◇12-3:生まれた熱意
「さて、昨日の答えは見つかったか?」
フォスタールでの初巡回を終えて宿での食事を済ませると、セシルがフレッドとリオを呼び出して祈祷師の部屋へと集まりテーブルを囲んだ。ウォルトには少しの間、リオと交代してもらい外の通路で警護を頼んでいる。
「ええ、ある程度は考えてみたけれど……」
ちらりとリオの顔色を伺う。
リオは街歩きをしていた時にその場にいなかったため、何の話かときょとんとしている。
どう切り出せば誤解を招かずに済むだろうか。
リディアが悩んでいる間にも、そんなリオにセシルが説明する。
「建国聖話や聖霊信仰が王都から遠く離れたこの地ではどのような扱いなのか、我らが祈祷師様は何を感じたのかを聞くことにしていたんだ。人の考えを知ることは自分自身の成長にも繋がるから、学ばせてもらえ」
「……ッ、はい!」
言葉の意味を理解するやいなや顔の色が引けていく。けれど好意によって与えられた成長の機会に、固く振り絞った返事がされた。
(この様子なら、思ったままに話しても大丈夫そう)
セシルはリディアの疑問に対する意見交換とともに、自分とは異なる考えに触れることで年若い魔導騎士の成長を促している。
その目的の達成のためには、まず自身の話からすることにした。
「少し話が長くなってしまうのだけど、私が生まれ育った領地は皆知っての通り宵の森と繋がっているでしょう? だから聖霊信仰は全ての領民に根付いていたし、宵の森から離れた村に住む領民も安全とは思っていても自衛を怠っていないの」
一旦区切って周囲を見渡すと、突然始まったリディア自身の話にも関わらずしっかりと耳を傾けていることがわかった。
「クロズリー領から王都へ行くまでに経由する領地もそう。例え宵の森の出入り口がなくて、到底行き来のできない絶壁で仕切られていると言っても、必ず風景の一部として視界に入ってくるの。だから聖霊信仰は当然のようにラティラーク王国の民に根付いてると思ってた」
リオの喉ぼとけが上下する。
リディアが当然と思っていたことが、リオにとっては違うのだ。
「思えば、交流のあった他領の領主達は貴族の中でも信心深い方々なのかもしれないわね。宵の森と繋がっているお陰でどの領からも恐れられているし、他は長閑な田園や酪農地帯。こことは真逆の位置にある国の末端だから、搬送経路だって限られる。その点は、四方八方の領地と取引ができるイグレス領よりも劣っていたわ」
ここまでの話では、悲しいことにクロズリー伯爵家との交流をする旨味は皆無だ。
いずれは特色を出して栄えさせたい問題であるが、その糸口はまだ掴めていない。折角の機会だからとオルコット侯爵家の後継者がクロズリー領をどう思っているのかを聞きたくなるが、話が大きく脱線してしまうため喉奥でなんとか押し留める。
「唯一優れているのは他領と比べると頭一つ抜きんでた優秀な騎士達と、自衛のために発展していった質の良い武器や防具だわ」
領地の説明をしていると、長らく会っていないクロズリー領の騎士や領民の姿が浮かんで懐かしさから自然と顔が綻ぶ。
「クロズリー領の騎士養成所で育った騎士はね、他領の騎士に招かれる場合はその実力に応じた雇用を確保ために、他にもクロズリー領の養成所でどうしてもこの人材を育ててほしいと依頼があればまた公約を結ぶ。武器や防具も一時期高値で転売されるほど有名になってしまってね。その後は誰にどういった経緯で売ったかを全て帳簿で明確にして個別の識別番号を振っているから、良からぬ企てに用いたらすぐに足取りを追えるのよ」
主に引退した祖父と現伯爵である父が変えた制度だ。領地の発展を目指して、頭を抱えながらも実現させていく後姿はとても誇らしかったと、父の姿を思い返したリディアは我に返る。
「……話が逸れちゃったかしら? とにかく、私はそういう環境で十九年間育ったの」
リディアの生まれ故郷がどのくらい宵の森を身近に感じ、聖霊信仰を深く持っているかを説明するつもりが、いつの間にか領地自慢になっていた。
以前にも似たようなことがあったと思い返しながらも、気を取り直して話の道筋を正していく。
「今日の巡回はとても驚かされたわ。来る人来る人、珍獣の見物にでも来たような反応だったものね。聖堂に訪れたというのに、聖霊に祈りを捧げるためというよりは祈祷師に対する興味本位だと思ったわ」
今日の巡回を思い返すと溜息がでそうだ。微笑み続ける努力はしていたが、横柄な態度をとる者と話すたびに目元を覆う薄布の奥では何度も眉根を寄せていた。
「イグレス領ではそんなこと思わなかった。信仰心の大小はあれど聖霊信仰は根付いていたわよね。王都から距離も離れているし、宵の森だって遠すぎて気にもならないでしょうに。だから、ベルナール領が、その中でも取り分けフォスタールが特殊なんじゃないかと思ったの」
一人でひたすら喋り続けて、喉が水分を欲していた。
事前に用意しておいたフォスタールで人気の炭酸水を口に含む。さっぱりとした酸味とぱちぱちと舌の上で弾ける冷たい感覚が干からびた喉を潤してくれる。これもきっと、影響されているのだろう。
「異国の文化が入り混じる港町。市場を歩いて分かったけれど、ラティラーク王国の伝統ある料理も工芸品もあんなに並ぶ屋台の中のほんの一握りなのね。楽しそうに奏でられる音楽も、踊り子の衣装もこの国と異国の特色が合わさって、新しい文化になっていた。露店で広げられた古書だって、異国の本やそれを翻訳した本、この国の物語を異国語に書き換えたものもあったわ」
リディアが言葉を重ねるごとに、リオの顔は驚きに染まっていく。
リオがこの地に馴染んでいたのなら、王都に初めて訪れた時はそれこそ今のリディアと同じように驚きの連続だったはずだ。
「観光で訪れる人々や目新しい品を探す商人ならその違いはわかるけれど、元々この地に住んでいる人々からしたら、どれがラティラーク王国の文化なのかが分かりづらくなっているのではかしら? だから、建国聖話とも聖霊信仰とも隔たりがあって、物珍しく思える。……どうかしら?」
自分なりには納得できる答えになっている。
しかし、まだフォスタールに来て二日目だ。
この街の一面しか見れていないし、聖堂に訪ねてきた人としか会話をしていない。
聖堂を訪ねるということは、ある程度この国の歴史を知り聖霊信仰がある者と、詳細は忘れ去られていても古くからの習慣で祈りを捧げる者、噂話や人の群れに気づいてやってきた者だ。
(全く知らなかったり、異国の物語だと思っていたらそもそも来ないわよね)
もしかしたら、祈祷師のことを異国から来た旅人と思っている場合だってある。
リディアが自身の考えを話し終え、それについてどう思うかを問いかけたはずなのになぜか誰も口を開かない。
セシルをじっと見つめることで催促をすると、今度はセシルが無言のままフレッドへ、そしてその次はリオへと視線を投げた。無言のまま促されたフレッドとリオは顔を見合わせてから、先にフレッドが口を開く。
「僕はベルナール領からは少し離れたヒューゲル領で育ちました。商家ということもあって、手伝いでフォスタールに足を運ぶこともありましたし、様々な国の品物を見てきましたが、幼少よりどこの国の品かを分別していましたので、ラティラーク王国の歴史や文化は身についています」
静かに相槌を打ちながら、初めて聞くフレッドの生まれ育ちを想像する。
「ヒューゲル領は主要な交通路がありますから、祈祷師様が巡回中に最も通りやすいのです。領地内を巡回するわけではなくとも、通りの宿に泊まられる際にお見掛けする機会は多かったので、出自に関係なく聖霊信仰は根付いていると思います」
「あそこは多くの領地と隣り合わせになっているものね。確かに、何処の領地に行くにもまずはヒューゲル領を通ったら便利だわ」
ヒューゲル領は侯爵が治める地で丁度ラティラーク王国の中心にある。リディアはまだ足を踏み入れたことはないが、通行料が侯爵領の主な収入になっていると貴族の間では有名だ。
「リディアさんが仰られたクロズリー領やフォスタールとは少し異なりますが、これが地域による信仰の特色なのでしょうか」
まだ訪れたことのないヒューゲル領の雰囲気になるほど、と頷く。
それにしても、ヒューゲル領を拠点とした商家だったとは驚いた。交通の便が良く、通行料の収入が多いということは、勿論貴族も数多く通るということだ。宿に泊まっていくだろうし、旅に必要なものを買い足すだろう。そういった客を相手にすることができるので、良い取引ができればもちろん儲かる。そこは商人としての腕によるが、拠点にできているということは一定以上の利益を上げているのだろう。
(もしかしたら名の知れた商人なのかしら?)
フレッドに対して考え方が商人らしいとは思ったことはなかったが、訛りのない自国語を話すし、異国語も扱えるところを見るに、幼い頃から貴族並みの教育を受けていたのかもしれない。
「俺は深く考えたことはありませんでしたが、リディアさんの言う通りだと思いました」
躊躇ないながらもそう話したのはリオだ。
間はあったが、まだ何かを思案している様子だったので静かにその続きを待つ。
「……地元は馬を少し走らせた街外れですが、フォスタールを疑問に思ったことなんてなかった。王都に行った時は、品数の少なさに戸惑ったことを思い出しました。王都を散策して店に入ったりすることも少なかったんで、偶々俺が見たところがそういう店だったんだと思っていましたが、フォスタールが異色だったんですね」
リディアはこれまで王都の店に品数が少ないと感じたことは微塵もないが、昨日フォスタールを観光した後だからこそ、リオの感覚が理解できる。
三人が思い思いに話したところで、ようやくセシルがリディアへと向き直った。
「君は良い判断をしている。たった二日でここまで答えを導けるとはね」
空いた口が塞がらないとはこういうことを言うのだろうか。
信じられない。本当に、それは自分に向けて放たれた言葉なのか。
(あの“セシル・オルコット”に褒められた……!!)
目を何度と瞬かせても変わらない眼差しに現実なんだと遅れながらに理解する。
「ベルナール領もオルコット領も王都から祈祷師が来るまで長い時間を要する分、ある程度のことは対処できるように医療技術を発展させなければならない。そうして優先して推し進めた結果、治療院にいる医師の実力は国内随一だ。異国の情報が流れてくるから最新の技術が手に入る強みがある」
クロズリー領の医者には王都で技術を学べる機会を設けていたが、王宮専属医や王都の治療院にいる医師の出身地はこちら側が多いと耳に挟んだことがあった。その理由を気にしたことはなかったが、そういった背景から得た技術だったことに感心する。
「決して独占しているわけではないが、こういった技術は知識の他にいかに実践があるかで習得の差が出るから、小さな領地の医師では身につくまでは至らないんだろう」
祈祷師は主に患っている病の治癒を祈る。時には長寿や商売繁盛等を祈る者もいるが、人は目に見えない何かよりも、目に見えて表れる効果を望むものだ。
その力が、医療技術の発展で大して必要ないとしたら。
「祈祷師は人数が少ないから、必要な場所を巡回地に選んでいくと滅多に来なくなる?」
「ああ、そうだ。そうして巡回を後回しにされていくにつれ、聖女の意志を継ぐ祈祷師が実在すると知る者は減っていく。その滅多にない機会が巡ったとして、噂を聞きつけて駆け付けたとしても祈祷師は別の地に移った後だろうな。運良く会えた者から話を聞けるかもしれないが、所詮は噂と変わらない。そうなると平民にとっては遠い異国の話に思えてしまうんだろう」
一呼吸おいて、セシルがリディアを見返す。
「私が人によるといったのは、そういうことだ。身分や職によって流れる情報量やその真偽の判断も異なる」
おざなりだと思っていた回答がここで繋がるとは思ってもいなかった。
リディアの疑問に適当に返したのではなく、本心を伝えていたことを今になって知る。
「商人や貴族は常識として知っていることでも、異国の文化が溢れるこの地では自国か異国かなんて判断は、学ぶ機会の限られる平民には困難だろう。聖霊信仰は習慣が残っている者も多いだろうが、その元となる建国聖話や聖女ラティラーシアを自国のことだと理解していなくても当然のことだ。領主と国がつくり上げた流れの影響だからな」
さらりと言い放ったセシルの言葉を理解した。
リオが歯を食いしばって、何かを耐えるように顔を仰向ける。
最後の言葉はリオに向けられていた。
――例え、見向きもしていなくても。
リオが何に引け目を感じて一線を引いていたのかを、セシルはとうに知っていたのだ。
そして、それはリオのあずかり知らぬことが原因であり、貴族であって、王族であって、魔導騎士団の方針の結果であることをこうして伝えている。
「副団長、俺、もっと学びたいです。この国を、もっと知りたい」
絞り出された声は熱気に満ちていた。近くにいるだけでこちらまで気が高ぶるような、そんな意欲が溢れている。
「お前に足りないのは知識だけだからな」
私の人選が正しかったことを証明してみせろ、と鼻で笑うセシルにリオははにかみながらも必死に首を振る。以前聞いた話によると、平民のリオを王都の王立騎士養成所に引き入れ、早々と魔導騎士団に入団させたのはセシルらしい。
微笑ましい二人のやり取りを眺めていたリディアは、いつの間にかニヒルな笑みで捕らえられた。
「さて、次の問題だ」
上司と部下の先ほどまでの感動は、余韻を感じる時間すら与えられなかった。




