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宵に沈む「恋」なれば、  作者: 青葉 ユウ
-- 第1部 --

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◇11-5:音もなく、沈殿




 イグレス子爵との話を終えたからといって、一件落着というわけにはいかない。

 祈祷師に用意された部屋へぞろぞろと入ると、今後の打ち合わせの為にテーブルを囲んで腰掛けた。


「フレッド?」


 コーナー状に置かれた横幅のあるソファには充分座れるスペースが残っているというのに、横に立ったまま座ろうとしないフレッドに声をかける。



「祈祷師様をお守りすることができず、申し訳ございませんでした」


 神妙な面持ちで腰を九十度に曲げて深々と頭を下げるフレッドに、今度はリディアが青褪める番だった。


「私は夜番で警護をする身でありながら、逸早く異変に気づくことができませんでした」


 淡々と思いの丈を伝えてはいるがその声は所々掠れていて、自身を責め続けていたことが伝わる。


「顔を上げて、フレッド。貴方に落ち度は一切ないのよ」



 これは慰めでも何でもなく、リディアの本心だ。


 それでもフレッドは姿勢を戻さない。

 掛けたばかりの腰を持ち上げて、フレッドへと向き合う。駆け寄ることはしなかった。


「私は、貴方を呼ぼうと思えばいつでも出来たの。けれど、そうなってしまえば彼の行いと、それに下される処罰は瞬く間に社交界に広がるわ。早々と縁を切る貴族も現れるでしょう」


 災いが降りかかる前に腐った芽を切り取る。その相手が子爵家となれば容易なことだ。


「子爵の人柄も貴族としては頼りないわ。一人の愚かな行いでこの地に住む人々の生活に影響が出てしまうのは避けたかったの。だから、貴方は何も悪くない。穏便に済ませようとした私が招いた結果なのよ。謝る必要があるのは私の方だわ」


「いけません!! リディアさんが頭を下げては立つ瀬がない」


 言葉と共に頭を下げようとしたリディアの気配を感じ取って慌ててフレッドが体勢を崩す。

 そして、事の成り行きを見守っていたセシルがいよいよ口を開いた。


「そうだな、頭を下げる必要はない。……どちらも、だ」


 その一言は場を収めるには充分だった。

 強調されて付け加えられた言葉にリディアもフレッドも何も言えなくなり、顔を見合わせてはソファに腰を落ち着かせる。


「それよりも身元に気づかれたとは何があった?」


 責任の所在よりも事実の確認を優先する問いかけに、既にセシルの耳にまで伝わっていたことに安堵した――。




 ウォルトがハリソンをセシルの元へと連れていくよう指示した際、リディアはリオにもたれかかっていた。

 逆上したハリソンなら、子爵や使用人のいる前でリディアの身元に対する憶測を怒りのままに口走るかもしれない。その可能性に気づいたからには、事前に防がなくてはならなかった。もたれかかるリディアに気を使いつつ立ち上がろうとしたリオを、力なく垂れ下がっていた腕を必死に動かして引き寄せ、耳元に唇を寄せた。そして、「ウォルトに伝えて」と頼んだのだ。

 どうやらリオはセシルにも子爵の目をかいくぐり伝えてくれていたらしい。



「私が命令口調で話してしまったのが悪かったの。危機的な状況下で毅然と振る舞えるのは、それが身に染み付いている立場の者だと暗に言われたわ」


「なるほどな。それも団長に報告しなければな」


「……ごめんなさい。確かに私の態度は不自然に思われても仕方なかった」



 恐怖に怯えて下手にでるべきだったとは思わない。それでは必要な情報を聞き出せない。けれど自身の行動を振り返った時に、冷酷に対処し過ぎていたようにも思う。


(“祈祷師”は人の心に寄り添い、共に祈りを捧げる者。あんな風に平然と命令を下さないわ)


 約二か月もの間、祈祷師として日々を過ごしてきた。

 けれど、それは己の目指す祈祷師の姿を再現するために上辺を取り繕っていただけだった。

 実際はこうして、貴族令嬢リディア・クロズリーが堂々と顔を出す。



 見るからにがっくりと肩を落とすリディアを気遣ったのだろう。それぞれ異なる笑みを浮かべたセシルとウォルトが思い思いに口を開く。


「謝る必要はないと言ったのをもう忘れたのか?」


「あの男から漏れる心配はありませんので安心してください。少々手荒な真似をしましたから、回復する頃にはもう口封じの魔術が施されていることでしょう」


「……そうね、ありがとう」



 先ほどハリソンを見た時は、詰め物をすることで口を開かないようにしているのだと思っていた。

 しかし王都へ連行する騎士が来るまでの間を全て子爵に任せるということは、当然詰め物をとる機会があるということだ。数日もの間、水も食料も与えないわけがない。


 ウォルトのいう“少々手荒な真似”はパッと見ただけではわからなかったが、詳細まで知る必要もない。それについては祈祷師の領分ではないし、金輪際リディアがハリソンと関わることはないのだから。



「明日以降についてだが、当然子爵による案内は中止だ。イグレス領内の巡回は行うが、子爵と祈祷師の接触は認めない。朝食を終えたらすぐに荷物をまとめてここを発つ」


 こうなることはリディアも想定済みだ。

 処罰が下る前の子爵と深く関わることは得策ではない。


「団長宛ての報告書とベルナール公爵への文を用意する。王都へは急使を走らせるが、公領へはウォルト、行けるか」

「ええ、わかりました」


「公爵への文って?」


 団長宛ての報告書は当然理解できる。

 事が事なだけに遠方巡回を終えてからでは遅すぎるし、ハリソンを子爵に任せきりにしておく訳にはいかない。

 セシルが釘をさしてはいたが、子爵は何処まで義理の息子に対して非情になれるだろうか。



「あの息子は一旦魔導騎士団の牢に入れるが、そうするには信用できる騎士を呼ぶ必要がある。王都からでは日数がかかるから、公爵に頼むんだ」


「公爵家の騎士なら裏切る心配はないものね」


 ベルナール公爵は現国王の弟でもある。

 王位を継ぐ者にのみ現れる聖霊を映す瞳のおかげで、ラティラーク王国では王位争いが起きることもなく友好な関係が続いているし、王族であるため祈祷師や魔導騎士への理解も深いのだろう。


「君が望むなら王都から魔導騎士を呼び寄せるが、どうする? 子爵の忠誠を試すのならその方がいいかも知れないな」


 そんなことはしなくていいと静かに首を振る。

 長引かせると逆にハリソンよりも子爵夫妻が気を病んで弱ってしまう。それに、王都から魔導騎士が到着するまでの長い期間リディア達が領内に留まることはできない。ハリソンを放置したままイグレス領を去るのも後味が悪かった。



「巡回は行けるか? 疲れているなら明日の予定は空けていい」


「大丈夫、行けるわ」


「そうか。ならば明日は聖堂、明後日からは治療院を巡ろう。ウォルトが騎士を連れて戻るまでに領内の巡回を終えて、翌日にベルナール領に向かう」


 明日以降の方針が決まったことで、打ち合わせはお開きとなった。

 各々が立ち上がり、フレッドは夜番のため通路へと、他は各自の部屋へと向かい始める。



 見送るためにリディアも同様に立ち上がる。

 そうして反転したセシルの広い背中を前にした時、勝手に手が動いた。



「……どうした」


「あ、ええと……」



 リディアの右手はセシルの袖を掴んでいる。

 歩き出していた他の三人も二人の上げる声によって足を止め、こちらを振り返った。


「不安か? それなら、扉を少し空けておこう」


「違うわ。全く、微塵も怖くないの。フレッドが警護してくれているもの」



 こちらを向くフレッドへと微笑みかけると、敬礼で返してくれる。

 だったら一体何なんだ、と言いたそうなセシルにリディアは目を泳がせた。


 こうして無意識に体が動いたということは心に引っ掛かっていた証拠だ。何と聞けばいいだろうかと言葉を整理してから、そっと口を開く。


「貴方も王立学院に通っていたでしょう? 彼が、妙なことを口走っていたの」


「妙なこと? なんだ」



 セシルの口調がほんの少しだけキツくなったように感じた。

 余計に物怖じしてしまうが、もう後には引けない。


「あの、色々な噂が流れているからとても勉強になったって。それと、私は彼が望んでた祈祷師様じゃないらしいわ。その後に……ええと、その。気持ちのいいことは()()()好きだろうから共に楽しもう、と」


 恥ずかしくて尻すぼみに声が震える。


 リディアとて、こんなことは言いたくない。

 今はランタンの灯りがなければ辺りを見渡せない程の真夜中で、ここは寝室も兼ねた密室だ。加えて年若い異性しかいないこの場で男女の生々しい話題を持ち出すなんて、貴族令嬢として育ったリディアの常識から大きく逸脱している。

 けれど、ハリソンの意図を尋ねるためには避けては通れない。一部の情報しか伝えず誤った解釈をさせるのは、どのような内容であれ後に大きな問題となるものだ。


 無言のセシルへと恐る恐る目を向けると、眉間にしわを寄せた恐ろしい形相をしていた。

 息を呑みかけたが、一旦話が終わってしまえば再び話を持ち掛けるのは難しい。慌ててリディアは続ける。


「それで、女性を弄ぶことがそんなに楽しいのかと責めたら、貴女方は違うだろうと。そう言ったのよ。――――ねぇ、セシル。王立学院では一体、どんな噂が流れているの?」




 辺りを数秒の沈黙が支配する。


 それから、呆れたような長い溜息が頭上から聞こえた。

 セシルが天井を仰ぎ見ながら息を吐きだしたのだ。リディアが掴んでいないほうの手で眉間の皺を押している。


「君の目から見て、あの男はどんな様子だった?」


「……最初から最後まで獲物に狙いを定めたような厭らしい目つきをしていたわ。それに、歪に口角を上げて歯を剥き出しにしていて。その……、はっきり言って異常だったわ。狂ってるとしか思えなかった」



 思い出して、ぞくりと皮膚が粟立つ。

 ローブの袖を握る手に力が入った。


「そうだろうな。どんな噂に踊らされたか知らんが、狂ってるやつの言うことは気にするな。……くだらん奴らはあることないことを低俗な話に連ねて持ち出すものだ。そんなことは早く忘れろ」


「……それもそうよね」


 セシルの言うとおりだ。

 (よこしま)な噂が流れるのはなにも王立学院に限ったことではない。

 社交界でも呆気にとられるような面白可笑しくつくられた噂話を信じ切る者もいた。そういった者からの話題は適当に相槌を打ちながら、右から左へと聞き流すのだ。


(同じことなのに、どうして私は気になってたのかしら?)


 ――こんな簡単なことをセシルに促されるまで気づかなかっただなんて。

 一連の疲れで頭の回転が悪くなっていたのかもしれない。



「疲れてたみたいだわ。引き留めてごめんなさい」


 掴んでいた袖から手を放して胸の前で腕を抱える。

 話を終えたことで心はすっきりと落ち着いたのに、鳥肌が治まってくれない。


 動き出さないセシルに「もう戻っていいよ」と意味を込めて微笑むと、はぁ、とまた溜息をあげてガシガシと乱暴に頭を掻いた。今度の溜息は、困ったとでも言いたそうだ。


 小首を傾げていると、何を思い立ったかセシルが恭しく跪く。驚きで目を見開くリディアをお構いなしに、抱えていた腕から右手をスルリと抜き取られた。

 リディアの右手には祈祷師の腕輪は嵌められていない。夕食後、セシルが子爵の書斎へと向かう前に既に外していたからだ。


 自分のものではない温かな体温がリディアの手の甲から感じる。

 


(なに……なんなの、この人……!!)



 ドキドキと心臓が跳ね上がる。

 手汗が噴き出しているのがわかって、恥ずかしさで体中が熱を帯びる。

 祈りを捧げるようにセシルの額に当てられていたリディアの右手は、少しの間を置いて、今度はセシルの口元の近くまでくるりと寄せられた。


 すっと伸びた薄く形の良いそれが触れることは、()()ない。



「我らが祈祷師様に、心休まる眠りが訪れることを祈っております。――エクラシア・フィデラーレ。良い夢を」



 一音一音をゆっくりと意味をもたせて、慈しみをもって祈られていることがわかる。

 束の間、軽やかに響いたリップ音とともに支えられた手のひらにしっとりとした何かが触れる。


 そうして跪いた下から見上げるセシルの表情がリディアを捉えた。



「――ッ!!」



 これは貴族としてのセシル・オルコットだ。

 女性を年齢問わず虜にする、煌々と華やいだ優雅な微笑み。

 けれど、その中にニヒルな笑みを浮かべる意地悪なセシルも僅かに顔を出す。


 熱が全身から立ち込めてのぼせそうだ。

 薄暗くても、誰もがわかるほど真っ赤に染まっている。



「あ、え……うぅ……。わ、私はもう寝ます! 皆さんも良い夢を!」


 セシルにとられた右手を勢いよく引き抜いて胸の前で抱える。


 足早に寝台の横にあるチェスト上のランタンの灯りを消すと、続々と扉が閉まる音がして人の気配が消えていく。そのことに安心して口をはくはくと震わせるも、声がでない。


 セシルの突飛な行動によって、リディアの鳥肌はすっかり治まった。

 そして、火照る感情で紅く上塗りされていた――




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