◇13-2:知りたくなんて、ない
「そんな所で立ち止まって、どうかしたか?」
聖堂巡回日の朝。
身なりを整えて階段を降りていたリディアは、ウォルトが待っているであろうホールが視界に入るなり足が止まった。
四面にある幅の広い窓から差し込む日差しのおかげで室内には僅かしか影がない。そんな明るい空間の中でも、煌めく金髪は一際群を抜いていた。
「貴方、いつ戻ってきたの?」
一月以上も離れていたのに挨拶もないのかと眉根を寄せたが、それを言ってしまえばセシルの戻りを待ち望んでいたことも察せられそうだ。
瞬時に切り替えて平然を装うことにする。
しかし、ゆったりとした日々を過ごせていたおかげでリディアにとっては長い一月だった。
加えて芽生えてしまった感情を不本意ながらも認めてから、初めての会話である。
どんな態度で接していたのか。うまく思い出せない普段通りを意識しようとしたら、なぜか交戦的な物言いになってしまった。
宙を彷徨っていた片足が待ちきれずに動き出す。
カツ、カツと階段を降りる音は、心なしか急いていた。
「祈祷師様は随分とご機嫌斜めのようだな」
久しぶりの嫌味にさえ口の端が上がってしまうのは何故なのだろうか。
セシルの目の前まで一直線で歩き着くなり、にっこりと効果音が鳴るほどにわざとらしく笑みをつくる。
「そんなことないわよ? 貴方がいない間はとても静かだったから、穏やかに過ごせたもの」
「そうか。寂しい思いをさせて悪かったな」
リディアの降ろしていた手を掬い取ったセシルは、身をかがめながらもこちらを伺い見る。
陽が昇り始めたばかりの今の時間帯には不釣り合いな深く濃い宵闇が、隔たりの内側へと容易く侵入する。
あるもの全てを包み込んで隠してしまう、その時々で冷たくも温かくもある宵の闇。目元を覆う薄布を通さずに見ることができたその瞳には、今は優し気な色合いが含まれている。
(こんなのって、ずるいわ)
油断をしていた。
祈祷師の冠を身につけてる間だけは、口元にさえ気を付けていればある程度の感情は隠せるから。
この目に宿る温度がどんなものであっても、この身を守る盾になるから。
それなのに、セシルは易々とその隙間を潜り抜ける。
きっと、こちらの反応を面白がっているのだ。
身を焦がすほどの恋なんて、もう意味がないのに。
それなのに切り捨てさせてくれない。
なんてずるい人なのだろうか。
本当にただ面白がっているだけなら酷すぎる。
『ずるい』と『酷い』を何度も繰り返す。
そうすることで、ようやく半目でセシルを睨みつけて呆れた物言いができるようになる。
まやかしでもいい。表面を上手く取り繕えていれば、それでいい。
ただの小細工に過ぎないことは重々承知で。きっと魔導騎士には、セシルには見透かされる。
けれど気づかない振りをしていてほしいと願う気持ちだって伝わるはずだ。
「貴方って一体どんな思考回路しているのかしら。それで、貴方は良い休暇を過ごせたの?」
休暇という形を取っただけだという事は分かりきっているのに棘のある物言いをするなんて可愛げの欠片もない自覚はあるけれど、今は欲しいとも思えない。
「君がいないと淡々とし過ぎて、張り合いがなかったよ」
既にセシルの視線はリディアから外れている。
腕輪の金具をはめるために俯いたセシルの表情を伺い見ることは、できない。
(やっぱりずるいわよ)
――容易く踏み込んでくるくせに、自分のことになるとさらりとかわすだなんて。
さらには、喜ぶことも怒ることもできない返答だ。
苦々しく思いながらサラリと揺れる金髪を眺めては唇を浅く噛む。
「なんだ、自分から聞いておいて何もないのか」
カチャリ、と金具が嵌められた音が微かな余韻をもたらす。
姿勢を正すセシルを目で追うと必然と見上げる形となる。
救い上げられた腕を包む温もりはまだ、消えない。
「それって、寂しかったってこと?」
フッと鼻で笑うセシルがいる。
否定も肯定もしないセシルがにやりと頬を上げている。
見てはいけない気がした。
これ以上は、見てはいけないと悟った。
視線だけをふいと横へ背けると、答えの聞けなかった当初の疑問が蘇る。
「それで、あなたはいつ戻ってきたのよ」
「今だ」
「え?」
間を置くことなく返ってきた言葉に、思わず素っ頓狂な声が漏れ出た。
問いかけに対する返答だというのは分かるのだが、簡単には頷けない。
セシルの左腕には腕章がついている。
祈祷師の護衛騎士であることの証明になる腕章だ。
護衛騎士ならば四六時中つけている、というものではない。祈祷師の護衛中のみと制限がかけられているのだ。そのため、常に持ち歩くような代物でもない。
加えて王都での巡回期間中は護衛騎士の休暇を多めにとるため、毎日予定を詰めることはない。
それなのに、そんな準備万端な状態で今戻ってきたと言ってのけるだなんて。
「だから今、ついさっき戻ってきたところだ。丁度これから巡回だと聞いてね。私が行くことにしたんだ。――そうだろう?」
セシルの目線がリディアから外れた。
そんな、まさか、と脳内で繰り返しながら、リディアもその視線の先へと首を回す。
いつからそこにいたのか。
恋というものは、こうも視野が狭くなってしまうものなのか。
(……こんな風になるだなんて、知らないわ)
初めての経験に動揺が上限を飛び超えて、声が出ることもなかった。
そんなリディアを見守る人物が、一人――
「そうですね。リディアさんをお待ちしていたら、戻ってこられたんですよ」
窓辺に置かれた椅子にはウォルトがこちらを眺めながら座っていた。
テーブルの上に置かれた手には湯気のたつコーヒーカップが握られている。
髪をぴしりと整えて騎士服もきっちりと着こなしているのに、その腕に腕章はされていない。
思いもよらない休暇を手に入れたウォルトは、颯爽と去っていくセシルとその後ろを俯きがちについて行くリディアをにこやかに見送ったのだった。