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宵に沈む「恋」なれば、  作者: 青葉 ユウ
-- 第1部 --
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◇12-7:開花を待つ




 フォスタールを発ってから五日目。通りの村々を巡回しながら移動していたリディア達は、ようやくベルナール領の最終目的地となった公爵邸へと辿り着いた。


 迫り上がった岬の先で存在感を放っていた公爵邸は、灯台の役割も備えた大きな居城だ。

 雲に紛れてしまいそうな白亜の城を、空や海の色をした尖った屋根と塔、そして窓枠や柱を上品な色合いの装飾で縁取られており、王城にも引けをとらない煌びやかさも備えている。


 ベルナール領の特徴である港町をそのまま表したような城に目が釘付けになっていると、正門がゆっくりと開き、遠目からでも貫禄のある男性が姿を現す。膝をつきたくなるところを堪えて礼を取ると、決して声を張っているわけではないのに耳に通る低く渋い声が響いた。


「ようこそ、祈祷師様方。遠いこの地まで足を運んでくださったこと、心より歓迎する。長い旅路で心身ともに疲れているだろう。ゆっくり休んでいってくれ」

「我々に配慮していただき心より感謝申し上げます、公爵様」


 セシルが一歩前に出て腰をおると公爵は深い笑みで頷いた。


「もし祈祷師様が良ければ、夕食までの間娘と茶を飲んでくれると嬉しい。娘は祈祷師様に会える日をとても楽しみにしていてね」


「喜ばしいお誘いに感謝致しますわ」


「ああ。それと君は後ほど私の部屋に来てくれ。夕食前に久しぶりにチェスで一勝負といこうじゃないか」


「それでは後ほど」


 名目上はチェスとしていても、実態が異なることは明らかだ。

 隣り合う領地の貴族同士、昔から交流があるはずなので丸っきり嘘ではないかもしれないが、幻の薬(レヴェリア)の話が主となることは簡単に予想できた。

 共に赴きたくなる気持ちを堪える。

 セシルであれば、後でどのような話になったかを説明してくれるだろう。


(それに、もし何も言ってこなければ、押しかけて問い詰めればいいだけだわ)



 セシルの手元にはフォスタールを発った日に行われた競りで入手した幻の薬(レヴェリア)が二錠ある。


 幻の薬(レヴェリア)の情報を入手した日、宿に戻るなりセシルは急ぎベルナール公爵への文をウォルトに託した。詳細は触れずに、魔導騎士の替わりになれる者二名を一日借りたいと伝えたようだ。休みなく馬を走らせ、夜明けに戻ってきたウォルトはセシルとリオに良く似た背格好の騎士を連れていた。


 そうして、ベルナール公爵の騎士二名とウォルト、そしてフレッドとともにフォスタールを発ったリディアとは異なり、そのまま身を潜めて滞在をしたセシルとリオは事前に入手した情報の通りに競りに参加して一錠ずつ入手したのだった。


 今回はそれぞれ金貨一枚で購入できたらしい。破格の値段であることには変わりないが、やはり祈祷師が訪れた後ということもあり、いつもより人の集まりは少ないと口にしている人々がいたそうだ。

 合流した後は公爵邸へと戻る騎士に幻の薬(レヴェリア)を扱っていた商人の身なりを記した文を渡していたので、公爵も何かしらの対策は取っているだろう。


(これからどうするのかしら……)


 公爵が全面的に取り仕切って動き出すのか、それとも国王に伝えて国として動くのか。


 その商人が他の領地から来ているとなれば、国としての問題になるかもしれないが、まずは幻の薬(レヴェリア)の効力の検証から入るだろう。入手できたと言ってもたったの二錠だ。入手方法が分かったとはいえ、頻繁にこちら側が買い占めてしまえばそれこそ感づかれてしまうだろうから、不用意に動くこともできない。追加で入手するとしても数は限られるはずだ。

 そうなると、幻の薬(レヴェリア)を調べ上げるにはある程度の日数が必要になる。


(私が今回のように率先して動くことはないのでしょうけど)


 それは明らかに祈祷師の範疇を越えている。

 魔導騎士の管轄からも大きく逸れていることだろう。


 けれど、こうして関わったのだから結末まではしっかり把握しておきたい。

 祈祷師が関わる必要はないと除け者にされるだろうことが目に見えていて、割り切れない気持ちが渦巻いてはいたが、とりあえずは目先のことを考えることにした。



◇◇◇



「祈祷師様、この度はお疲れのところ足を運んでくださり感謝いたしますわ」


 侍女に案内された温室にいたのは、異国風の刺繍が施された若草色のドレスを身に纏った年若い令嬢だった。

 リディアは出席していた社交界で数回、遠目から見たことがある。その中でも直近は王太子の帰国を祝う祝賀会だ。


「こちらこそ、お招きいただけて光栄にございます。フィオレナ様」

「どうぞおかけになって。異国から取り寄せた珍しいお茶を用意したのよ。お口に合えば嬉しいわ」


 フィオレナの目配せで控えていた侍女が茶を淹れ始める。透明のガラスポットにはコロンと丸まった何かが入っていた。


(もしかして、これが茶葉?)


 リディアが今まで見てきた茶葉とは全く違う。それに中身が見えるポットというのも珍しい。

 ポットに熱湯が注がれていく様子に、フィオレナから「目を離しては駄目よ」と茶目っ気たっぷりに言われる。言われた通りにじっと見ていると、茶葉らしいものがゆっくりと動き出した。


 何が起きているのかわからず、思わず口元を両手の指先で抑える。

 少しずつ、ゆっくりと動き出したそれを最初は不気味にも思ったが、それはほんの数秒でがらりと変わった。


「とても綺麗ですね……。このようなお茶は初めて見ましたわ」


 ポットの底では夕焼けの色をした花が綺麗に花開いて、ゆらゆらと漂っていた。注がれたお湯も時間が経つにつれて、透き通る榛色に変わっていく。


「そうでしょう? 私もとても気に入っているのよ」


 落ち着きを払った深窓の令嬢という言葉がぴったりと当てはまるフィオレナだが、備え持つ雰囲気とまだ幼さの残る容姿が相まって、花びらが舞っているかと見紛うほどの可憐さだ。

 王太子の婚約者最有力候補と言われる公爵令嬢であり、社交界の華でもあるフィオレナとこうして二人きりのお茶会ができるとは思いもしなかったので緊張をしてしまう。貴族だった頃は親しくなれるとは露ほども思えないくらい遠い存在だったのだ。


「本当はお母様も来れれば良かったのだけれど……」

「どうかされたのですか?」


 目を伏せながら微笑みをのせているフィオレナだが、どことなく不満そうだ。


「いえ、少し貧血気味で安静にしているだけなのよ。祈祷師様は数日滞在してくれるのよね? その前には良くなっているから、またお茶会にお招きしても良いかしら」


 フィオレナに心配の色が一切滲んでいなかったので反応が数秒遅れた。

 侯爵夫人が体調を崩しているとは初耳だったのだ。


 事前に知らせてくれていたら巡回を後回しにして早めに到着することもできた。それに到着した際も公爵は夫人の体調不良には触れていなかったし、目の前のフィオレナも落ち着きを払っている。


「ええ、勿論大変喜ばしく思います。ですが、体調が悪いのでしたら、お時間をいただければこれからでも回復をお祈りさせていただいのですが、いかがでしょうか」


 公爵夫人ともなれば、人前に姿を現すために身なりを整える時間もかかるだろう。祈祷師だけでは気にはならなくとも、なにせ魔導騎士が控えている。快復を祈る面会のために体力を消費して疲れさせてはいけないことも、強くは言い出せない理由の一つだ。


「心配なさらないで。いつものことですし、食事に気をつければいいだけの話ですもの」


「そう、ですか?」


「ええ。私はつい甘いものを沢山食べたくなってしまって、侍女から止められるの。そうそう、ベルナール領のお菓子には塩を使っているものもあるのよ。王都では珍しいと思うの。とても美味しいから是非食べてみて」


 どうやら言葉のとおりに心配する必要はないらしい。

 全く祈祷師の祈りを必要としていないフィオレナの華やぐ笑みに絆され、リディアは出されたお茶と菓子を美味しくいただいた。



◇◇◇



「イグレス領ではとんだ災難に遭ったな」


 リディアが和気あいあいと茶会を楽しんでいる一方で、セシルは頬杖をつきながらチェス駒を動かす公爵を前に頭を悩ませていた。

 セシルが駒を動かすと、大して考える素振りも見せずにさっさと次の駒を動かしては急かしてくる。


「そうですね、誰かが悪運を持ち込んだようです」


 チェスなんてただの口実であって、実際にする気は微塵もなかった。

 それなのに公爵の書斎に入るなり「次は君の番だぞ」と指差されてしまっては、小言を言いながらも付き合うしかない。


「それは君か? それとも、あのお姫様か?」

「さあ。どちらでしょう」


 わざとらしく肩を竦める。

 そんなもの、こちらが聞きたいくらいだ。


「教養の行き届いたお嬢さんだな、あれは。一体どこまで知っているんだ?」

「さあ。いくら公爵様といえどもその質問は些か度を越えていませんか」


 駒を持ち上げた手を止めて、顔を持ち上げるとにこりと微笑んだ。

 いくら側仕えを外で待機させたとはいえ、面白半分で話すような話題ではないのだ。それが、たとえ王弟であっても到底容認できることではない。


 笑みの裏に立ち込めるセシルの冷気に、より一層公爵は笑みを深めて口を開く。


「私も大分世話になったからな、君達のお姫様にはね。連絡のあった商人にはしっかりと尾行をつけさせているよ。そのうちネズミの巣も明らかになるだろう」


「撒かれないといいですがね」


「その心配はいらないさ。しかし我が領地で悪事を働くとはいい度胸だとは思わないか」


「栄えている証拠では?」


「嬉しいことだな。……にしても、君は随分と素っ気ないな」


「まあ、他人事ですからね。公爵様が動くのであれば心配は無用のようですし」


 会話をしながらも淡々と駒を動かしていく。

 わざわざ戦略を考える必要がないので、手当たり次第に動かせばいいだけだ。チェスをやり始めた公爵が勝敗なんて気にせずに無意味に駒を動かしているだけなのだから。


 素っ気ない受け答えをしつつも、視線はチェス盤から動かなくても、セシルの思考は全て公爵の一言一言に向けられていた。


「私を信用してくれているなら喜ばしいことだな。ここでは心置きなく休んでいってほしい……と言いたいところだが、そうもいかなくなった。――殿下からの文を預かっている」


 いつの間に取り出したのか、公爵の掲げる手元では一通の封書がひらひらと存在を主張する。

 呆れと同時に思わず寄った眉間の皺に指の腹を強く押し当てた。


「そういうことは早く言ってくださいよ」


しかし、手を伸ばして受け取ろうとしたセシルとは反対に、公爵は封書を引き離す。

 クツクツと空気を震わせては、再びナイトを動かした。


「急いでもいいことはないぞ」

「なにをおっしゃいますか」


 手紙を受け取ろうと伸ばした右手を下ろして駒を動かす。

 先程からナイトばかりを動かし続けていた公爵の行動も、セシルの癇に障っていた。


(どうせ最後まで続ける気はないだろうに)


 遠方巡回中のセシルに王太子(エリアス)自ら手紙を送るだなんて重大な要件以外の何ものでもない。それを公爵は当然わかっていて、このような暴挙をしているのだ。


 公爵が再び駒を動かした。



 また、ナイトだ。

 それもセシルの駒に取られる位置に、わざと。


「さて、動き回るナイトとガラ空きになったクイーンと。狙われるのは一体どちらかな?」


 含みのある嫌な笑みだった。



 声を発することなく手を進め、その先にあった見た目のわりに重量のある白駒を奪い取った。



◇◇◇



 夕食を終え公爵から用意された別邸へと戻ってくると、少し遅れてセシルが扉を叩いた。

 その背後には見たことのない騎士を連れている。

 深紫の上衣をきっちりと着こなしているその人物は魔導騎士である証だ。


(どうして、こんな辺境に魔導騎士が?)



 妙な胸騒ぎがした。


 リディア達はセシルから応接室に集まるようにと食事を終えた際に指示がされていた。公爵との話の内容を教えてくれるのだろうとは思っていたが、これは全くの予想外である。


「私は私情によりオルコット領に戻らねばならなくなった。明日以降はダグラスが私の代わりに護衛に就く」


「この度、エリアス殿下からの命でこちらに赴きました。王都に戻るまでの短い間ですが、よろしくお願いいたします」


「隊長はウォルト、君に任せる」


「……仰せの通りに」


 淡々と進んでいく会話に、リディアは完全に置いてけぼりだった。



(私情って……。なにを言っているの、この人は)


 セシルが私情を優先するだなんて、言葉の通りに納得する者がこの場にいると本気で思っているのだろうか。そうだとしたら、随分と甘く見られたものだ。


幻の薬(レヴェリア)はどうするの」

「その件は公爵も、それに殿下も既に動かれているようだ。君達は気にせずに巡回を続けてほしい」


 両者が調査をするのであれば、リディアが気にする必要はない。

 それは理解できる。


(だけど……)


「貴方は? その件に関わるから別行動をするの?」


 それらに加わるセシルは果たして魔導騎士としてなのか。

 それとも貴族としてなのだろうか。


「私情と言っただろう。ベルナール領の巡回をすると聞きつけた父が私の婚約者探しと称した舞踏会を催すことにしたらしくてね。ダグラスに託された殿下からの文に必ず参加しろと記されていたんだ」


「……そう、なの」



 セシルの婚約者探し。



 オルコット侯爵が気をもんでいたことは想像に難くない。

 侯爵家の嫡男が家督を疎かにして命の危険が付きまとう魔導騎士団から離れる気がないとなれば、どうにかして次期後継者としての足場固めをしたいことだろう。


(私だって、不思議だったくらいだもの)


 そして、それがエリアスからもたらされたものならば。

 セシルは王太子からの密命を受けたということではないか。


「貴方のことだから久し振りの帰郷なのでしょう? 折角なのだし、ゆっくりしてくるといいわ」


 今回は上手く笑えているだろうか。


(私にはこれ以上、何も言う資格がないわ)


 与えられた任務を遂行するためにリディアの元を去ることも、セシルが舞踏会に参加して婚約者を探すことにも。

 暗雲が立ち込めた複雑な心情を、目の前の男には見透かされたくなかった。



「ああ。君もくれぐれも無茶はするなよ」


 伸ばされた手に抵抗することなく、頭を撫でられることを受け入れる。

 その緩やかで優しい手つきに、セシルも少しは言葉に表せない何かしらの感情を抱えてくれているのだろうかと、そうだったらいいのにと、リディアは自分の中に生まれた気持ちを素直に受け入れることにした――





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