◇11-1:凪ぐ旅路
遠方巡回は馬車移動が大半を占める。
リディアはここ数日間、ひたすら続く長閑な田畑や雑木林を窓からぼんやりと眺めていた。
街中から外れてしまえばどこも同じような景色ばかりで見飽きてしまう。かといって、馬車の揺れがあるため読書も刺繍もままならない。
同乗者がいるのだから雑談をしたらどうかと思われるだろうが、常に行動を共にしている魔導騎士と長時間話し続けられる話題もないし、向かいの席には一夜明けで仮眠を取っているフレッドがいるのだ。
遠方巡回では通り道の村にある宿に泊まりながらゆっくりと進んでいく。
そのため、ラティラーク王国の宿はどこも貴賓室が用意され、祈祷師一行が宿泊できる造りになっている。
宿の経営者にとって、祈祷師が宿泊するということは王族が訪れて宿泊していくようなものだ。
どこの宿も家具や調度品の質や趣向に拘りを感じるし、食事も豪華なフルコースが用意されていた。年に一度、運が悪ければ数年に一度祈祷師が訪れるかどうかであるにもかかわらずふんだんに贅を凝らしているのは、祈祷師が宿泊することで宣伝にもなるし、貴族を招く機会も増えるためだ。
そのため、経営者はあらゆる面で最大限のもてなしを尽くし、宿泊する際には警備兵も待機してくれている。
だからといって祈祷師の護衛である魔導騎士が気を休められるわけではない。
四人のうち一人は見張りとして、睡眠を取らずに待機することになる。翌日の移動中には馬車で仮眠を取るのだが、横たわることはできないため浅い眠りにしかならないだろう。
そんな状況の中、暇つぶしの会話で起こしてしまってはいけない。
同じように寝るのはどうかと目を閉じても、魔導騎士とは異なり疲れが溜まっていないせいで眠れなかった。
祈祷師の活動が本格的に始まるのは各領地で栄えている都市に着いてからだ。
それまでは一日の大半を移動に費やす。陽が暮れて小さな村の宿に着いた後は、ほんの数刻の間だけ祈祷師がいると聞きつけて宿を訪れた者へ祈りを捧げる。時には、自宅で療養している者の元へと訪問もするが、整えられたふかふかの寝台に横になれば、翌朝には疲れがすっかり消え去るのだ。
出発前には村の小さな聖堂へ祈りに行くが、そちらもあっという間に済んでしまう。
正面の窓へと目を向ける。
リディアの向かいに座る魔導騎士二名と窓の向こう側に座る御者によって、馬に乗って先導する者の姿は隠れて見えることはないが、陽の光によって激しく自己主張する髪を靡かせる人物がそこにいることを知っている。
「……羨ましいわ」
(私も気持ちのいい風を浴びたい)
常にリディアと共に馬車に乗り込んでいたセシルは、街中から外れてしまえば気兼ねなく馬に乗るようだ。王都から離れて以来、休憩を挟む度にウォルトと入れ替わっていた。
「何がですか」
「あ、ごめんなさい。声に出てしまったのね。私も気分転換に馬に乗りたいと思っただけなの」
フレッドを起こさないように声量を抑えてひそひそと話す。
祈祷師が乗馬して旅をするなんて論外だと思っていたリディアに対し、意外なことにウォルトはそんなことかとあっさり頷いた。
「いいですよ。次の休憩後に副団長に伝えますか」
「そんな簡単に頷いていいの?」
怪訝な表情を浮かべるセシルが思い浮かぶ。
こういう時に快く良しとは言わないのが彼なのだ。
「街中や悪路の場合は別ですが、当分は見晴らしがいいので問題ないですよ」
「それなら、お言葉に甘えてそうさせてもらおうかしら」
やっとこの退屈な時間から抜け出せる。
例えそれが僅かな時間だとしても、体の筋肉を解せるし良い気分転換になる。
今にも鼻歌を歌いそうなほど浮足立ったリディアにウォルトは優雅にほほ笑んだ。
「祈祷師様は誰をご指名しますか」
「指名?」
次の休憩はいつ頃だろうかと指折り数えて待っていたリディアは、突然何のことだろうと首を傾げた。
そんなリディアに合わせて、ウォルトも首を傾げる。
「もしかしてお一人で乗ろうとしてました? 流石に祈祷師様一人にはさせられませんので、二人乗りになってしまいます。我々の中で誰を望みますか」
「誰って……!」
カッと頬が赤く染まる。
一人で乗るという考えは全くなかった。問題はそこではなくて、二人乗りの相手を選ぼうだなんて思ってもいなかったことで。
(違うの。だって、不測の事態とか、特別な時は隊長がつくものだから)
だから、てっきりセシルだと思い込んでいた。
断じて四人の中でセシルが好みだとか、セシルとともにいたいとか、そういうわけではないのだと心の中で言い訳を重ねる。
(え、誰、誰……)
こういう時は護衛としての適任者を選ぶべきだ。
しかし、ウォルトの尋ね方は立場上の堅苦しい意見ではなく、リディアの個人的な人選を求めている。
ここでセシルに頼むとは言いだしにくい。かといって隊長以外の誰かを指名すれば、それは明らかな好意の表われだ。
下手なことは言えず、赤くなった頬を隠すために手を添えて悩んでいると、ふふっと静かに笑みが降ってくる。
「もちろん隊長の役目なんですけどね」
「~~~~ッ!!」
(ウォルトまで揶揄うのが好きなの!?)
リディアの目の前では、貴族らしく着飾った優雅な笑みを浮かべたウォルトが愉快そうに目元に皺を寄せている。
その横でフレッドが寝ていなければ、確実に大声をあげていた。
◇◇◇
木々や草花の香りをのせた涼しい風がリディアの肌を掠める。
太陽の位置が下がって日差しも弱まっているため、仄かな陽気に照らされた。
カポッカポッとリズムよく流れる馬の足音と全身に伝う揺れが心地良くなじむ。
「んん~~っ、気持ちいいわね」
鼻から目一杯空気を吸い込み、大きく胸を膨らませる。今度はゆっくりと息を吐きだすと体がリセットされていくようで気持ちがいい。
「人の目は気にしてくれ」
「わかってるわよ」
リディアは馬車の前を歩く馬にセシルとともに乗っている。
そのため、少し距離は空いているが、真後ろには馬車を操縦する御者がいるし、道の両端にある広大な田畑にはポツポツとの作業をしている者の姿が見える。
徐々に次の村が近づいているようだ。
この様子だと、今日は陽が沈む前に宿に着けるかもしれない。
「イグレス領はもうすぐよね。明後日には着くかしら」
「明日の天気が良ければ早朝に出発する。そうすれば、夜には着くだろう。先方にもそう連絡してある」
「もう明日なのね」
先方とはイグレス子爵のことだ。
遠方巡回では目的地に着くなりその地を治めている領主に挨拶に行き、その後に各治療院や診療所、聖堂を数日かけて巡回していく。その間は領主の屋敷に滞在したり、都市の宿を日毎に泊まっていくとの話だった。
イグレス領は王都からもクロズリー領からも離れているため、リディアは一度も訪れたことがないし、挨拶を交わしたこともない。その点では身元に気づかれる心配がないので安心しているのだが、祈祷師として貴族に対面するのは初めてで緊張が募る。
(私は今、祈祷師らしいのかしら。それとも、まだ貴族を抜け出せていないのかしら)
“祈祷師らしさ”は噂や物語から想像した個々の主観で出来上がっている。
共通するのは白いローブを身に纏って魔導騎士を引き連れている慈悲深い女性という点だ。
王都では度々祈祷師を目にする機会があるため、聖堂で民から日々の悩みごとを聞く司教と祈祷師を同じ聖職者として見る者が多かった。祈祷師は比較的身近な存在だったのだ。
しかし、王都から離れれば離れるほど、祈祷師と会う機会は限られるし実体験も広まらない。
実際にリオも異国の物語だと感じるほど他人事だったと言っていた。
そういった場合に“祈祷師らしさ”はどのように形成されるのだろうか。
遥か遠く、天からこの国を見守る聖霊や聖女のような、そんな存在なのだろうか。
そうならば、リディアの祈祷師像と酷似している。
幼い頃に会った祈祷師は神聖で神秘的で、本物の聖女だと思った。
祈祷師となることで少しは近づけるだろうかと淡い期待を抱いたが、憧れの祈祷師はもう会うことのできない存在だと知り、その祈祷師の信念を垣間見たことで、手の届かない存在なんだと、距離は更に遠くなったように感じる。
己の祈祷師像に、今の自分自身が当てはまらないのだ。
そんな状態で人々から祈祷師だと認識されるのだろうかと、リディアは思ってしまう。
そうした考えが自分自身を不安にさせていた。
「緊張しなくていい」
ぶっきらぼうに言い切られるが、その声音はどこか温かい。
元からセシルには隠された優しさがあったが、あの日、宵の森で二人きりになったあの夜以降は一段とその温もりを感じ取れた。
(私のセシルに対する壁が薄くなっただけで、セシルは変わってないのかもしれないけれど)
同じ志を持つ似た者同士だと知ったところで、あからさまにお互いの関係が変わることはなかった。けれど、ふとした優しさに触れた時、距離が近づいたことを実感できて思わず笑みがこぼれる。
「温和が取り柄の男だ。人を勘ぐったり、裏を読んだりできるタイプじゃない」
「そういえばオルコット領も近いものね。交流があった方なの?」
「近いといっても間に他の領地を複数跨いでるからな。時々こちらに挨拶に来ていた程度だ」
「まあ、そうなるわよね」
オルコット領はイグレス領の次の目的地であるベルナール領の隣に位置している。
初めに巡回ルートの説明を受けた際、イグレス領からベルナール領までは五日ほどかかるとの話だった。隣といえどもベルナールは公爵領であり、領土は広大だ。オルコット領に赴くには更に数日を要することだろう。
そして、ベルナール領とオルコット領はこの国と海外の諸国を繋ぐ海沿いの領地でもある。砂浜や入り江の周辺は避暑地として貴族に人気だし、港町には様々な異国の品が露店に並ぶため、王都並みか、それを越える賑わいらしい。
一方、イグレス領はありふれた田園地帯である。決して寂れているわけではないのだが、領地内で十分栄えているオルコット侯爵家がわざわざイグレス子爵と交流をもつ旨味はないわけだ。
「今回の巡回は狸や狐どもがいない地を選んだから安心していい。隠れていたとしても、君にとっては可愛いものだろう」
「可愛い? そんなこと思ったことないわ」
その狸や狐の更に上をいっている人でないと可愛いだなんて思えないのではないだろうか。
貴族はそういった思惑を秘めた者が大半で、上辺だらけの会話から意図を読み取ろうとすると疲れてしまうのだ。
当主や後継者ではないリディアは同年代の令嬢達と表面上は和やかな世間話をするだけなのだが、それでも疲れるものは疲れる。
可愛いと思えたことなんて一度もない。
(でも……何を考えているのか見当もつかないこの人よりも、なり切れずにボロが出ちゃう人なら可愛いかもしれないわね)
化け狐のセシルを想像してみると意外なことに似合っていて。笑い声を上げそうになった口元を慌てて押さえた。
そうして口に出せなかった一抹の不安と緊張が、堪えきれずにするりと飛び出していったのだった。