引き締めなければいけない。これからがリディアにとっての正念場だ。



「例えば、そうですな……。探し物をする際に場所を特定する、なんてどうです?」


「まあ! そのような魔術があれば私も重宝するのに。ふふっ、とても素敵な発想をお持ちね。今度、魔術の研究者に新たに生み出せないか尋ねてみるわ」


「少々突端な問いになってしまいましたかな。実をいうと、魔導騎士に憧れを抱いていた時期がありまして。とはいっても、魔術の才能が全くなかったので、こうして興味だけが残ってしまったのです」



 感傷に浸る眼差しで少し離れた位置に建つ魔導騎士団棟を眺めるラザル伯爵は、全てが演技だとは思えない。


「お恥ずかしい話ですので、どうかここだけの話にしていただければ」


「ええ。内密に、ですね」


 頭をかきながら、気恥ずかしげに話すラザル伯爵に違和感をもつ者はいないだろう。

 にこりと微笑みながらリディアも応える。


 遠くの空に視線をやると、夜空を占める橙色の割合が増していた。

 流石にそろそろ戻らなければならない。



「ラザル伯爵。もしよければ、エスコートを頼めるかしら?」


「私でよければ、喜んで」


 差し出された手に手を兼ねて立ち上がる。

 歩き始めて少し経った時だった。

 髪に花びらがついていると言われたのは。

 

 自分では見えないので取って欲しいとお願いをして、ラザル伯爵に背を向ける。

 普段であれば、相手が誰であろうと絶対にしてはならない行為だ。

 祈祷師の顔を覆う薄布が垂れる冠を人前で外してはいけないのだから。


 しかし、だからこそ全く警戒をしていないという信頼を体現できる。


「取れましたよ」


 思いに反して、あっさりと合図がかかる。

 振り向くとラザル伯爵の手のひらには深紅の花びらが一枚のっていた。

 礼を伝えると、再び差し出された腕に手を添えて歩を進める。


(……戻ってみないと、わからないわ)


 ラザル伯爵が使った時間は一瞬だ。

 そして、リディアの目の届かないところである。

 期待していた結果が得られたのかがいまいち分からない。


 舞踏が今尚続いている遊歩道へと近づいてくると、庭園の入り口付近を散策している貴族も多くいる。



 リディアの存在に気づいたのだろう。

 老夫婦が会釈をした後、和やかに歩みやってきた。


「こちらにいらしたのですね、祈祷師様。お会いできて光栄です」


「祈祷師様、先日はありがとうございました」


「ごきげんよう、ビセンテ伯爵も夫人も参席していただけて嬉しいわ。お体の調子は少しは良くなったかしら?」


「ええ、ええ。少しどころではありませんよ。痛みもすっかり引いて、先程は主人と久しぶりにワルツを踊りましたわ。祈祷師様のおかげです」


「まあ! 夫人の祈りが聖霊様の元に届いたのね。お役に立てて良かったわ」



 昨日、足の痛みが続いて外出する機会がめっきり減ったと悩んでいた夫人だ。その場ですぐに回復を祈ったのだが、聖霊が祈りを聞き届けてくれたようで安心する。


 夫人からは感謝を伝えたいという意欲がひしひしと伝わる。元々お喋り好きの女性なのだ。怒涛のように続く有難い言葉の数々に、柔らかな微笑みを浮かべながら相槌を打つ。ビセンテ伯爵が「そこまでで……」と止めようとも、一度口を開くと中々とまらないらしい。


 そんな折、妙な音が鳴り響いた。


 思わず眉根を寄せてしまったが、薄布で隠れていて助かった。

 不思議なことに、目の前で話し続ける夫人も隣に立つビセンテ伯爵も気にした素振りは一切見られない。


 今度は頭上からキュイッと小高い鳴き声が聴こえる。

 どうやら今回は目の前の老夫婦にも聴こえているようで、この場にいた全員が頭上を見上げる。


 そこにいたのは一匹の小さな鳥だった。


(鳥の鳴き声ではないし、ただの耳鳴り?)


 それ以外に考えられないと思うと、再び甲高い音がキーンと響く。


 上空をくるくると大きな円を描きながら飛んでいた小鳥は、突如リディア目掛けて一直線に羽ばたいた。


「きゃッ!?」


 突然の出来事に咄嗟に目をつぶって、顔を下へと向ける。

 決して猛禽類ではないのだが、それでも勢いをつけて急降下してくる鳥には恐怖が生まれる。


「祈祷師様!?」


 間近でキュイキュイと鳴き声が聴こえて、思わず両耳を塞ぐ。

 けれど、クチバシで突かれるだとか、頭突きをされることはなかった。


 瞬く間もない一瞬の内に鳥が髪を掠める感覚と、するりと何かがなくなる感覚。

 そして再び耳鳴りがリディアの鼓膜を揺らすと、鳥の鳴き声は遠くへと消え去った。


 ほっと溜息をついてゆるりと顔を上げると、真っ先に視界に入ったのは涙目の夫人である。



「祈祷師様、お怪我はされていないですか」


「ごめんなさい、突然のことに驚いてしまって。怪我はないのだけれど、何が起こったのかしら?」


「それが……。祈祷師様の髪飾りを、小鳥が引き抜いていってしまわれたのです」


「まあ、そうだったのね」


 頭から何かが抜けた感覚は髪飾りだったのかと納得をする。



「お救いできずに申し訳ありませんでした、祈祷師様」


「大丈夫よ。思わず驚いてしまっただけだから」


 謝罪を切り出したラザル伯爵にもにこりと微笑む。

 幸いにも髪型が乱れることもなく、大きな騒ぎにもなっていない。


「あの鳥は、花を食す鳥ですな。祈祷師様の花飾りが本物のように美しくて、食べたくなってしまったのでしょうかな」


「まさか……」


 ラザル伯爵が切り出した内容に、馬鹿げた事を、と口を開くのはビセンテ伯爵だ。

 それは当然の思考である。

 聖石で形作られた花の髪飾りには花の蜜なんてない。『見間違えた』ということが有り得たとして、果たして鳥は視覚情報だけで髪飾りを啄むだろうか。


「しかし、それ以外に考えられますまい。あり得ないような話ですが」


「……それもそうだな」



 納得がいかないながらも、ビセンテ伯爵は頷くしかない。なんせそれ以外の理由が全く想像できないのだから。

 頭上を飛んでいた小鳥が、何の前触れもなく、突然花を模した髪飾りを咥えて飛び去った。

 そんなあり得ない事態を目撃したのだから――



 しかし、リディアは違う。


(お見事、としか言いようがないわ)


 祈祷師に対して手を出すとしたら聖石を狙うだろうことを予想していた。

 そのために簡単に外せる装飾として髪に挿し、ドレスに散りばめている。


 舞踏でパートナーになった際に簡単に抜き取れるように。模造品とすり替え安いように。ひとつ、ふたつ減ったところで誰の気にも止まらないように。


 それを小鳥に盗らせるだなんて、どう予想しろと言うのだ。


 小鳥が行動を変えた際には必ず合図があった。

 何故ビセンテ伯爵夫妻には気づかれなかったのかはわからないが、リディアには音として明瞭に聴こえていた。


 花を好んで食す鳥はいる。

 様々な花が咲き誇る王宮の庭園に、その鳥がいることは珍しくもない。

 だから、こうして極自然に振舞える。

 偶然の出来事なのだと。飾りと花を間違えたあり得ないような出来事だと。


 花を食す小鳥を調教しようだなんて誰が考えるだろうか。

 文書の伝達に使う鳥はこの国にも存在するが、そもそも体格が違うのだ。

 小鳥を調教したところで見世物になる程度だろう。



(もしかしたら――私達が動かなくても、伯爵は手を出してきていたのかもしれないわ)


 そうでなければ、これほどまでに要領よくはいかないはずだ。

 見ず知らずの者を証人にした上での理想的な結末。大胆でいて緻密。

 ラザル伯爵の手腕は、敵対関係ではあったが思わず賞賛してしまうものだった。




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