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非日常的空間浪漫譚

作者: 枯野 常

 がこん、と大きな音を立ててエレベーターが止まった。


 ***


 私の住む街の図書館は、可愛らしいレトロな佇まいをしている。

 実際、古い時代の建物を出来る限り残す方針で使用しているらしい。その外見に惹かれて通い始めたのが一年ほど前のこと。そして最近は、その敷地内の奥にある更に古びた外見の分館がお気に入りだ。

 古書独特のほんのりと甘い劣化の香りと、保存のために低めに設定された温度が心地よい。そして何より来る人が少ないので、まるで自分だけがその場所に居るかのような気分になる。人の気配と音で飽和した都会で、それらから逃げ出すことが出来るのは非常に有り難かった。

 ――――別に、それらが嫌いなわけではないのだ。夜でも賑やかな街並みがあり、何処かで誰かが寝静まることなく営みを続けているというのは、一人で生きている私にとって何故か暖かく感じられた。皆が其々に心の何処かで孤独を抱えているのかもしれない、と思うと、何処かぽっかりと空いた心の隙間が慰められるような気持になるからだ。おかげで、上京してきてから深夜のコンビニに行く機会が増えた。深夜に買うアイスは背徳の味がする。そして何より、夜勤のバイトさんが浮かべる虚無の表情に安堵する私が居るのだった。

 けれど、偶に、極偶に、それさえも億劫に感じることがある。外との関わりが全て煩わしくなってしまう時。例えば、バイトの連勤明けの何もない休日とか、試験の次の日とか、単純に嫌なことがあった日とか。そう言った時は、ずるずると適当な支度をして、スッピンをマスクで隠して、此処に来る。その場にある本はそういう気分の時に読むには難しすぎるものばかりだと数回目で学んだので、本棚から適当に読み慣れた軽い内容の小説なんかを持って、お気に入りの席に座って満足するまでそれを読むのだ。そうすると、不思議と少しだけ気分が楽になる。……帰りのご飯を、コンビニで買って帰っちゃおうかな、くらいのものだけど、大事な第一歩ではあるのだ。それを私は、「人間に戻る」と呼んでいる。ヒトの中には、疲弊しきると「人間」から社会性を捨てた「動物」になりたくなってしまう個体が居て、私はその分類なのだと思っている。


 そして最近、そんな風にこの分館を利用する人間が私だけではないことに気付いた。使用する階も、席も違うけれど、私の通り道だからよく見かける。本館でも何度かすれ違ったことのある、恐らく社会人であろう男の人。真っ黒な髪を清潔そうに切りそろえていて、フレームが太めの眼鏡をかけている。理系っぽい雰囲気を醸し出しているけど、恐らく文系なんだろうな、と勝手に予想している。手元に抱えているのは新作のハードカバーであったり、図書館で専門書だったりと統一性は無く、興味のあるものを気分のまま片っ端から読んでいるタイプなんだと思う。たまに私のドツボを突くちょっとニッチな作者の本なんかも持っていたりするものだから、一方的に覚えてしまった。流石に勇気も度胸も無いから話しかけようとは思わないけど、もしかしたら趣味は合うのかもしれない。




 ……そして。

 私は今、一方的にそんな風に思っていた彼と、エレベーターに閉じ込められている。

 停電ではないようで、電気が点いていることが幸いだった。流石に、知らない男の人と真っ暗な、しかも不安定な密室で過ごすのは怖い。自意識過剰とかでなく、女の人相手でも不安を覚えるだろう。……まだ、「困りましたね」なんて話しかけるハードルは低かったかもしれないけど。しかも、一方的に顔を認識してる相手だ。別に悪いことをしたわけでも企んでいたわけでも無いのに罪悪感が涌いて話しかけるのにも少し気が引ける。どうしようかな、とちらりと相手を見ると、彼はぽちぽちとエレベーターの非常ボタンを押しているところだった。

「参ったな、繋がらない」

「え、繋がらないんですか」

「……ええ、不幸なことに」

 男の人――――ひとまず、お兄さん、と心の中で呼んでおこうと思う――――は、はぁ、と溜息を吐いて壁に背を凭れさせた。私も何となく確認したくて非常ボタンを表示の指示通り長押しするが、何も起きない。なんてことだ。

「ケータイ……」

「この分館、古い建物のせいか電波最悪なんですよ」

「うわ、ほんとだ」

 お兄さんの言葉通り、スマートフォンを付けてみると「圏外」の表示が出ている。なんてこった、と先ほどは心の中だけで留まった台詞が今度は口からぽろっと漏れていた。それにお兄さんはこちらをちらりと見て、「とりあえず、座りませんか」と言う。私が首を傾げると彼はぶっきらぼうに、「体力温存です」と答えた。

「……いつ、外の人がこの状況に気付くか解りませんから」

「確かに、そうですね」

 頷いて、私は彼の対角線上に座り込むことにした。冬の、特に冷暖房設備の整っていないエレベーターは酷く寒い。床に付けたお尻が、コート越しだと言うのに冷たさを感じ取って震えた。元々寒がりなので、カイロを体中に貼っておいて良かった、と思う。そこでふと思い立って、鞄の中身を一つ取り出した。

「……あの」

「なんでしょう」

 彼は私の躊躇い勝ちの呼びかけに顔を上げた。この状況に困惑しているのか苛立っているのか、眉間に皺が寄っている。元々人のマイナスな感情に臆病なのもあって一瞬怯みそうになったが、始めたのは自分だ、と意気込んでお兄さんに鞄から取り出したものを差し出した。

「これ、よかったら」

「懐炉ですか」

「ええ、今朝駅前で貰ったものなので、遠慮しないでください」

 嘘だ、自前である。冷え性なので、寒い教室などで指が冷え切ったときに使うことがある貼らないタイプの使い捨てカイロだ。でも一番小さいサイズのそれは稀にティッシュ配りのティッシュ同様配られているのと同じものだし、気付かれることはないだろう。それにこの状況下、知らない相手から貰うものとして、無料の試供品や販促品だと言った方が受け取りやすいと思ったのだ。

 お兄さんは、私の差し出したカイロをじっと見つめて受け取ろうとはしない。なんとなく居た堪れなくなって、「……貼るタイプじゃないので、使いにくいかもしれませんけど……」と付け足す。そうすると彼は首を振り、「ありがとうございます」と言って受け取った。

「正直死ぬほど寒かったので、ありがたいです」

 遠慮なく、と続けて袋を開ける彼に、私はほっと息を吐いた。「良かったです」と笑うと、お兄さんの眉間の皺も薄くなる。もしかしたら寒くて耐えていたのかもしれない。だったらふとした閃きが私の精神衛生上非常に良い方向に働いたことになる。ありがとう私の脳みそ、本能、直感。まだ捨てた者じゃないかもしれない。

「……良ければ、名前を教えて頂けませんか」

 揉まなくても温まります、と書いてあっても使い捨てカイロを揉んでしまうのは日本人の性だろうか。手の中の白い塊をにぎにぎと転がしながら、お兄さんはふとそう口にした。「……この状況下で、お互いの名前を知らないのも何かと面倒ですし」と続いたその言葉に、私は「確かにそうですね」と納得する。

「僕は林といいます。どこにでもいるサラリーマンです」

 その言い回しがなんとなく可笑しくて、つい噴出してしまう。そしてやっぱり社会人だった、と自分の予想が正しかったことに少しだけテンションが上がった。なので私も、彼の文法を真似して名乗ることにする。

「私は里中といいます。どこにでもいる女子大生です」

「……どこにでもいる女子大生は、こんなところにあまり来ないように思うのですが」

「私の知っているどこにでもいるサラリーマンも、あんまりこの場所に好んでくる方は少ないように思います」

「それもそうですね。では、物好きなサラリーマンに訂正します」

「じゃあ私は、物好きな女子大生ということで」

 ふ、と小さな声を立てて彼が笑う。私もつられて口角を上げた。

 どうやら彼は、名を名乗るというのを口実に会話をしようと試みたらしかった。確かにこんな寒くて閉鎖的な空間で、お互いだんまりと言うのは建設的ではないように思う。体調的にも精神的にもだ。せめて誰かが助けに来てくれるまで、会話だけでもつなげて明るい気分を保っていた方が良いだろうと思う。なので私も、彼からの少し不器用な提案に乗ることにしたのだった。

「実は僕、里中さんのことを良く見かけていたんです。此処だけではなく、本館でも。……あの、これセクハラとかにならないですよね」

 少し気まずそうに、頬を掻きながら林さんがそう告げる。セクハラ、と言う言葉にやはりサラリーマンは大変なのだなぁと思った。私は「なりませんよ」と首を振って、「それに、私も林さんのこと見かけてて、この人理系に見せかけた文系だな? とか社会人ぽいけど院生って言われても納得するなぁ、とか勝手にいろいろ考えてました」と続ける。それに彼は虚を突かれたような顔になった。そして黙り込んでしまうので、流石に内心を全部暴露すべきでは無かったか、と反省する。

「あ、あの、流石に気持ち悪かったですよね、ごめんなさい」

「ああ、いえ、違うんです。……その、」

 落ち込む私に、林さんは慌てて手を振った。そして、ごほん、と一度咳ばらいをする。「……他意はないのですが、その」ともごもごと話し始めた。

「いつも、僕が見かけるときは夢中で本を読んでいらっしゃることが多かったので……自分が認識されてると、思ってなかったんです」

 そう話す林さんがあまりにも恥ずかしそうに話すので、聞いている私の顔まで赤くなってしまう。それを隠したくて「そうですか……」と俯くと、彼は「はい」と頷いた。嗚呼、この雰囲気は駄目だ、話題を変えよう、と私も自分が見ていた彼の様子を話すことにした。

「わ、私も! 林さんが私のことを認識しているとは思っていませんでした。見かけるたびにいろんな種類の本を読んでるし、あまり周りのことは気にかけていないように思えたので」

「ああ、まぁ、間違いではない……ですね……。里中さんのことを認識してたのは、その……読んでいる本が、こう言うとすごく上から目線みたいで申し訳ないんですが、良い趣味してるなぁ、と思っていて」

 私の彼に対する認識はあながち間違っていなかったらしい。彼の少し遠まわしな言い方にピンときて、「もしかして」と私は声を上げた。

「雪坂セツですか?」

 それは、私が彼を認識するきっかけとなった小説家の名前だった。凄く有名で人気のある作家、というわけではない。どちらかと言えば文体にもかなり癖があるし、話の展開も傷口を抉りに抉ってからタバスコを塗り込むようなものが多い、要は読む人を選ぶ作品を書く人である。何度か作品が映像化されたこともあったけれど、単館上映の短い映画であったり、これもまた独特の作品作りをする監督が作成するOVAなど、元から作品のファンでなければ追いかけないようなメディアミックスばかりだった。それこそハマりたての高校生の頃なんかは、友人にもこの魅力が伝わらないものかと布教活動を行っていたけれど、大学生となった今は「里中ちゃんこういうの好きなんだ」という他人のちょっと冷めた目とか、「ああ、こういうの好きそうだよね」みたいな「貴方のこと解っていますよ」アピールを受けることに辟易してしまって敢えて人に勧めることをしなくなった。雪坂セツは、そんな風に心の中で大事に大事に応援している、ある意味私の青春を代表する作家である。

「ああ、やっぱりわかってしまいますか」と、林さんは嬉しそうに目尻を垂れさせた。その表情で、大人っぽいな、と思っていた彼の印象ががらりと変わる。彼は笑うと一気に表情が幼くなるらしい。そのギャップはずるいなぁ、と私は体育座りをしている膝に頬を乗せた。

「でも、それだけではないです。確かに貴女を認識したのは雪坂セツがきっかけでしたが、その後も見かけるたびに僕が好きな作品ばかり読んでいて……つい、今日は何を読んでいるのかと目を向けるようになっていました」

 へ、と私は間抜けな声を出して、視線だけで彼の方を見た。「私も林さんを認識したのは雪坂セツです」と告げると、彼はなんとなく察していたようで「気が合いますね」と答えた。

「例えば、他は?」

「そうですね……この状況なら」

 私の問いかけに、彼は一瞬躊躇うように目を泳がせてから、エレベーターのボタンを指差した。この古い建物は、エレベーターも本当に耐震設備とか大丈夫なのか? と疑ってしまうほどには旧式のものだ。ボタンが丸く、字も昭和の空気を孕んだ少し丸みを帯びた文字。ちょっと寂れた場末の温泉街なんかでよく見かけるフォントである。それを示して、彼はわざとらしく深刻そうな表情を作って呟く。「アナザーなら死んでた」。

 絶句である。この状況には不謹慎すぎる。けれど私の口から零れて出たのは、堪えきれずに漏れた笑い声だった。

「ぶっふ……林さん、それかなり人を選ぶ冗談です……」

「お気に召したようで何よりです」と、林さんはしれっと答えた。どうやら先ほど見せた幼げな表情は稀で、真顔で冗談を言って場を凍り付かせるタイプのようだ。彼は「雪坂セツが好きな方になら、このくらいならブラックジョークでいけるかな、なんて思いまして」とちらりと私を見る。なんとなく理解し始めたぞ、多分この表情はちょっと冒険して、大丈夫かな、なんて不安になってる状態だ。どうやらさっきの真顔も頑張って取り繕った表情のようだ。ああもう、知れば知るほど面白味が増すスルメのような人間である。楽しい。

「ええ、私には最高のおふざけでした。嫌いじゃないです」

 親指を立てて「ぐー」と口で言うと、彼はピースを無言で出してくる。「じゃんけんなら負けてた」と例の文脈で私が言うと、彼は「ぬかった……!」とわざとらしく衝撃を受けた表情をする。もう一度二人でケタケタとひとしきり笑いあったあと、私は「さて」と話を切り替えるために声を上げる。彼はそれを茶化すように、「里中さん、第一印象と現在の印象がかなり違う、って言われやすいタイプでしょう」と言った。図星の私は、「ええ、おっしゃる通りの内弁慶ですが、何か?」と微笑む。林さんはそれに「いいえ、嫌いじゃないですよ、そういう人」と笑う。勘違いしかけるからやめてほしい。この人こそ最初の印象とその後の印象が違い過ぎる。それに、こんな簡単に他者に心を開くタイプだと思わなかった。さらに言えば、心を開いた後の表情や言動が無防備すぎる。それなのに多分鈍感なのだ。この人多分、今まで何人もの――――いや、「もの」は言い過ぎかもしれない、言い方を変えよう――――今まで彼を好きになった女の子たちは、かなり苦しい思いをしたに違いない。一見真面目で固そうな顔をした男の子が、仲良くなった瞬間全部を許したような顔で微笑んでくるのだ。勘違いするなと言う方が難しい。それに何より、人間多かれ少なかれギャップ萌えの要素を持っているのだ。不意打ちを食らって爆撃されたらひとたまりもない。

「さて」と私は仕切り直すために咳ばらいをした。今度は林さんも何も言ってこない。

「現実問題として、この状況、もう少し対策をした方が良いと思うんです。エレベーターが止まってから結構時間が経ってるけれど、外からは何の音もしないし、最悪まだ気付かれていない可能性もありますし……」

「それは、確かに」

 具体的には?と首を傾げる彼に、私はリュックを漁って目当てのものを取り出す。黒い、あまり可愛げのない重たい塊――――モバイルバッテリーである。

「まずは携帯をバッテリー満タンになるまでお互い充電しましょう。それから、お互い何か使えそうなものはないか出し合うんです」

 そうだね、と彼は頷いて、自分の鞄を開いた。私も自分の鞄を開けて、他に何かないか探す。大学生の鞄の中身はそこそこカオスである。稀に奥底の一番深い層に、そこそこ賞味期限の長いお菓子が堆積していたりもするのだ。

 結局二人分の鞄を漁って見つけたのは、私の鞄に入っていた大量の使い捨てカイロ(おかげでさっき渡したのが無償のものでは無かったのがバレた)に、お手軽携帯食料の大豆バー二本(私が大学の用事で早起きした時に勝ったやつ、リュックの底にあった堆積品)、朝はホットだったはずの常温の飲み物がそれぞれ一本ずつ、開封済みのチョコレート菓子――――仕送り生活の大学生が買うのは珍しいお値段だけど、社会人の気分転換には最適らしいちょっとお高めのやつ――――という、なんとも言えない編成であった。

「まぁ、最悪一晩なら越せますね、たぶん」と私が言うと、林さんから「流石に夜になったら閉館作業で気付いてもらえると思うけどね」と冷静に突っ込まれた。正直そこまで待ちたくないというのが本音である。

 そうして私たちはお互いの携帯を私のモバイルバッテリーで充電し、電池温存のために可能な限り携帯を使用せず、しりとりをしたりなかとりをしたりあたまとりをしたり絵しりとりをしたりしながら時間を過ごした。お互い同じタイプの――――具体的に言えば脳内でもう一人の自分と延々ゲーム対決をするのが苦ではないタイプの一人っ子だったことが判明し、ゲームは恐ろしいほど白熱した。「り」攻めと「る」攻めでお互いに自分の墓穴を掘りあったり、絵しりとりで存外林さんに絵心がある(婉曲的表現)のが判明してそれを揶揄ったりするのは思った以上に楽しかった。エレベーターと言う密室に閉じ込められている、という精神的な負荷をあまり意識しなくなる程度には、互いにリラックスしていた。

 そして、遊び疲れてお互いクタクタになった頃、まるでそのタイミングを見計らったかのようにエレベーターの外側から声がかかった。内側からはわからなかったが、どうやら乗った階からそんなには動いていなかったようで、なんとか扉を抉じ開ければ出れそう、ということであった。流石に中で成人済みの男女二人がしりとりで白熱しているとは思わなかったのか、外から声を掛けてきたエレベーター会社の人には呆れられてしまったけれど。


 そうして、エレベーターの停止から5時間が経過した頃、私たちは解放されることになった。いざ立ち上ろうとすると、思ったより疲弊していたのか膝が言うことを聞かず、林さんに引き上げてもらう結果になってしまった。

 よっこいしょ、と声を上げて立ち上る。そうしてそのまま、私はぼんやりとこの閉塞的な空間を共有した男の人を見上げた。「どうかしましたか」と首を傾げる彼に、私はこの際だしいいや、と本音をぶつける。

「なんとなく、冒険が終わってしまったような気がして寂しいんです」

 出れるのは良い事のはずなんですけれど、と続けた私に、林さんは「なんだ、そんなことですか」と呆れた声を出した。

「なんですか、ひとが感傷に浸っているのに」

「いえ、可愛らしいな、と思って」

「は」

 呆然とする私に、彼はモバイルバッテリーに繋ぎっぱなしだったスマートフォンを取り外して左右に振った。「とりあえず外に出たらまず、電波も通じますし連絡先を交換しましょう」と、なんでもないことのように、まるで決定事項のように提案してくる。いや、確かに断る理由は無いしむしろ嬉しいのだけれど。

「それから、また一緒にこうして――――いや、閉じ込められるのは勘弁ですけど、いろいろ話したり、遊んだりしましょう。どうやら僕たちはかなり気が合うようだし、話しやすいし、まだまだ正直話足りないと感じるので。……如何でしょうか」

「ええ、是非お願いします」

 食い気味にそう答えると、彼はまるでそれが満点の回答だとでもいうように私の頭を撫でて来る。そんな接触の仕方は初めてで、心臓が跳ねた。だから勘違いするからやめてほしい、結構本気で。そんな意思を込めて彼を見つめるけれど、その表情は揺るがない。

「あの、とりあえず降りてきてくれませんかね」

 良い雰囲気の所申し訳ないんですけれども、とエレベーターの無理矢理抉じ開けた扉から中を覗き込んでくるエレベーター会社の人に、私は慌てて「すみません」と謝罪する。そのまま急いで荷物をかき集めて、先に降りるために入口付近まで移動した。

 不思議とその時には、先ほどまで震えていたはずの膝はしっかりということをきいていた。




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