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宵に沈む「恋」なれば、  作者: 青葉 ユウ
-- 第1部 --

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◇12-6:善意という名の欲




 時間が過ぎ去るのは早く、あっという間にフォスタールでの最後の巡回日がやってきた。


 まだ僅かな手掛かりしか掴めていないが、今日に至るまでの間それとなく種を巻いておいた。

 しかし、こればっかりは人々の気持ちの問題なので、芽が出るように祈るしかない。


 既にフォスタールに滞在して一週間経つので、巡回先には押し寄せるほどの人だかりはできなくなってきている。その分、商人や異国民よりも元々この地に住む者が訪れやすくなったので、リディアにとっても喜ばしいことだ。


 聖堂には聖壇の周囲に会衆席が並ぶ主聖堂の他に、人目を気にすることなく祈りを捧げられるように祈祷室が設けられているものだが、それがここでは地下だった。

 地下水路や柱、燭台によって庭園のように造りこまれた祈祷室の中心にはこじんまりしたガセポが陣取っている。太陽の光が入らない暗闇の中をキャンドルの灯が揺らぎ、ガセポの天井を彩るステンドグラスからは光が乱反射していた。


 石畳の階段を少しずつ、足場を確認しながらゆっくりと降りてくる足音がリディアの元に届く。

 次の人物はどのような者だろうか。期待と不安を微笑みの下で内混ぜていると、その人物の影によってリディアの視界が陰った。


「祈祷師様……再びお目にかかれて光栄です」


 不安そうに両手を組み、おろおろと見渡すその人物の顔が、ガセポの中央にあるキャンドルの灯によって映し出される。


(よかった、来てくれたわ)


 現れた女性は三日前の巡回で一度会った者だった。

 どうやら撒いた種は彼女の心に根付いてくれていたらしい。



 とはいっても、リディアのしたことといえば些細なことだ。


 “どんな怪我もたちまち治るという幻の薬”――これをレヴェリアと呼ぶことにしたのだが、商人から情報を聞き出そうとは当初から微塵も思っていなかった。時々、明らかにうっかり口を滑らせたり、闇取引で出回っていることを念頭にも置いてなさそうな気の抜けた者も訪れたが、それでも商人は商人だ。その者の人脈が深部とどう繋がっているかは分からない。


 そうなると自然と聞き出す相手は限定される。


 幻の薬(レヴェリア)を探し求めていた者だ。

 高値で取引されているらしい幻の薬(レヴェリア)の情報を知り、かつ、それを欲しがるということは噂話を信じて、日々の生活が脅かされるほどの大金を支払わなければならない事情があるということである。


 それが偶々訪れた祈祷師に巡り会い、たった数分間の祈りで、それも無償で叶ったとしたら。


 予想だにしなかった奇跡を起こした祈祷師が、他の地で困っている者のために少しでも力になれることがあればと、自身が巡れない地で苦しい思いをする者を救える手立てがあればと思い悩んでいることを知ったとしたら――。

 少しでも力になりたいと良心が傾くのではないだろうか。

 祈りが叶った時点で、祈祷師に対して感謝の念で一杯になるはずだ。持てる限りの情報で恩返しをしたいと、そう思ってくれそうな者を選んで、より一層慈愛に満ち満ちた祈祷師らしく振舞い、けれど直接的な会話はせず、遠回しに相手の思考を誘導しただけだ。

 そうして別れ際に、「聖堂の地下にある祈祷室での巡回がフォスタールでの最後となるから、他にも何か相談があれば来てほしい。そこでは魔導騎士は祈祷室内には入らない予定なので心置きなく祈れるだろう」と慈しみを込めて日付とともに伝えればいい。


 中には祈祷師のそばに控える魔導騎士を気にする者も多い。

 若干距離は離れていても、顔を寄せ合って声を潜ませない限り会話は漏れ聞こえる。祈祷師の護衛としては必要な距離だが、悩みを打ち明ける人々にとっては他者に聞かれたくない気持ちもあるだろう。


 それが、表立って入手できない幻の薬(レヴェリア)の話ならば尚更だ。


 そのため祈祷室が地下にある聖堂がフォスタールにあるというのも運が良かった。祈祷室は大抵が主聖堂から繋がる別棟だったり、ステンドグラスの窓で囲われた上階の小部屋であることが多いのだが、光の射さない地下であれば魔導騎士は闇に紛れるだけでいい。

 それに、暗闇には緊張が緩んで心を開きやすくなる面もある。


 今こそ待ち望んでいた正念場だ、とリディアはローブで隠れた手のひらを握りしめた。


「その後ご主人の容態はいかがですか」


 女性と会ったのは治療院での巡回中だった。病室で暗い影を落としていた年若い男女の姿が目に浮かぶ。


「覚えてくださっていたのですか」

「ええ、もちろんです。この三日間、ご主人が元の職に戻れることを私も聖霊様に祈っておりましたから」


 目を真ん丸くする女性にリディアは当然のことだと微笑みを湛える。

 実際は幻の薬(レヴェリア)に関連してそうな呟きを漏らしていたので注意深く覚えていただけなのだが、信頼をより抱かせることに役立ったようだ。女性の瞳は僅かな光しかない暗がりの中でもわかるほど涙で濡れていた。


「ええ、全て祈祷師様のおかげです。先生から傷が治っても細かな手仕事はできないと言われたことが嘘のようで……。なんとお礼を伝えればよいのか、感謝の言葉もございません」


 震えた言葉の数々に、リディアにもじんわりと涙がうつってくるのがわかった。

 思い返せば、巡回先で会った者のその後の様子を聞くのは初めてのことだった。自分の為せたことを、そして聖霊が願いを聞き届けてくれていることを実感すると、つくりものではない本心からの笑みに変わっていく。


「……ご主人が回復されて良かったですね。私はお二人の祈りを聖霊様に届ける手伝いをしたにすぎません。貴女の祈りがご主人を救ったのですよ」

「いいえ、祈祷師様! 祈祷師様が来なければきっと……」


 溢れ出る涙をぬぐった女性の手のひらを両手で包み込む。


「貴女にそう言っていただけて、私も嬉しいですわ」


 水路の水が緩やかに流れる音。

 キャンドルから香り立つ樹木の清々しい芳香。

 ゆらゆらと揺れる灯の光を通すステンドグラス。


 地下のひんやりとした薄暗い静けさと相まって、外界とは切り離された空間となっているここでは誰も邪魔をする者はいない。



 少しの間の後、高まった気持ちが徐々に治まりを見せ始めたことに気づいたリディアはそっと声をかける。


「他に何かお困りごとがありましたか。私でよければ、いつでも祈りの手伝いをさせていただきますよ」


 ふるふると頭を振った女性が伏せていた顔を持ち上げてリディアを見つめ返す。


「今回は悩みがあってきたわけではないのです。どうしても、お伝えしたいことがありまして……」

「お伝えしたいこと?」


 なんのことかわからないと言った声音で問いかけながらも、心中ではドクドクと期待に満ちていた。


「……ですが、この話は祈祷師様の心のうちに留めてくださいませね」


 女性はやはり人に聞かれていないかと不安なようで、少ない身動きの中でも祈祷師の周辺に魔導騎士がいないか確認をする素振りをみせた。

 安心させるためにリディアは微笑みを堪えて頷く。


「ここには私と貴女しか居りません。聖霊様も見守っておられますからご安心なさって」


 ほっと一息をついた女性はその言葉を信じて緊張が解かれたようだった。


「あのですね、どんな症状でも瞬く間に治るという薬を稀に商人が持ち込んでくるのです。その効き目は大層良いらしいのですが、この話が身分の高い方々に広まると私どもには手が届かなくなってしまいます。その薬をつくっている薬師の方は市井で働く者のためにと仰っているそうで……。大変ありがたいことです、私どもの事を第一に考えてくださるなんて。きっと祈祷師様のように慈愛に満ちた方なのでしょうね」



(慈愛に満ちた薬師……なのかしら?)


 相槌を打ちながらも、疑問が生じる。


 確かに、利益の大きい貴族よりも市井の者に優先してほしいという思いには感服する。

 治療院や診療所は各地にあるが、領主によって力の入れ具合も違うのだ。無償で診察するところもあれば、多額の治療費を要求するところもある。医師や薬師の技術差もあるし、定期的に通う必要のある病も多い。けれど、日々の生活費を賄うために働きに出る者達にとってはお金も時間も惜しいものだ。領地を治める貴族の元には届けずに、病を患ったまま働かざるをえない者を優先してくれるのは有難いことではある。


 仮に幻の薬(レヴェリア)の価値が噂通り、本物だったとして。

 それほどの偉業を為せるのであれば、こそこそと貴族から身を隠して流通させるよりも、他にもっと有効な方法があるのではないか。

 薬は調合量や手順を正確に守れば、誰だって同等のものを作れる。国と手を結び、その調合を各地へ広めることで助けられる人の数は何倍にも跳ね上がる。貴族が独占するのが心配なのであれば、そのようなことがないように交渉すれば良いだけの話だ。


「私も主人のために何とかして買いたいと思っていたのですが、一度目はお金が足りずに……。でも、明日の夜、祈祷師様と共に来られた魔導騎士の方々がフォスタールから離れ次第、お薬をお売りになられると噂なのです」


 悲し気に伏せた瞳を再び持ち上げてリディアを薄布越しに見つめる。


「私は祈祷師様のおかげで必要がなくなりましたが、もし祈祷師様が訪れる先々で、祈祷師様が去った後に私のように絶望的な状況に置かれた場合はフォスタールに来てほしいと、数日は滞在しなければいけませんが必ずお薬を手に入れる機会は訪れると伝えてほしいのです」


「私もその薬師の方の意思を尊重いたしますね。貴重な話を教えに来てくれてありがとう。貴女のおかげで、苦しい思いをする多くの者は必ず救われることでしょう」


 恍惚の色をのせたその眼差しに、リディアは期待通りの言葉を返す。

 暗に貴族には話をしないということを含ませて感謝を伝えると、女性の頬が上気した。その喜びを味わっている様子に、リディアはもう少し踏み込んでも良さそうだと判断して言葉を選ぶ。


「ただ……、今の話だけでは情報が足りず徒労に終わる方が現われそうで少し心配なの。そうならないように、わかる範囲でいくつか教えてもらってもいいかしら?」

「はい、私がわかる範囲で良ければ」


(さて、何から聞こうかしら)


 即答で返ってきた了承に、リディアは素早く思考を巡らせた。

 詮索のし過ぎは怪しまれるし、なによりリディアは怪しい噂話にそこまで妄信的にはなれない。

 相手に合わせることはできても、話が長引くほど熱量の差を悟られてしまう危険性がある。


「まず貴女が購入しようと思ったときにお金が足りなかったと仰っていたけれど、相場はどの位なのかしら」


「それが……相場はないのです。競りなのでどうしても入手したい人がいればその分高くなります。私は金貨一枚を持って行ったのですが……、購入者は金貨三枚でした」


「……薬は一回分、であっている?」


 どんな症状でもたちまち治ると噂が出回るくらいだ。何度も服用しなければ効果が出ない、なんてことはないだろう。

 けれど、その値段は貴族を相手とする利益よりも平民の健康を優先するためだと(うそぶ)く割には些か高すぎた。


 リディアの疑惑の混ざった声音に、目の前の女性も不審がられる金額だということは理解していたようで慌てた様子で口を開く。


「ええ、でも誤解なさらないでください! 元々はもっと手の届く値なのです。ただ、必要とする人が薬の数を大きく上回っているだけで、これは薬師の方がお決めになられた金額ではないですから」

「ごめんなさい、ただ驚いてしまっただけなの。そのような状況になってしまうほど、この地では困っていた方々がいらしたのね」


 来るのが遅くなって申し訳ないと謝れば、女性は髪が乱れるのも気にせずに思いっきり首を左右に振った。


「祈祷師様はこうして来てくださいましたから。多分、明日にお薬を求める方は少ないと思います。中には万が一の時のために買い溜めしておくと意気込む知り合いもいますが、そう易々と手が出せませんし」

「そう……、私が少しでもフォスタールの方々の力になれていたら嬉しいわ」


 申し訳なさそうに気落ちした様子から微笑みへと転じる。



「あとは、そうね……。場所や時間は決まっているのかしら。お薬を求めてフォスタールに訪れても、あまり見ず知らずの方には尋ねられないでしょう? 目印があるのなら、私もお伝えしやすいのだけれど……」


「あ、そうでした。それは決まっているので心配いりません。宵の口に終着所の三つ前の停泊所から乗る、下りの遊覧船です。碧の布を首に巻いている水夫に、碧のアクセサリーを提示すると乗ることができます」


 女性は一度競りに参加したことがあるおかげか、とても詳しかった。

 その都度で競りの方法が変わらないというのは大変有難い。宵の口は闇取引をするには少し早すぎるとは思ったが、人が集まっても不審がられない時間帯としては丁度良いのかもしれない。


「そうなのね、助かったわ。貴女のおかげで多くの方を苦しみから導くことができるわ」

「祈祷師様のお役に立てたなら光栄です。それでは、私はこれで……」


 自分の行いが祈祷師を助け、感謝まで述べられる。そのことに嬉しそうに立ち上がった女性は祈祷室に現れた際の不安げな様子はもう感じられず、自信に満ちている。



 リディアも同じく立ち上がって歩き出そうとする女性を引き留めた。


「最後に一つだけ。その薬師の方に是非私から感謝を伝えたいのだけれど、この街にいらっしゃるかしら?」

「残念ながら私もわからないのです。ですが、この地ではないと思います。……お薬を扱う商人は余所からやってきているらしいので」


 最後の最後で答えられず気落ちさせてしまったかもしれない。床へと視線を落とした女性に最大限の礼をするためにもリディアは垂れ下がった右手をそっと救いあげる。


「今日は来ていただいてありがとう。心から感謝しているわ。どうか貴女にも聖霊様のお導きで安らかな日々があらんことを」


 僅かな灯が揺らぐ薄暗い視界に、淡い紫の混じった光が降り注ぐ。

 人の善意を利用してしまったことへの償いも込めて、リディアは祈りの言葉を捧げた。





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