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宵に沈む「恋」なれば、  作者: 青葉 ユウ
-- 第1部 --
37/96

◇11-4:生ぬるいことは罪





 ボスンと激しい音を立ててリディアの体が柔らかな厚みのある布団に沈む。


 押し倒された衝撃で手から滑り落ちたベルは高く澄み切った音を鳴らしていたが、床の絨毯へと落ちたことであっという間に止んだ。



「こいつッ!! こんなものを隠し持ってたのか!!」


 上に跨る男の顔は光が遮られて真っ暗だ。勢いよく吐き出された怒声とともに飛び散る唾によって、怒りで火が吹いていることがわかる。



 先ほどのベルの音は壁越しにいる魔導騎士の耳に届いただろうか。


 食事前に確認した際よりも小さくしか響かなかった気がする。けれど、ベルの音よりもハリソンが発した声の方が響いている。



 すぐに助けがくるだろうけれど、まずは相手の動きを封じなければいけない。



 ハリソンが再び口を開き、声を吐き出そうとした。

 けれど、その声は出なかった。喉仏が上下する音だけがリディアの耳に届く。


 ドクン、ドクンとどちらかわからない心臓の音が鳴り渡る。



「……動いたら、もしくは声を出したら、私は貴方の首を切るわ」


「……ッ!!!!」



 ギラギラと獲物を狙っていた瞳が、今は丸々と見開いている。


 怒りの他に、もしかしたら恐怖も混ざっているのだろうか。

 慈愛に満ちた祈祷師に、そして、見下していた女に。刃を突き立てられるとは微塵も思っていなかったに違いない。



 指先に力を込める。

 そうしないと、汗で短剣が滑り落ちてしまいそうだ。


 室内の暗さと目元にかかる薄布によって距離感が掴みづらい。動きを止める程度に脅せたらいいと思ってはいたが、刃が首の皮膚に食い込んでしまっているかもしれない。




(誰か来て……、早く! だれか、お願い――――!!)



 焦りを悟られてしまえば負ける。

 男女の力の差はもちろん、体勢的にもリディアに勝ち目はない。


 鼓動が加速して時間の感覚がわからない。



 ベルの音が鳴ってから、何秒が経っただろうか。



「――祈祷師様!!」


 壊れるのではないかと思うほどけたたましく扉が開き、直後にリオの声が響いた。

 一拍置いてフレッドとウォルトも勢いよく室内へと飛び込んでくる。


 三人とも瞬時に判断して動き出したが、真っ先に状況を好転させたのはウォルトだ。


 短い詠唱で発現した風が、リディアに覆いかぶさっていたハリソンを壁へと叩きつける。激しい衝撃とともにハリソンの低い呻き声が室内に響いた。


 次いで、力なく床へと崩れ落ちたハリソンの体をフレッドがうつ伏せにして両手首を捩じり上げた後、その体に乗り上げて拘束する。痛みに悲鳴を上げながらも「俺は貴族だぞ!!」と叫んでいるが、リディアには自業自得としか思えなかった。



「祈祷師様! 遅くなってしまいすみません。お怪我はありませんか」


「大丈夫よ。気づいてくれてありがとう、リオ」


 駆け寄って抱き起してくれるリオにもたれかかりながら礼を言う。リオの声が聞こえた時から安堵で体中の力が抜けきっていた。


 視界に映った絨毯には血のついた短剣がギラギラとその刃先を鈍く光らせていた。




◇◇◇



「大変申し訳ございません!! 不出来な息子が祈祷師様に失礼な行いをしたこと、心よりお詫びいたします」


 リディアがウォルトにエスコートされて応接間に辿り着くなり、子爵が勢いよく頭を下げて平謝りをした。その横で顔を青くしながら佇んでいた夫人もぶるぶると震えながら頭を下げる。



 ハリソンが捕らえられてから既に数刻は経っている。


 その間に護衛隊長であり魔導騎士団副団長でもあるセシルから、ハリソン及びイグレス子爵に対する今後の対応を粗方伝えられているのだろう。

 どうか祈祷師様のご慈悲を、と頭を下げる子爵に幾ばくかの申し訳なさを感じながらも、リディアが微笑みを向けることはなかった――




 魔導騎士によって助けられた後、フレッドとリオはハリソンを拘束しつつ、子爵と打ち合わせをしているセシルの元へ報告に行った。

 リディアも事の次第を説明するべきなのだが、力の抜けた体で今すぐに動き出すのは難しかった。

 それに子爵の前へと姿を出すのに夜着のままという訳にもいかず、着替えるにも全身から汗が噴き出していたし、顔にはハリソンの唾がかかっていて気持ちが悪かった。

 ウォルトからの「後のことは気にしないでいいですよ」という言葉に甘えて二度目の入浴をしてからここまで来たのだ。


「私は子爵様とそのご子息に対する沙汰を下しにきたのではありません。そちらは魔導騎士団、場合によっては国王陛下から下されることでしょう。私は事の経緯を知らせに参っただけです」


 祈祷師からの冷酷な通告に、青ざめていた顔から更に血の気が引けていく姿を気の毒には思う。



 けれど、子爵夫妻には全く非がないとも言えない。

 ハリソンのあの様子では今回が初めてとは到底思えなかった。


 魔術を利用して音もなく鍵を開けるだなんて相当手慣れた行為だ。何度繰り返し練習し、そして実際に行動に移していたかどうかはわからない。

 加えて、平民と女性を見下すあの態度。

 いくら養子に迎えたばかりとは言え、そんな息子の様子に一切気づかず疑いを持たなかった結果なのだ。疑うことをせずに信頼を寄せるという行いは、領地を治める領主として、その次期領主を育てる者として適した人材であるとは言えなかった。



 それに、この場では祈祷師の意志は何よりも優先されてしまう。


 仮に今、リディアが許しを与えたとして。

 そのような前例をつくってしまえば、祈祷師の慈悲を利用して危害を加えようとする者が増える可能性もある。



「ご子息が私の元へ訪れたのは『眠れない日々を救っていただきたい一心』だそうです。扉からではなく窓から侵入した理由は、貴族であるご自身の悩みを平民の魔導騎士に聞かれたくないからだと仰っていました。加えて、水の魔術で物音を立てずに鍵をあけることは造作のないことだそうです。相当手慣れているようですし、魔導騎士や女性を見下す態度も気がかりでした。……もし、彼の蛮行で心に傷を負った者が過去にもいたとしたら残念でなりません」



 床に這いつくばりながらこちらを睨みつけているハリソンへと視線を落とす。その顔は何かを言いたそうだけれど、口に詰め物をされて喋ることはできずにいた。


 リディアは視線をハリソンから離すことなく続ける。


「私は大人しく立ち去るのなら、イグレス子爵に免じて事を大きくしないと忠告いたしました。けれど、ご子息は聞く耳をもたなかった。そうですね?」


 ハリソンに問いかけてはいるが、素直に頷くとは思っていない。けれど、この場で祈祷師ではなくハリソンの証言を信じる者は一人としていない。


「祈祷師様、お疲れのところお話くださり感謝します。……ご子息の身柄を王都の魔導騎士団へ引き渡す騎士が到着するまでは、子爵が身柄の拘束をしてください」


 セシルの言葉によってハリソンの顔に色味が戻る。こんな状況でも子爵の手助けによって逃げ出せると思っているのだろうか。

 本心からそう思っているのならば、なんて浅はかな男だろう。


「ああ、ご子息は鍵を開けることが得意なんでしたね。子爵を疑っている訳ではありませんが。仮にご子息が失踪するような事態になれば、子爵への処罰は如何ほどになるでしょうか」


 にこりと貴族然としたセシルが見惚れるような輝かしい笑みを浮かべた。

 けれど、その笑みに顔を染める者は誰一人いない。女性である子爵夫人は顔色を失うばかりだ。


「それでは私共はこれで失礼します」


 差し伸べられた手に手を重ねて立ち上がる。

 問題がおきないだろう領地を目的地として練った遠方巡回は、初っ端からとんだ事件に見舞われた。





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