◆閑話:解れない思惑
時は少し遡り、セシルがイグレス領での一件を急使に託した頃、ルイスの元には王都を巡回しているカロリナの護衛隊長アーノルドからの報告が上がっていた。
「妙な薬が出回っている?」
「はい。詳細は掴めていませんが、様子を見ておくべきと思われます」
「そうか。それにしても薬か……」
魔導騎士に目を止めて口を閉ざすとは余程公には知られてはいけない代物なのだろう。
その薬に一体どんな効力があるのかはわからないが、祈祷師が度々巡回している王都で怪しい代物を欲しがる者がいるとは思えない。
「カロリナ嬢は何か不思議に思っていたか」
「いえ、特に気に留めていないようです」
「なら何も言うな。君は些細な手がかりでも掴めたら報告してくれ」
「はい」
去っていくアーノルドの後姿を見送った後、広い書斎に一人きりになると大きく溜息を吐いた。
「……少し厄介だな」
こういった人間によって生み出される事案は全て王宮騎士団の管轄なのだが、薬となると話は変わってくる。王宮騎士が動くよりも、祈祷師のほうが明らかに情報の入手がしやすいのだ。
しかし、祈祷師は諜報員ではないし、強要なんてしたら聖霊の意志に反することになってしまう。
そもそも祈祷師の出自は平民ばかりだ。相手に悟られないように情報を仕入れるだなんて、そんな真似をできる者なんていない。
(いや……、一人いるな)
数か月前に自らの意志で貴族という身分を捨てて祈祷師となった、クロズリー伯爵家の令嬢。
彼女ならば強要する必要もなく、自らの意志で動くのではないだろうか。
「いやいや、王宮騎士団の連中が自分らでやると言い張ってくれればそれが一番だ」
独り、ぼやく。
なによりも、まずはエリアスへの報告が第一だ。
国王はエリアスが留学から戻ってきた後すぐに祈祷師や魔導騎士団、そして王宮騎士団の統制権限を移譲している。そして、その後に開催された祝賀会で聖霊の加護を与えられたリディアを見出した。祈祷師になる際の諸々の手続きや身内の者への褒賞も既に決められていたかのようにあっさりと決定した。
クロズリー伯爵もここ数年間は魔導騎士団にも入り浸って改革だなんだと進めてきたというのに、娘が祈祷師になった途端あっさりと身を引き、今では自領での引きこもり生活だ。
国王とクロズリー伯爵が裏で画策していたのは間違いない。
だというのに、ルイスにはその意図が全く読めなかった。
(一番謎なのが、クロズリー伯爵が提示した褒賞なんだよなぁ)
その内容を知っている者は極僅かで、リディアの護衛隊長を務めている魔導騎士団副団長でさえも知らされていない。
(あいつには敢えて知らせない、ってことなんだろうが)
国王とクロズリー伯爵の思惑がわからない内はリディアを深く関わらせないほうが良いと個人的には思う。けれど殿下もまた違うんだろうな、と面会を取り付けるまでの間ルイスは頭を悩ませることとなった。
◇◇◇
「ふむ……、公にできない薬か。それはどの程度広まっている噂かな?」
アーノルドから一度目の報告が上がってから数日後、ルイスはエリアスとの面会の機会を得ていた。
「確証はありませんが、王都ではあまり広まっていないと思われます」
「なぜ?」
「ここ数日は毎日王都での巡回をさせましたが、その薬の話題が出かけたのはたったの二回のみのようですから。それに、どのような効力の薬であれ王都には祈祷師がいます。必要とする者も少ないでしょう」
「ふぅん?」
にんまりと笑みを浮かべるエリアスが次に言い出すことは嫌でもわかってしまう。
「そうなると、欲しがる者がいるとしたら祈祷師が滅多に赴くことのない領地になるね」
「そうでしょうな」
「遠方巡回には今、リディア嬢が行っていたと思うが、どんなルートにしたんだい」
(やはりこうなるのか……)
ルイスでも予想できた流れだ。エリアスにとっては瞬時に頭を過ぎったことだろう。
脇に抱えていた書類の中からラティラーク王国の地図を広げて説明をしていくが、今回の巡回地は様々な面で安全と思われる三領に絞っているので時間はかからなかった。
「まるでこうなることを誰かが予想していたかのようだね」
「偶然以外の何ものでもありませんよ」
このルートを決めたのはセシルである。
既に薬の噂を仕入れていて黙っていたなんてことはまずない。
「港町なら格好の場所だろう。その薬とやらも何処かから流れ着いてるかもしれない。もし何かしら入手できたら早急にセシルを戻らよう」
「それでは代わりとなる魔導騎士を赴かせましょう」
「人選は君に任せるよ」
こうなることを見越して既に人選は決めていた。
全てルイスの想定内だ。
良くも悪くもない結果に満足して頷き立ち上がったところで、ノックの音が室内に響いた。
不吉な予感がした。
なによりタイミングも悪い。こういった予感は大抵当たるものだとルイスは経験上知っている。
エリアスの返事により扉を開けた近衛騎士の横には、一人の魔導騎士が立っていた。
「魔導騎士団団員のリクハルドです。至急お伝えしたいことがあり、参りましたことお許しください」
「問題ないよ。入ってくれ」
エリアスの了承によって扉が再び閉められると、リクハルドは懐に忍ばせていた二通の封書を差し出した。
「遠方巡回に赴いているセシル副団長から団長への便りです。急使によって先ほどまとめて届けられました」
リクハルドの首筋には薄っすらと汗が滲んでいる。急ぎながらも不審がられないようにここまでやってきたのだろう。
差し出された封書をエリアスが受け取る。
そのことに「あっ」と声を漏らしたリクハルドには、魔導騎士としての経験が少ないにしても後で指導が必要だった。無言でさっさとこの場から立ち去るようにと追い払う。
そうして、封書を手にするなり早々と中身を開いて目を通すエリアスを固唾を呑んで見守った。
遠方巡回中に急使を使うことは多々あるし、単純な状況報告の時が大半を占める。しかし、二通が同時に届き、急使から封書を受け取ったリクハルドが慌ててやってきたということは、相当駆け足で届けられたものなのだろう。
エリアスの視線が右から左へと何度も流れていく。その動きがやっと止まったと思ったら、瞼を閉じて大きく息を吸いだした。
その全てを吐き出した後はなんとも嫌味たらしいニンマリ顔に変わっていた。
「君も読むといいよ」
そういって手渡された便箋に素早く目を通していくと、エリアスと同じように深呼吸をする。けれど、浮かべる表情は眉間にしわを寄せて苦悩に満ちた顔である。
「今回の巡回地は安全な場所を選んだのではなかったのかな?」
「……予想外の事態というものは起こりえるものです」
「それにしても、リディア嬢には毎度驚かされるよね。国宝級の魔石を見つけた次は、巡回先の貴族に襲われてしまうとは。そしてその次は謎の薬の調査とはね」
「笑い事ではありませんぞ」
クックックッと声を押し殺しながら笑うエリアスに小言を言ってしまうのはしょうがないことだろう。
相手が貴族ともなれば、そして王立学院で悪影響を及ぼす噂が広まっているとなれば面倒な処理が必要になってくる。そしてその指揮をとるのは副団長が不在の今、ルイス自身なのだ。
早く自室へ戻って策を練らなければならない。
笑い続けるエリアスに礼をしてこの場を後にしようと歩みだすと、笑い声の中から待ったがかかった。
再び嫌な予感がルイスを襲う。
「至急、オルコット侯爵を呼んでくれないか?」
その一言に振り返りつつ、肩眉を吊り上げた。
「侯爵ですか?」
「ああ、そうだ。今年最後の避暑としてオルコット領周辺には貴族が集まるだろう? セシルにはついでに、貴族を集めた宴でも開かせて情報収集してきてもらおうかと思ってね。裏で手を引いているのが貴族ならば、ご令嬢方は情報を手に入れるには最も適した餌ばだ。婚約者選びとでもすれば侯爵も喜んで開催してくれるさ」
「……なるほど」
どうやらエリアスは今回のリディア達の遠方巡回を利用しきるつもりらしい。
セシルが一人早くに戻ってきてくれるならこれ以上有難いことはないと思っていたルイスだが、その願いは聖霊に届きそうにもなかった。