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宵に沈む「恋」なれば、  作者: 青葉 ユウ
-- 第1部 --
19/96

◇7-1:薄闇に生きる



「天気にも恵まれて嬉しいわ」


 正午を告げる鐘が鳴る。

 少し遠くなった警備塔を振り返り見ると、鐘を鳴らした魔導騎士もこちらを見ていたようで胸に手をあてて敬礼をした姿が遠目からでもわかった。

 リディアも行ってきますと伝えるために手を軽く振る。


 警備塔で働く使用人へ挨拶を済ませた後、リディア達は少し早い昼食を食べて宵の森へと向かっていた。

 見上げた空は雲一つない快晴で、透き通る風が肌を優しく撫でる。


「森に入れば天候なんて気にならなくなる」


「でも雨が降らないだけましでしょう?」


 宵の森に入るまでの石段は人工的に造られたものではないため、高さや幅が不規則だ。

 大きな岩が崩れて出来上がっていることから、人力でも強風でも微動だにすることはなく崩れる心配はないが、足を踏み外す危険はある。リディアの歩幅で危ういところはセシルの手を借りつつ、ところどころに苔が生い茂る岩段を一歩一歩、地道に登る。


「陽が暮れてしまうと降りるのは大変ね」


「そうだな。今日は初めての者が二人いるから、辺りを軽く偵察したら早々と引き返す予定だ」


 森の奥深くまで入る時は一泊、長くて三泊ほど野営をすることもあるようだが、常に魔獣に襲われる危険のある場所だ。慣れていない者を二人も連れていては立ち行かなくなる。



 長い石段の半分を越えた辺りから、一段進むごとに暗く、空気が重くなっていく。

 最後の段をようやく登り終えたと思えば、もう薄闇の中だった。


 空を見上げても背の高い木々が見えるばかりで、あんなにもじりじりと皮膚を焦がしていた太陽の光は遮られてしまい、ほんの僅かしかリディア達に届かない。

 それに霧が薄っすらと漂っていて視界はぼやける。なによりひんやりと肌寒かった。

 これでは確かに天候の良し悪しは気にならないというのも頷ける。雨が降っても木々の葉が遮ってくれそうだ。


「怖気づいたか」


「平気よ。なんだか、ここは別世界に思えてしまうわ」


 心配とは程遠い人を試すようなセシルの問いかけにも大分慣れた。

 それがセシルなりの気のかけ方なのだろうということも気づき始め、リディアは素直に思ったことを伝える。




 少し歩いたところで先陣を切っていたフレッドがぴたりと止まり、しゃがみ込んでは足元を注意深く観察しだした。すぐ後ろを歩いていたリディアもフレッドに倣い、足元を注意深く見る。


「こちら側は最近踏み入った形跡があります。左手に進みますか?」


 今まで歩いてきた道も道とは言えないような獣道だったが、フレッドが指さした先は雑草が膝下辺りまで生い茂った道なき道だった。


 セシルがどうするかとリディアに一任する。

 ここでもリディアの意志を尊重してくれるようだ。ゴクリ、と固唾を呑む。


「ええ。行きましょう」


 せっかくならあまり足を踏み入れていない方へ進みたい。

 探索の目的もあるのだしと二つ返事で了承した。



◇◇◇



 サクサクと草を踏み分けて進む。

 光の差さない薄闇と霧のせいで、進む先が崖や行き止まりでもなかなか気づけない。ぼやけながらも見えるのは精々五メートル先くらいまでだろう。


 時折フレッドが促してくれる注意と、手が届く距離にセシルがいてくれるおかげで足を取られて転ぶことはない。


 リディアの後方ではウォルトがリオに説明しつつ木の幹に印をつけている。帰路に彷徨うことがないように暗闇でも目に付く発光塗料を使っているため、振り返ると霧の中に橙色の道筋が出来上がっていた。

 同様に、ウォルトとリオが身につけているローブの裾がキラキラと輝いて居場所を主張する。


 魔導騎士は黄色、祈祷師は赤紫色といった色違いの塗料で裾や袖に模様を入れた宵の森専用のローブを身につけているため、霧で姿が見えずともお互いの位置が把握できるようになっているのだ。そのためか、それぞれの距離が離れても構わず進んでいくので、お互いに実力を理解してるからこその行動なのだろう。



 宵の森に足を踏み入れてから一時間は経っただろうか。リディアは見たことのない植物を幾度となく目にしてきた。


(宵の森でしか育たないものもあるのかしら?)


 植物に詳しいわけではないので、リディアにはこれまでの生活で見たことがあるかどうかしかわからない。


 ゆっくりと歩きながら左を見て、右を見て、足元を見て、また左を見てを繰り返す。霧で遮られるぎりぎりの場所で所々色づいている幹があることに気づき、不思議に思って目を凝らした。


「どうかしたか?」


 必然的に斜め前を歩いていたセシルもピタリと足を留めてリディアの視線の先を追う。

 そこにあるのは血管のように張めぐらされた蔦と透き通った水色の小花で美しく飾り立てられていた大樹だった。


「ごめんなさい。とても綺麗だったから」


「近くで見てみるか」


「いいの?」



 セシルに手を引かれて木の根元までくる。

 間近で見ると、より一層目を奪われた。


 透きとおるほど薄い花びらには水色の花脈が伸び、花芯に近づくにつれて瑠璃色の深い青に変わる。霧で潤った花はピンと広がり、触れると割れてしまう薄氷のような繊細さだ。

 顔を近づけてスンと鼻から息を吸い込むと、柔らかい華やかな香りがリディアを満たす。


「なんていう花かしら」


「ここでしか生息しない花かもしれないな。他の植物の話になるが、以前苗ごと持ち帰ったら一日と待たずに枯れたことがある」


「そんなことがあったのね。こんなに綺麗なのに残念だわ」



 ドレスや髪飾りにあしらったらどんなに栄えるだろうか。


(きっと高貴な貴婦人方の目にも留まるでしょうし、そうなったら一気に流行するに違いないわ。まあ、私がドレスを着る機会なんてもうないでしょうけど)


 部屋に飾って眺めるだけでも十二分なのだが、それも難しそうだ。

 もう一度花の香りを堪能しようと顔を寄せて目を閉じる。


 整備されていない道を歩いて辿り着いたのだ。もうこの花を見る機会もないかもしれないと思うと切ないが、祈祷師にならなければ見ることのできない光景だったという幸福感も湧き上がった。



「そんなに気にいったのなら、少し持ち帰るか」


 思いもよらない一言にセシルを見ると、丁度よさそうな蔦と花を手折ろうとしているところだった。慌ててその腕を掴む。



「だめよ! 枯れてしまったら可哀想だわ」


「枯れる確証はないし、少しくらい手折ったところで罰は当たらない」


「そう、かしら」


 迷いもなく断言されると、リディアにも迷いが生まれる。



「ここは聖霊王が眠っていた地で、聖霊の加護を与えられた君が望んでいるんだから許されるはずだ。それに、許されないならば私はもうこの世にいない」


(……苗ごと持ち帰ったと言っていたものね)


 確かに、過去の例と比べたらほんの一部を手折るくらいどうってことはないだろう。


 心の中で聖霊に一言断りを入れて、なるべく傷まなそうな場所を選んで手折っていく。

 そうして、飲み水で湿らせたハンカチで包んでからローブの内ポケットにしまった。




「待たせてしまってごめんなさい。行きましょうか」


 そばで周囲を警戒しながら待ってくれていた三人へ声をかける。


「警備塔の壁一面に張り巡らせたら、絶対目を引きますよ」


 育つと信じてくれているリオからの提案にふふっと笑っていると、ヒュッと風を切る音を皮切りに木々が騒めき始めた。風の勢いで大きく靡く髪とローブを抑えながら、風上に背を向ける。



「急にどうしたのかしら!?」


(天気が急に悪くなった? でも、木々に遮られるせいで天候に全然左右されないはずなのに。それに、みんなの様子も……)




 空気が張り詰めていた。



 音を立てないように無意識に呼吸も浅くなり、体も硬直する。


「きゃッ」


 腰に腕を回されてセシルの胸元まで引き寄せられる。

 ドクン、ドクンと心拍数が上がっていく。 


「離れるなよ」


 息を潜めて囁かれる。

 いつの間にかセシルの右手には剣が握られていた。薄闇の中で鋭く砥がれた刃先が鈍く光る。思うように声が出せないかわりに頭を大きく上下に振る。


 耳に全神経を集中させても木の葉が風で擦れる音しか聞こえない。

 心臓の音がやけにうるさい。

 落ち着けと念じても逆に指先の感覚は冷えていく。


(大丈夫よ。みんなの邪魔には、ならない)


 胸の前で左腕を強く握る。

 布越しに感じる感触が柔らかい肌だけでないことを再確認して、深く息を吸った。

 袖口から抜き取れるように腕に括り付けているのは細く短い短剣だ。万が一危険が身に迫っても一瞬の隙をつくることくらいはできるだろう。


 吸った息をゆっくりと吐きだす。

 もう一度、大丈夫だと自分自身に言い聞かせた時だった。



「上! 上から来ます!!」



 リオの張り上げた声が辺り一帯に木霊した――







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