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宵に沈む「恋」なれば、  作者: 青葉 ユウ
-- 第1部 --
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◇11ー3:忍び寄る悪意





 窓を開けてバルコニーへと出ると、ひんやりと澄んだ夜風が火照ったリディアの熱を冷ます。


「素敵……」


 バルコニーから見下ろせる庭には白や淡い色で統一された花が植えられている。

 その中で一際目を引くのは、庭園の中央に設置されたガセポだ。

 支柱にはクレマチスが蔦を伸ばし、色鮮やかな紫の花で彩られている。子爵の計らいで所々ランタンが灯されており、月の光と相まって美しい空間が演出されていた。


(明日の朝が楽しみだわ)


 天気が良ければあそこで子爵夫人と朝食をとることになっている。

 貴族令嬢だった時には庭園での茶会や散歩で頻繁に花の香りを楽しんでいたが、祈祷師となってからはそういった機会がめっきり減ってしまったので夫人からの誘いはとても嬉しかった。


 緩やかに流れる風とともに、生き生きと咲いた花の(かぐわ)しい香りも漂う。


 バルコニーの手すりに組んでいた腕をのせて、瞼を閉じる。華やいだ静かな夜を満喫していると、少し離れた場所からカチャリと窓が開く音がした。



「祈祷師様、入浴後はお体が冷えます。あまり長居はされないように」


 隣部屋のバルコニーから現れたのはウォルトだ。ウォルトも入浴していたようで、一括りにしていた後ろ髪はまっすぐに下され、その先には雫が形成されている。


「もう少ししたら戻るから心配いらないわ。ウォルトも戻って。髪を濡らしたままでは直ぐに冷えてしまうわよ」


「鍵を閉め忘れないようにお願いしますね」


「ええ。安心して」



 辺りを見渡してから室内へと戻っていくウォルトを見送る。

 草花の香りを堪能しようと再び瞼を閉じた、その時だった。



(……なに? またなの?)


 肌に纏わりつくような、あの感覚。

 夜着の生地越しでも鳥肌が立ったのがわかった。

 もちろん、寒さからではない。


 今度は人目を気にせずにきょろきょろと辺りを見渡したが、どこにも人の気配は感じられない。


(なんだか嫌な感じだわ)


 一瞬で急降下した気分は当分戻ることはないだろう。

 ウォルトの言う通り、早く戻って寝てしまうことに決めたリディアは窓の鍵をかけた。

 くるりと体を反転させると、そこにあるのは二人寝ても余裕のある幅の広い寝台だ。ランタンの灯りを消すために、寝台と部屋から出る扉との仕切りにもなっているチェストの前まで歩み寄る。

 けれど、伸ばした手は灯りを消すよりも腕を組むことを優先した。


 ぞわりと、鳥肌の立つ嫌な感覚が再びリディアを襲う。


 窓は閉めて鍵をかけている。

 物音はしなかった。


 それなのに、夜のひんやりとした風がリディアの肌を掠めた。


 咄嗟に羽織っていたストールの内側で握りしめていたベルの金具を緩める。


 もしかしたら。

 鍵をかけたつもりが嚙み合っておらず風で空いてしまっただけかもしれないが、辺りに漂う嫌な気配がリディアに警報を鳴らしている。


 自分の息を呑んだ音がはっきりと耳につく。

 そうして、意を決して振り返った。


「…………貴方」


 可能性として、予想はしていた。

 もしもこの部屋に侵入者がいるとしたら、この人かもしれないと思ってはいた。


 けれど、余りにも目の前にいる人物の浮かべる表情が、子爵から紹介され食事を共にした際の雰囲気とはかけ離れていて。


 ギラついた視線がリディアを捉えている。

 ぞわぞわと鳥肌が立つのが止まらなかった。


 温もりを感じるはずのランタンの灯りによって、歪に持ち上がった口から覗く赤い舌がより鮮明に見える。



 子爵夫妻の養子であるハリソンは一言も発さずに、にたにたと笑いながら足を一歩前へと動かした。 



「動かないで。貴方、自分が何をしているのかわかっているの?」


「何、とは。私はただ、眠れない日々を祈祷師様に救っていただきたい一心でこうして会いにきただけですが」


 ハリソンは先ほどまで物音を立てずひっそりと立っていたのが嘘のように堂々としており、それの何が問題ですか、と続きそうな態度でもある。



「それは、本当に祈祷師として?」


「ええ、もちろん」


「そう。……ここへはどのように入ってきたの。祈祷師の力を頼りにするのなら、堂々と扉から尋ねるものでしょう」


「あの魔導騎士は平民でしょう? そんな輩に貴族である私の悩みを聞かれたくないのでね」



 ハリソンは不遜な態度で見下すように言葉を落としていく。

 それらは魔導騎士達への侮辱だ。怒りで拳を握りしめながらも、静かに、低い声を絞り出す。



「答えになっていないわ。どのように入ってきたのかを答えなさい」


「私は水の魔術が扱えましてね、音を立てずに鍵を開けることは造作もないことです。……しかし」



 ハリソンの瞳がリディアの体を上から下へとなぞっていく。気持ちが悪くて神経が逆立つ。

 祈祷師となってから、ここまで不躾な視線を投げられたのは初めてだ。


「このような状況下でも毅然としておられるとは、祈祷師様はどうやら命令をすることに随分と慣れているようですね?」



 それは、暗に平民ではないだろうと言われているようなものだった。


 ハリソンの愉悦で歪んだ表情が変わることはないし、動くなと言ったにも関わらずじりじりと距離が近づいている。

 これ以上、会話を長引かせるのは危険だ。


「このような状況下、という言葉がでるのなら貴方も自分の仕出かしていることに気づいているわね。……今すぐ立ち去るのなら、子爵に免じてこのことは誰にも言いません。けれど、そうでないのなら騎士を呼ぶわ」


 口では立ち去ることを促していたが、ハリソンは何を言っても立ち去らないだろうことを悟っていた。


 ストールの中で腕を組みながら左手で握りしめたベルとは別に、右手で短剣の柄を握りしめる。

 ハリソンの行動次第では、すぐにベルを鳴らすつもりだった。



 ふーっと明らかに肩を落として落胆した息を吐きだしたハリソンの意図は果たしてどちらだろうか。



「貴女はどうやら私が望んでいた祈祷師様ではないようだ。けれど、貴女だって気持ちの良いことはお好きでしょう? なら思う存分私と楽しみましょうよ」



(私が望んでいた祈祷師様? この人は何を言っているの?)


 ハリソンの一言が引っ掛かった。それとは別に、女性を性的な欲求を発散させるためにしか見ていないことに嫌悪が膨れ上がる。


「女性を弄ぶことが、そんなに楽しい?」


 ハリソンを力強く睨みつける。

 いくら薄布越しとはいえ、針のように尖った口調となったので、こちらの怒りには気づいているだろう。



 今の会話の何が楽しいのか。


 ハリソンがにたにたと口元を更に深めた結果、その瞳は三日月状に細まった。


「何を仰いますか。女性を弄ぶ? 貴女方は違うでしょう? 王立学院はなんて面倒なところだと思いましたが、色々な噂が流れているもんですね。とてもいい勉強になりました」


(貴女方は違う? それに『色々な噂』って? なに、なんなの、この人)


 先ほどから目の前の男が話す内容が理解できない。けれど、その表情も醸し出す雰囲気も狂気に染まっている。正常な思考回路をしているとは到底思えなかった。


 もう諦めるしかなさそうだ。事を大きくするとイグレス領に住む領民に申し訳ないのでどうにか穏便に引き下がってもらいたかったが、これ以上は身の危険がある。


 リディアが組んでいた腕から左手を引き抜いてベルを鳴らすのと、ハリソンが一気に距離を詰めてリディアの肩を押し込み、寝台へと(なだ)れたのはほぼ同時だった。




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