◇13-1:当てを求めて
「まだ帰ってきてない?」
リディアがセシルと別行動になってから、既に一月以上もの月日が経過していた。
公爵邸に着くまでに辿った道とは別ルートで巡回しながらベルナール領を後にし、最後の巡回地を経て王都へと戻ってきたのが昨夜のことだ。
副団長に与えられている仕事は祈祷師の護衛を除いても山ほどある。
それが遠方巡回の間、全くの手付かずだったのだ。セシルが私情を終えて戻ってきてからも、それらの処理に追われて多忙なのだろうとは思っていた。けれど、一夜明けてもセシルと会うことはなく、副団長室を何度尋ねても無人となれば疑問に思うのは当然である。
身体休めの休日ではあったが、セシルが不在の間隊長を務めていたウォルトの自室を尋ねて問うと、団長に確認しましょうかと促され、二人して団長室へ出向いた。
そして返ってきた返答が「まだ戻っていない」の一言だったのだ。
(ゆっくりしてくるといいと言ったのは私だけど、そんなことってある?)
私情と口では言っていても、エリアスからの密命であることは間違いないだろう。それに、ダグラスから挨拶された時には『王都に戻るまでの短い間』とも言っていた。
それなのに一月も戻らないなんてことがあるのだろうか。手にしていた幻の薬を早くに王都へと持ち帰るためにも既に戻っていると思い込んでいた。
(ベルナール公爵に全て預けていたなら急がなくていいのかもしれないけれど……)
王都には王家お抱えの研究機関がある。いくらベルナール領の医療技術が発達しているといっても、既に出来上がっている薬の分析をどちらが得意としているかとなると、やはり研究に特化している組織ではないのだろうか。
「いや、すまない。言い方が悪かったな。一度戻ってきたんだが、別用で先日発ったところなんだ。そんなに日数はかからないだろうから、一週間もせず戻ってくるさ」
「別用、ですか」
「危険な任務ではないから安心してくれ」
それならしょうがない。
ウォルトが隊長として指揮をとることに不満があるわけではないのだ。ダグラスも親切で人当たりの良い性格だったので気まずく感じたことはない。
そもそも、魔導騎士団副団長が護衛隊長を兼ねること自体が異例なのだ。
リディアは過去の実態を知らないので多分としか言えない。しかし、護衛として祈祷師につきっきりな上に、副団長に与えられる仕事も処理するだなんて芸当が誰にもできるとは思えない。
侯爵家の次期後継として幼少から英才教育を施され、王立学院では常にエリアスとのトップ争いを繰り広げたセシル・オルコットだからこそ為せる技なのだ。
(私が“貴族の令嬢”だからセシルが兼任しなくてはいけなかった。けれど、こうしてウォルトが隊長でも支障がないと分かったら、そうする必要はなくなる。それ以上を望むのは、ただのわがままだわ)
そのうち正式にセシルが解任されて、ウォルトが隊長になる日がくるかもしれない。
覚悟をしておかなければいけない。
笑って別れを告げられるように。
違和感を微塵も感じさせないように。
――嫌だなんて、抱いてはいけない感情を悟られないように。
「それはそうと、お前はどうして不満そうなんだ?」
ルイスの純粋な疑問はウォルトに向けられている。
実はリディアもウォルトが隊長となってからの一か月間、稀に気になってはいた。
とはいっても、不満が前面にでることは断じてなく、温和な雰囲気は相変わらずだ。しかし、リディアとウォルトは既に出会ってから数か月と長い時間をともに過ごしている。いくら表面を上手く取り繕っていても、日が経つにつれて鬱積していく様子はなんとなく伝わるものだ。
「不満だなんて。とても光栄ですよ」
ウォルトらしい返答である。
浮かべる表情だって、いつも通りの上辺でできた柔らかな微笑みだ。
(私に口出しできる資格なんてないけれど……)
それでも、未だに分厚い壁を張られていることは少し虚しい。
「そうか? まあ期間は短くても実績は残る。お前もこれで一安心だな」
「――期待していますよ、団長」
微笑みの内から発せられた言葉とは裏腹に苦々しい響きが滲んでいた。
◇◇◇
「何も聞かないんですね」
「えぇと、何の話?」
王都での巡回を終えたリディアは自室に戻る途中の通路で、ウォルトに腕輪を外してもらっているところだった。
ちなみに魔紋の刻まれた腕輪を解除できる者の中にウォルトは入っていなかった。セシルから別行動すると言い渡された際に腕輪はどうするのかと問うと、さも当然のように返事が返ってきたのだ。
――私を誰だと思っているんだ? と。
後からウォルトに聞いたのだが、学院生時代から優秀であったセシルは、その頃から魔石の加工や魔紋を刻むことを片手間に手伝っていたらしい。
そのため、既に刻まれている魔紋にウォルトの魔力を追加することくらい何てことないようだ。
どこまでも嫌味な男である。
「貴女にも、私がさぞ不満を溜めているように見えているでしょう?」
「そんなことは……。でも、あまり無理に聞いてはいけない気がして」
一定の距離感を保ち続け、決して踏み入りも踏み越させもしないウォルトが、なぜ自分からそんな話を持ち出したのか。そちらの方がリディアには疑問である。
二人が立っている通路は祈祷師専用の階だ。背後にある階段を登ると屋上にでるため、そこに建てられたこじんまりとした祈祷室に足を運ぶ者は必ず通るのだが、今の時間帯は滅多にいない。
誰にも聞かれる心配のない機会を狙っていたのだろうか。
「貴女の不安を一つ減らしてあげようと思いましてね」
(私の不安……?)
疑問が頭の中を飛び交う。
昨日のルイスとの会話で、ウォルトが隊長職を狙っていたことを知った。魔導騎士団での実績はいずれ王宮騎士団へ異動した際の職位にも反映されると聞いていたので、ウォルトの目的はそれではないだろうか。
(私だったから、ウォルトは隊長に選ばれなかったのかもしれないもの)
祈祷師の護衛に任命されていない魔導騎士全員には会ったことがないので、隊長格になれる器の者が他にいるのかはリディアにはわからない。けれど、今まであった魔導騎士は若々しい者ばかりだった。魔術の属性や相性もあるので一概には言えないが、祈祷師の護衛には取り分け優秀な人材が抜擢されているだろう。
そう考えると昇格がほぼ確定していたウォルトにとって、リディアが祈祷師となったことは不運以外のなにものでもない。
そして、そこまで推察できてしまったリディアは、この話題に触れることをどちらかというと遠慮したかった。
「貴女はこのまま副団長が隊長の座から離れる可能性を考えていませんか」
「このまま、とまでは思っていなかったけれど、いずれあり得ることではないかしら? 貴方が隊長でもこの一ヵ月何も問題なかったじゃない」
「あり得ないですね。私には貴女の護衛隊長は荷が重すぎる」
微笑みを浮かべながらもきっぱりと断言をされてしまうと、やるせない気持ちが膨れ上がる。
「私、気づかないうちに迷惑かけていたかしら」
思い当たる節がないのだ。
リディアが祈祷師になってからは行く先々で想定外の事態が起きていた。しかし、リディア自身に問題があったものは僅かだ。それにウォルトが隊長を務めていた期間は今までの悪運が嘘のように穏やかだった。
それなのに、なぜそこまではっきりと拒絶されなければならないのか。
「貴女自身にはなくても、貴女を取り巻くものが厄介過ぎるんですよ。私は隊長職に就いて昇進することを望んでいましたが、おこぼれで妥協することにしました。ただの隊員で終わるよりはましだったろうとね」
浮かべる表情は穏やかだが、その口から紡がれる言葉の数々には棘が張り巡らされているし、どことなく投げやりだ。しかし、ウォルトがリディアに対してあからさまな嫌悪を表すのは初めてのことで、不快に思うよりも衝撃のほうが大きい。
(これはもしかして腹いせ? 憂さ晴らし? でも、それよりも……)
「妥協って、魔導騎士を辞めるつもりなの?」
「私も年齢的にもそろそろ身を固めたいので、いずれは」
「そう。……私としては少し残念だけれど、きっとご家族も喜ぶわね」
ウォルトは爵位を継がないとはいえ貴族の末端である。親族だって騎士としての足場固めを終えて家庭を持つことを望んでいるだろう。それに、本人にとって不愉快な任務から離れられるのは精神的な面でも良いことだ。
どんな感情であれ本心を見せてくれるようになったのに早々と別れが来るのは寂しいが、理想から逸れざるを得なかった元凶に別れを惜しまれるだなんてウォルトにとっては滑稽かもしれない。
「ああ、勘違いさせる話し方をしてしまいましたね」
目元を覆う薄布を緩やかに捲られる。
腰をかがめて下から見上げるようにリディアと視線を合わせるウォルトが微笑んだ。
視界がクリアになったおかげで、細まった瞳の青みがかった色合いにも暖かな温もりがのっていることに気づく。
「ウォルト……?」
毎日見ていた表情のはずだ。
なのに、そこにのせられた温度が変わるだけで別人のようにも思えるから不思議だ。
「私は確かに貴女が祈祷師となったことを多少なりとも恨んではいましたが、今は違います。ですので、もう少しだけお傍で祈祷師としての貴女を見届けようと思います」
「……貴方自身が望んで、そうしてくれるの?」
答えは聞かなくても充分過ぎるほど伝わっていた。
先ほどまでの尖った言葉の数々とは真逆でつい聞き返してしまっただけだ。
「これでも今は貴女の護衛を本心から望んでいるんですよ。もちろん、ただの隊員としてですがね」
困ったというように苦笑いに変わったウォルトに、今度はリディアが耐えきれずに満面の笑みを返した。
「そう思ってもらえて嬉しいわ。これからもよろしくね、ウォルト」
決して深入りはしなくとも穏やかに見守ってくれていたウォルトに実は恨まれていたことを悟り、内心ため息ばかりをついていたのだ。
ただタイミングが悪かっただけでリディア自身に非はないので謝るわけにもいかず、かといって現状を変えてあげることもできない。それに、ウォルトの気持ちは理解できるが、そんな感情を自分に向けられても困りものである。
それでもいつもと変わらぬ態度でウォルトと接するように気を配っていたリディアの様子は、どうやらウォルトには不安に見えていたようだ。
この気持ちが不安と思われていたのなら、確かに一つ減っている。
「なので安心してください。貴方の護衛は副団長にしか務まらないですから」
違った。
ウォルトはリディアの不安を、きちんと、正確に把握していた。
「ちっ、違うわ! そんな不安、微塵も思ってないわよ」
咄嗟に否定を口にするが、したり顔をして去っていったウォルトには届いている気がしなかった。