◇14-3:黒白の所以
どんな怪我もたちまち治るという幻の薬――そんな常識を逸脱したものが祈りの力によって生み出せてしまうのなら、不老不死になれるという霊薬ですら生み出せるのではないか。
不老不死の霊薬は呼び名は違えども様々な国家と宗教で言い伝えられている。
そして、長い歴史の中で、効能の確証すらない誰かが持ち出した霊薬かもしれない代物を巡り、幾多もの戦争が勃発したとも記されていた。
この世界には精霊がいる。その証拠として魔術が使える。
ラティラーク王国には聖霊がいるし、諸外国には神や神獣、天使や悪魔と呼ばれる存在もいるらしい。
だから、不老不死の霊薬もこの世に存在すると各地で信じられている。まだ人間の手に渡っていないだけで、必ず何処かにそれはあるのだと。
そんな代物を生み出すのが祈りの力なら。
その力を持つ人間が、この国にいると他国に知れたら。
戦火に塗れることは時間の問題だ。
建国聖話で語られているように、瞬く間に焼け野原と化すだろう。
それは聖霊が望んでいることだろうか。
争いを収めた聖女が望むことだろうか。
この地を住処としている精霊が喜ぶだろうか。
――有り得ない。
声を聞くことはできないけれど、答えは決まりきっている。
例え、不治の病で苦しんでいる者がいても。祈祷師の祈りや今の医学知識では手に負えない者を救うことが出来るとしても。
幻の薬がラティラーク王国に必要だとはどうしても思えないのだ。
ラティラーク王国の幸福を願う『祈祷師』として、祈ってはいけないことなのだと知っている。自覚していなかっただけで、理解していた。
それをエリアスは見抜いていた。
リディアはクロズリー伯爵家の娘として、幅広い知識を学んでいた。それは、ラティラーク王国が並みの貴族令嬢に求める教養の幅を大きく超えていたものだ。次期後継者やその補佐に必要な経営学や社会学、他宗教や他国の歴史等は貴族令嬢には必要ないと言われ、学ぶこと自体が女性らしくないと忌避する者すらいる。
そして、貴族ではない者は、そもそも学ぶ範囲も環境も限られているのが現状だ。
祈祷師になった場合には一定水準を学ぶ必要があるが、そういった知識を広げる環境が用意されていない者にとっては、幻の薬がもたらすマイナスの面は見えてこないのではないか。
単純に考えればあるに越したことはないし、実際喜ぶ者は多い代物だ。
そういった面とは別に、カロリナとフィリスが心の奥底で願えない、というのも憶測ではあるがリディアにも想像がついた。
国は階級社会だ。全員が全員、平等でいられることなんてない。
そしてラティラーク王国の階級は大きく分類すると王族と貴族、そして平民である。もちろん、貴族内でも細かく爵位が分かれているし、各爵位の中でも序列というものは存在する。平民の中での序列も国として統一されているものと地域特有のものもあり、多岐に渡る。
ラティラーク王国には現時点で祈祷師は三人のみ。過去を振り返ると二人しかいない時期の方が長いとも聞いた。
そんな数少ない祈祷師が昼夜問わず祈りを捧げて幻の薬をつくりだしたとして。
――そもそも祈ることで生み出せてしまうのなら、貴重な薬草を使って薬にする必要もないので『聖なる水』で充分かもしれないのだが、それがラティラーク王国のどこへ真っ先に流れるか、となると答えは言うまでもない。
各地に住む平民の元に行き渡ることはまずないだろう。国としてどれだけ策を練ろうとも、権力を持つ大抵の者は真っ先に自身のための保険を確保するはずだ。
聖堂や治療院を巡回している今の体制は、国であり続けるために必要な多くの平民に重きを置いているといっても過言ではない。
だから、この状況が変わってしまう未来を平民から祈祷師になった者が望むとも思えない。
そんな幻の薬が必要だと、もしくはこの世に存在しても支障がないと思い続けていられるのは果たして誰か。
聖霊の加護がある者については、既にリディアが聞き及んだ情報だけでも絞り込むことは可能だった。
そもそも貴族の屋敷に元々いない者は除外していいのだ。
領民に聖霊の加護があって、何らかの事情を経て幻の薬ができた場合、その地を治める貴族が状況を把握して、その者を邸に隔離するまでにはある程度の時間を要する。
その間に噂は口伝に広まるものだ。
奇跡的な現象は人を興奮させる。内密に隠し通すことなんてできないだろうし、その結果として貴族の耳へと入るのだ。
既に王太子主導により密偵が潜入して情報を探っている。口止めをされていたとしても、誰一人として口を割らないとは考え難い。
そうなると、怪しいのは貴族かその邸で働く使用人である。
ベルナール領で入手した幻の薬は当初セシルとリオが入手した二錠の他に、後日ベルナール公爵の文とともに届けられた五錠がある。そのどれもが成分自体は薬師として学ぶ中級難度の痛み止めだった。
けれど、薬草の磨り潰しや調薬具合がどれも不適当で決して質が良いとは言えないため、薬師の見習いではないかとの見解だ。
なんらかの要因で聖霊の加護に気づき、幻の薬の存在を願ったのなら、貴族の女性か年若い使用人と予想できる。
王族直轄の密偵が一人潜入するのが限界なほどの貴族なら、使用人の教育も行き届いているものだ。
幻の薬の存在を願い続けられる者、つまりは、まつりごとに疎い者となると、そのどちらかの可能性が高い。利害を一時も考えることなく慈恵の念に満ち満ちた人物が存在するのなら話は変わってくるが、まずいないだろう。
しかし、その場合に調薬を薬師見習いにさせる理由は何故だろうか。単に人手の問題だと考えるのは、高位の貴族が黒幕である時点で不適当だ。
それとは別に、幻の薬が偶発的につくられたことで聖霊の加護に気づいたのであれば、薬師見習いと関わりのある人物。そして、その薬師見習いと何かしら深い縁があるため、同じ願いを祈り続けられるのではないだろうか。
薬師見習いが一人前になること、功績を残すこと、薬師として認められること。その副産物が幻の薬である場合。そう考えると、その薬師見習いの血縁者の可能性もあると予想していた。
けれど、これらは祈りの力が自分自身の利益ではなく、国や民の幸福を心から願った結果、聖霊が聞き届けるものという大前提がある。
聖霊の加護がある者の本心は誰にもわからない。古くから言い伝えられているだけで、確然たるものではない。
しかし、リディアはそれが聖霊から与えられた加護の力なのだと、そうであってほしいと思うのだ。
(――この様子だと、ラザル伯爵家のご令嬢に聖霊の加護があるのね)
もしラザル伯爵の娘が言葉通りに怪我をしているだけで使用人の誰かに加護があるのなら、祈祷師が訪れている間だけ隔離しておけば済む。
所々疑問は残るが、納得はできる。
ラザル伯爵からその後も語られた領地の様子は、何事もなく安定しているの一択だった。
人の行来が多いヒューゲル領に隣接していることも影響し、領地が上手く治まっているのは事前に聞き及んでいた。
しかし、言葉の端々で祈祷師の巡回地になることは遠慮したいという意味合いが含まれている。
流石に魔導騎士が後ろに控えている中で明確な拒絶はしなかったが、祈祷師に来てほしくないというのは、事情を知る者が万が一にも口を滑らす危険を感じているとも思えた。
とはいえ、リディアがこの場でするべきことはもうない。
領地の状況を聞き終えると、今後の安寧と更なる繁栄を祈る。
祈りの言葉とともに魔紋が反応して光を放ったことに、微笑みを浮かべながらも内心では重苦しい安堵をしたのだった。