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宵に沈む「恋」なれば、  作者: 青葉 ユウ
-- 第1部 --
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◇6:秘むべき事態



 喉が渇いて目が覚めると、暗闇の中だった。


「水……」


 目を擦りながら僅かな月明りが射し込む室内を見渡す。しかし、どこを向いても見慣れない部屋で、ようやくここが警備塔の一室であることを思い出す。


「……水を汲んでおかないといけなかったのね」


 落胆がそのまま溜め息として吐き出される。


 祈祷師用の一室は安全面を考え、最上階にある祈祷室の一つ下になっている。そのため階位が高すぎて水道が届かず、三つ下まで降りなければいけなかった。

 一フロアが丸ごと部屋となっているため広さもあって綺麗に整っているのだが、セシルが不便といっていたのはこういうところなのだなとしみじみ思う。


(我慢して寝てしまおうかしら)


 再び横たわり瞼を閉じても、喉の渇きを意識してしまうと中々寝付けない。


(やっぱり駄目だわ。夜も遅いし、誰とも会わないわよね?)


 リディアが身につけている夜着はキャミソールワンピースで肌の露出も多く、到底人と会える恰好ではない。かといって、水を飲んで戻ってくる間のたかが数分のためだけに二度も着替える気にはなれない。


 夜間警備の魔導騎士の配置は塔屋に二人と外に四人。人数も少ないため、持ち場を離れることは滅多にないだろう。他の者は個々の部屋で眠っている時間だし、大きな音を立てない限りは誰にも会うことはないはずだ。



 明日の朝は早い。


 どうするかを決めたのならば、さっさと行動して早く寝直さなければいけない。

 ソファの背にかけていた大判のストールを肩にかけて、リディアは忍び足で歩き始めた。




◇◇◇



 階段をゆっくりと、靴音が響かないように恐る恐る降りる。

 二階下までたどり着くとほっと一息を吐いた。



 ここの警備塔は閉鎖的な空間なこともあり、緊急事態に備えて音が響きやすい造りになっている。つまり、何も考えずに歩くと足音がかなり響く。


 そして、祈祷師の部屋の一つ下は護衛隊長の部屋。

 セシルを起こしてしまうことだけは避けたかったリディアにとって最大の難関だった。加えて、外階段へと通じる出入り口もある。祈祷室と塔屋に行く者は必ず通ることになるのだが、運悪く誰かと出くわすこともなかった。


 なんとか静かに通り抜けることができたが、ただ階段を降りるだけなのに気づけばじんわりと汗をかいている。


(明日からはこんな事をしなくていいように気を付けましょう。……こんなに気を張り詰めてたら、眠気も覚めてしまうわ)


 目的地は四階の水場と浴室があるフロアで、今リディアがいる五階は少数での打ち合わせ場を兼ねた書斎となっている。下に降りる階段までは円形の塔に沿った螺旋の通路が伸びているが、平面の廊下であれば少しの注意だけで十分だ。

 壁に手を添えながら、小さな窓から射し込む月明かりと壁の窪みに設置された微かな灯りを頼りに歩を進める。



 とはいえ、石材の継ぎ目で躓かないようリディアの視線はずっと足元へ向けていた。

 だから気づかなかったのだ。



 壁に添えていた手が、石壁ではない、なにか柔らかいものに触れる。


(ん?)


 突然変わった感触に踏みとどまり、なにかを確かめようと手を動かす。



(布……と、これは、人の……腕!?)



 顔を足元から、恐る恐る上へと向ける。

 そこに立っている人物の靴もズボンも闇夜に紛れる黒だったため気づけなかったが、人がいるとわかると輪郭もわかってくる。

 壁に寄り掛かった体に組んだ腕。

 襟足が肩まで伸びた、闇夜の中でも僅かな月の光で輝く金髪。

 顔まで見なくても誰かがわかってしまう。


 ――今、もっとも出くわしたくない人物がそこにいた。




 顔を合わせることが恐ろしくて、肩から上へと顔を向けられない。

 セシルの腕に触れてから数分は経ったが、リディアが微動だにしなけばセシルも置物の様に動かなかった。


(……恐い。けど、もうそろそろ心臓が保たないわ)


 鬼がでるか蛇がでるか。

 どちらも大して変わらない気もするが、こちらが何かアクションをとらない限りセシルはいつまでも無言の圧力をかけてくるということはわかった。


 深くゆっくりと深呼吸をして、一思いに頭を上げる。



 瞬間、声にならない悲鳴が溢れる。


「――――ッ!!」



 虫けらを見るような、愚鈍な者を蔑むような、そんな瞳。

 見下ろされていた目は据わっていて、光が一切宿っていない。


 思わず後ずさった足のヒールが石材の継ぎ目に見事に引っ掛かり、バランスを崩した。


「あッ」


 大声を出してはいけないと、リディアの両手は身を守るよりも口を塞ぐことを優先した。

 襲ってくるだろう痛みに耐えるために歯を食いしばり瞼を強く閉じる。


 けれど、痛みがリディアを襲うことはなかった。


 その代わりに背中に力強い熱を感じる。


(そうよね。どんなに恐ろしい形相で私を見下ろしていたとしても、騎士様が助けてくれないわけないわよね。よかった……のよね?)



 さて、これからどう動けばいいのだろうか。

 まずは全体重を支えてくれているセシルから離れて、立ち上がればよいだろうか。

 それとも礼が先か。


 そんな思考はまたもや一瞬で吹き飛ぶ。


 セシルがもたれかかっていた壁は書斎に繋がる扉だったらしい。

 リディアを支えたまま空いている手でドアノブをひねり、内開きのドアとともに室内へと入ると勢いよく体を投げ飛ばされ、同時にガチャリと再び閉まる音がした。


 セシルの不可解な行動に頭も体も追い付かず、投げ飛ばされた勢いのまま背中から倒れ込む。



 ボスッと音を立てて倒れたのは、幅の広いソファの上だった。



(よ、よかった。固い床じゃなくて……)


 心臓がバクバクと早鐘を打つ。

 今更ながら恐怖で視界が潤む。



 そうして、ギシッと軋む音にまた息を呑む。

 目の前に現れた何かによって、窓からの月明かりが遮られて視界が暗くなる。



(流石に、この状況は別な意味でまずくないかしら)


 密室のソファに横たわる女性と、覆いかぶさる男性と。

 この状況が世間一般的に何を意味するかはリディアでも知っている。


 途端、頬が紅潮していくのが嫌でも手にとるようにわかった。


(そんな馬鹿なこと考えてはだめ。相手は引く手数多の次期侯爵様よ)


 でもそれ以外にこの状況に何の意味があるのか。

 殺される直前、とかだとあり得るのだろうか。




「君は」



 今夜初めてセシルの声がリディアの脳を駆け巡る。

 ドスの聞いた重低音に、赤らんでいたはずの指先から急速に血の気が引く。


「こんな時間に何をしにきたんだ」


 ひりつく喉を何とか震わせて声を絞り出す。



「水を、飲みに……。喉が乾いて、目が覚めて」

「そんな恰好で?」


 影になって見えない瞳がストールが乱れて露になった胸元に向けられていることを肌で感じる。

 恐怖に恥ずかしさ加わり、更に心臓が暴れだす。



「水を飲んだら、すぐ戻ろうと思って。みんな寝てる時間だろうし、音を立てなければ会わないだろうと、ひぅッ」


 外部からもたらされた感覚にびくりと跳ね上がる。

 セシルの温い指先が、リディアの首筋から肩をゆっくりとなぞったのだ。


 潤んだまなじりから雫が流れる。

 恐怖と羞恥がない交ぜになって思考回路が追い付いてくれない。


「君以外は年若い男しかいないとわかってるだろう。貴族の令嬢なのに、危機意識が足りてないんじゃないか」


「ご、ごめん……なさい。もうしないから、許して……。ひゃあッ」


 横腹からお腹へと手のひらで撫で上げられる。

 夜着を着ているとはいえ、涼しく過ごせるように作られた生地に厚さはなく、生々しい感触がリディアを襲う。


 涙は留まることを知らず、呼吸はハクハクと浅くなる。



「極めつけはその紅潮した頬と何かを強請る潤んだ瞳と、口から漏れるその声と。男を唆せているとしか思えないな」


「ちがッ――!!」



 夜着と素肌の境目、それも鎖骨と胸の間に熱い吐息と湿った感触、そしてサラサラとした細い髪の毛が肌に当たる感覚に思考は真っ白になる。

 いっそのこと意識を手放してしまいたいと思った。

 手のひらを握りこれから起こるだろうことに身構えていると、また軋む音がしてセシルの重圧が遠のいていく。


「はぁ、れ……?」

「これに懲りたら今後は夜中に出歩かないことだな。その服装ももう少し考えろ」


 今までの有無を言わせない力とは異なり、腕と肩を優しく支えられて体を起こされる。

 されるがままにソファに座らされたリディアの前に、今度は水の入ったグラスが差し出された。


「あ……、はい」


 目の前のグラスを受け取り、水面に映る自分をじっと見つめてから飲み干す。

 そうしてやっと心臓は落ち着きを取り戻し始めた。



(私はなんてことを……)


 もうこのまま流れに身を任せようと一瞬でも思ってしまった自分が恥ずかしい。


(というか、キッ、キスされた!?)


 確認したい衝動を耐えきれずに胸元に手をあてると心なしか湿っている気がして、再び頬が赤くなる。



「まだ必要か?」

「はい!? な、なにを」


「水。空になってるが」


「いえ! もう充分です。部屋に戻ります」


 またもやおかしなことを考え出した自分を叱咤して、リディアはすぐさま立ち上がる。扉へと早足で向かうとその後ろをセシルが歩く音が聞こえたので、ストールを引き寄せながら振り返った。



「あの、まだなにか?」


 そして聞こえる呆れた溜息。



「君はまだ反省していないのか」


「……お言葉に甘えて、付き添いをお願いします」



 語尾が徐々に小さくなる。

 なによりも今、目の前にいるセシルから一刻も早く離れたかったが、帰り道に一人になっては先ほどまでの身に迫る忠告を無視してしまうことになってしまう。



(私のばか……)


 できることなら、眠る前まで時を遡りたかった。






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