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宵に沈む「恋」なれば、  作者: 青葉 ユウ
-- 第1部 --

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◇12-5:闇路に滴る蜜


 リディアの冷ややかな声音に何かを感じ取ったリオとフレッドは、早々と、音を立てずに退散していった。矛先の行方がセシル一人だったからだ。

 詳細を聞かずに立ち去ったほうが良いと判断したらしいが、リディアにとっては大変有難かった。


「なんの話だ」


「忘れたとは言わせないわ。昨日、あんな路地裏に引きずり込んでおいて!」


 あの時。

 大人しく時が過ぎ去るのを待っていたリディアに対して、あろうことかセシルは「そろそろ行くか」と何事もなかったように言い放ったのだ。

 すぐさまその場で問い詰めたかったが既に雨は本降りになっていて、引かれた手から離されないように必死で走るしかなかった。

 宿に着いてからも全身が濡れてボタボタと床に水溜まりをつくっている状態では話すこともできず、入浴を済ませてからは二人きりで話すタイミングを掴めず、ずっと燻っていたのだ。


「その様子だと理由は既にわかっているんだろう」


「おおよそはね。近くにいた商人の話が怪しく思えたのでしょう」


「ああ、そうだ」



 まるで何に怒る必要があるのかと言いたそうな表情だった。

 ツカツカと大股でセシルの元へと詰め寄った。そうして、両腕を組んだ態勢で下から睨みつける。


「それで? 収穫はあったのかしら」


「残念ながら違ったよ。そう簡単に見つかるものでもないからな」


「そう。それは残念だわ」


 そうだろうとは思っていた。もしも既に何かしらの情報を得ていたとしたら、先ほどまでの会話のどこかで話していたはずだから。

 これはあくまでもただの繋ぎである。


「で、一体何を答え合わせする必要がある?」


 この男は本当にわかっていないんだろうか。それとも、ただの振りなのだろうか。


「私はあんな方法を取らなくても良かったと思うの。近くにベンチもあったのだから休憩をするなり、屋台で並んだ商品を見るなりで事足りたんじゃないかしら」



(さあ! 私が納得できる答えを返してみなさい)



 やられっぱなしでは気が済まない。


 整った容姿を盾にやりたい放題のセシルから何としてでも謝罪の言葉を引き出してやらねばと、胸を張って仰け反ることでわざと高圧的な態度をとる。


 鼻息荒く憤っているリディアの思いに反して、何故かセシルからは余裕が溢れ出ていた。


「商人は停泊させた船にいた。ベンチに座っていては近すぎて、薬の話をしていたのなら会話を中断することは目に見えていたし、屋台に並ぶと私達は店主とも何かしら会話をしなければならないだろう。それに背中を向けることになるから、動向を注視できない」


 目の前にある薄く整った唇の口角が不敵に持ち上がる。


「比べて、あの路地裏の位置は丁度良かった。あの態勢になると私からは商人の動向がはっきりと見えていたし、会話を中断されることもない。道を通る者達も人目につかない場所で睦み合っている男女にわざわざ声をかけないだろう。特殊な嗜好がない限りはなるべく視界に入らない場所へと避けるものだ」


 スラスラと淀みなく述べられた回答に開いた口が塞がらない。言葉が出なくなったリディアに、今度は止めだと言わんばかりに目を細めた。


「君の案ではどちらも悪手だったと私は思うが、君の意見を聞かせてもらおうか? ……ああ、君は食べることばかりに夢中で商人が何処にいたかは覚えていなかったのかな」



 ――全くもってその通りだった。


 事前に情報を得ていたセシルは下見の意味も含まれていたようだが、リディアにとっては完全に観光目的の街歩きだったのだ。そこら中にいる商人にいちいち注目なんてしていない。

 しかし、納得したからといって「はい、分かりました」と簡単に引き下がるのはプライドが許せない。


「それならそれで一言あってもいいでしょう。あれでは、イグレス子爵の息子と同じだわ」



 壁にもたれかかっていたセシルがピクリと眉を潜める。


 力の差で抵抗ができない女性の気持ちを考えなさい、と続けるつもりだった。

 けれど、そうはならなかった。


「同じ? それは心外だな」


 不興を買ったようだとリディアが(さと)った時には、いつの間にか立ち位置は逆転していた。


「私は、嫌がる女性にこのようなことはしない」


 トン、と音を立てて右腕がリディアの横の壁を叩く。


 昨日と同じ態勢である。

 唯一違うのは、セシルの左手がリディアの頭ではなく肩を掴んでいる点くらいだ。


「君は嫌がっているようには見えなかったし、今もそう見えるが」


 今度は別の意味で開いた口が塞がらなかった。

 声にならない声が喉奥から漏れ出る。



「貴方、自意識過剰じゃないの!?」



 以前リディアは目の前のセシルに自己評価が低いと言われたことがあったが、高すぎるよりは低い方が断然ましだ。持て囃される容姿があれば、人はそうなってしまうものなのだろうか。


「頬を染めておいて、君は嫌がっているのか」


 指摘されて更に顔周りが熱を持つ。


 なんと言ったって、近すぎるのだ。

 貴族の間で一、二を争う美貌をもったセシルの息遣いが間近で聞こえて、頬を染めない女性なんて果たして何人いるのだろうか。


「い、やに決まってるわ。こういうのはお互いに気持ちがあることが重要なのよ」


 言葉に詰まった。

 首を動かしてセシルをねめつけようとしたら、その距離に思考が飛んだからだ。


 あと少しでもどちらかが顔を寄せれば、触れてしまう。そんな距離感。



「なぜ今、私がこうしているか分かるか」

「わ、私の反応を面白がっているんでしょう?」


 それ以外に一体何があるというのだ。

 唇をキツく噛みしめた。セシルの吐息が直に聞こえるように、リディアの呼吸もセシルに聞こえている。それがとても恥ずかしくて耐えられなかった。


「まあ、半分は当たりかな。もう半分はなんだと思う」

「……知らないわ。貴方の考えてることなんて全然わからない」


 宵の森のように奥深くまで闇が続く、霧に包まれて真意が見えない瞳がリディアを捕らえる。


 顔は紅潮し、目尻はじわじわと湿り気を帯びていく。

 有り得ないとわかっていても、こんな状況では期待をしないほうがおかしい。


「私は本心で、君に触れたいと思っている。そう言えば、信じるか?」



 リディアにとって最も聞きたくなかった言葉の数々が、一音一音滴り落ちてくる。

 これ以上、何も聞きたくなくてきつく瞼を瞑って顔を逸らす。



 すると真っ暗な視界の中、掴まれていた右肩が軽くなった。ようやく解放されると肩の力を抜いた途端、太く固い親指の腹がリディアの唇を優しく押した。


 驚きで目を丸くする。押し殺した悲鳴が外へと出たがって口が僅かに開くたびに押された指は自然と唇の内側まで触れていく。

 慌てて閉じようとしたら、今度はその指を挟み込む形になってしまった。



 どうにもできなくなって、音がなるほど思い切りセシルの胸板を押し返す。

 全く動じないだろうと思っていたその体は、存外あっさりとリディアから離れて拍子抜けしたくらいだ。


「信じるかって……!! 貴方、どれだけ女性に飢えているの!? さっさと婚約者を決めて結婚してしまいなさいよ」


 信じられるわけがない。

 リディアにはセシルに揶揄われていた覚えしかない。それに自分が鈍感だとも思っていない。

 目の前の男から好意を感じたことは幾度かあるが、それはあくまでも人としてであって、断じて恋愛の意味ではなかった。


 そもそも、身分が違うのだから恋愛感情を抱いたところで無意味だ。



「私がそうすると悲しむ祈祷師様がいるからな」


「私が! 悲しむわけないでしょう!」



 頭に血が上った状態で思ったままに答える。

 いつの間にかセシルはいたずらを仕掛けた少年のような顔つきになっていた。 



「何を言っている? 私は君が悲しむなんて一言もいっていないだろう。フィリスは私に懐いているからね。君の護衛についただけであんなに悲しんでいたのに、私が結婚して騎士を辞めたらどうなるか」


 わざとらしく溜息を吐く様子に、リディアの喉が震える。


「……ッ!! もう、用は終わったわ。早く出ていきなさい!!」




 翌日、聞いたところによるとリディアの心からの叫びは扉越しにいたウォルトにまで届いていたらしい。

 面倒ごとを極力遠ざけようとしているウォルトが珍しく「副団長に良からぬことをされたらいつでも呼んでくださいね」と満面の笑みで言い放ったので、思わずリディアは首を傾げた。




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