◇13-4:錯覚
何も喉を通らないだろうと思っていた晩餐会は思いのほか気負うことなく淡々と進んだ。
当然ではあるが、給仕が数名控えていたことが一因だ。どうやらこの晩餐会は王族と祈祷師の関係性を示すためのものらしい。
当初は魔導騎士と同様に魔術によって口外を制限された使用人ではないかと思ったが、エリアスの祈祷師に対する仰々しい振舞いやレナードとセシルの護衛に徹した様子から、魔術を施されていない一般の使用人である可能性が高いと判断した。
こういう場合はどの程度の会話をするものだろうかと迷ったが、会話の主導権を握るエリアスからの話題に沿って受け答えをしていけば良いので、リディアが悩む必要もなかった。
主に遠方巡回で出会った国民の様子や、王都での巡回の話、そして国民からの嘆願などを会話の中で話していく。
祈祷師には巡回先で見聞きした国民の思いを王族に伝え、それを今後の国政に活かすよう祈ることも求められている。王族に直に意見を伝えられる限られた地位にいるのがこの国の祈祷師なのだ。
祈祷師として過ごしてきた日々の中で気に留めた点を大方話し終えたところで、食後のデザートとなった。
一回り大きな皿の上にはクレマチスの花を模った飴細工が純白のケーキの上でのびのびと花びらを広げている。
崩してしまうのが勿体無いと思いながらも隅を小さく切り崩して口へと運び、とろんと舌に絡まるようにして溶け出したクリームの滑らかさを堪能する。王宮に仕える菓子職人によって生み出されるデザートは別格だと感動していると、エリアスの柔らかな視線が給仕へと向く。
(最後までいるわけではないのね。これからが本題、ということなのかしら?)
不自然に思われないためにデザートを食べ進めながらも、エリアスの無言の合図により温室を去っていく給仕を視界の端で見届けたリディアは手を止めた。
エリアスが浮かべている表情は、先ほどまでの王太子という立場を前面に押し出したものではなく、にっこりと音がなるような深い笑みに変わっている。
その表情はなぜか、リディアが祈祷師となってから頻繁に目にしたものと被って見えた。
「イグレス領では災難だったね。今回のような件が起こってしまったことは、騎士団を統制する身として残念でならないよ」
「そんな、イグレス領の一件は誰にも予測できなかったことですから」
「そんなことはない。私は安全な領地を巡回先に選んでいると聞いていたんだけれどね。どうやら誰かの判断が甘かったようだ。それに、その判断をした者は護衛の身でありながら貴女の危機に駆け付けることもなかったらしいじゃないか」
そう話すエリアスは眉を八の字にして大げさに悲しんで見せたが、口角が僅かに上がっている。
(やっぱり見たことのある顔だったわ)
リディアに度々向けられていた表情だ。
その人物に対して、今はエリアスが向けている。
セシルもからかわれることがあるのだなと感慨深く思っていると、リディアの背後から冷気が立ち込めるのを感じた。
(……これは早く話題を変えた方が良さそうね)
給仕が立ち去った後も護衛に徹しているセシルが口を挟むことはなかったが、後ろを見ずともわかる。
雹が吹き荒れていることだろう。
それに、この状況はリディアにとっても好機だった。
「イグレス領の一件もありますが、私にはベルナール領でのことの方が気がかりなのです」
どうしてだか、幻の薬の一件に深入りさせまいとしているセシルは今は口を閉ざしている。
そして王族であるエリアスには情報を秘匿するための魔術なんて必要のないものだろう。
言い換えれば、祈祷師という身分をかざして何を尋ねたとしても支障のない相手なのだ。
これは知りたい情報を聞き出せる、またとない機会である。
「具体的に、リディア嬢はなにが気かがりなのかな?」
エリアスにはリディアの思うところが伝わったらしい。
「幻の薬、いえ、ベルナール領で出回っていた薬の効果がどの程度なのかと思いまして」
「ああ、幻の薬でいいよ。私も気に入ってそう呼ぶことにしたんだ」
「……光栄ですわ」
巡回の際に仮の名があると便利だと思い付きで決めたが、神聖視しているような雰囲気を感じて日が経つにつれて若干反省をしていたのだ。けれど一時的なものだからとそのまま使用していたら、まさか正式な名称となってしまうとは。
「それで幻の薬の効果、ね。……噂どおりだったよ。流石だよね」
流石だ、とその言葉通りの意味を持っているのは口元だけで、瞳には光が宿っていないし嘲笑めいた冷ややかな空気が流れている。
王太子が断言するということは確証を得たということだろう。
――――『どんな怪我もたちまち治る幻の薬』
そんな夢のような薬が実在するのであれば諸手を挙げて喜ぶべきだ。
それなのに、どうしてだろう。
あり得ないという疑念がリディアの思考を満たす。
「喜ばしいこと、なのでしょうね」
他人事になってしまうのは喜べないからだ。
「そうだね。……けれど素直に喜べないのは、貴女も感づいているからではないかな」
「何に、でしょうか」
自分自身でもわからない漠然とした虞をエリアスに指摘されたリディアには、問い続けることしかできない。
指先から急速に熱が失われていく感覚が怖くて、熱を逃すまいとギュッと握りしめる。
「――法に触れるものだということを、だよ」
法に触れることで、つくられた薬。
どんな怪我もたちまち治す力。
それは、まさしく――――
(私たちの、この力じゃない)
膝の上に置いていた右手のひらを仰向けて、手首に咲く聖石の花を見下ろす。
祈りの力があれば不可能ではない。
それをこれまでの数か月間身をもって学んできたではないか。
そして、それを成し遂げたということは望んでいるのだ。
なによりも、誰よりも、聖霊の加護を受けたその者が今の状況を望んでいるのだ。
(だからセシルは私を関わらせたくなかったのね)
もしかしたらベルナール公爵との会話で、否、手紙で幻の薬の存在を知った時からこの可能性を視野に入れていたのかもしれない。
(私も望めば、できるの? ――できてしまうの?)
どくどくと激しく脈打つのを感じる。
違う。
今はそんなことを考えている場合ではない。
それに、まだ駄目だ。今聞くべきことでもない。思考がままならない中で疑問を声に出し、それによる何かしらの変化を受け止める自信がない。
目まぐるしく思い起こす雑念を振り払うために、テーブルの下で広げた掌を爪が食い込むほど再び握りしめた。