4.世界征服の第一歩
「う……っ。ここは、どこだ?」
顔は……ある。
腕も、足も……ある。
どこも折れていない。
それどころか、腹に穿たれていた傷もいつの間にか消えている。
周囲にはまだ魔獣の気配があるのに少しも襲ってくる気配が無いのも不思議だ。
襲ってくる気配がない――というよりもこれは、怯えているのか……?
「何が、起こったんだ?」
辺りを見渡してみると、岩で囲まれた円形の広場がそこにはあった。
落下の衝撃でバラバラになったのか、小刻みに動くゴーレムの岩の破片が辺りには散らばっている。
広場の隅っこの壁には、一際輝くヒト一人分ほどの大きさの真っ黒な水晶が埋め込まれていた。
「……綺麗だ」
思わずそう溢してしまうほどに綺麗な漆黒水晶の中には、一人の幼い女の子がいた。
腰まで伸びた艶やかな紅の長髪に白く透き通った肌。整った顔立ちにぷっくりとした唇、すらりと細く伸びた肢体が俺の目の前に露わにされていた。
少女の元に足を進めようとすると、俺の足が何かに触れた。
地面には砕けきって煙を上げ、今にも無くなりそうな薄氷色の水晶がある。
おそらく、このダンジョンの核だったのだろう。
ダンジョンには階層ごとに守護するフロアボス、ダンジョンそのものの最終砦であるダンジョンボスの他に、ダンジョンという存在を維持し続けるための核というものが存在する。
ダンジョンボスとダンジョン核は連動している。どちらかが破壊されれば、どちらかが死滅するらしい。
メイリスやギルド職員さんの情報によれば、このダンジョンのボスは氷魔法を使う魔熊だった。
淡く変色し、今まさに消えようとしているこの薄氷色の水晶は恐らく魔熊のものだ。
最上位のダンジョンにもなれば、知的生命体を持つ核も存在し、自在にダンジョンの環境を変えることが出来るらしいとは聞いたことがある。
とはいえ、そんなのはこの世に4つしかないとされる最高階級SSSランクダンジョンでさえ、見た者はいないためにただの作り話であるとされていたのだが……。
まさかここに閉じ込められている女の子が、そうだとでも言うのだろうか。
そうだとしたら一つの魔獣をボスとしたダンジョンのなかに、もう一つのダンジョンが存在していたということになる……!
ダンジョンの中にもう一つのダンジョンがあったなんて荒唐無稽な話、聞いたことないぞ……!?
俺の頭が見事なまでに混乱していると、目の前の水晶から声が聞こえてくる。
『――ゴーレムだけ呼び寄せたつもりだったのに、なぜあなたがここいるの』
無表情で放たれるその言葉は、少しだけ呆れているかのように感じられた。
だが俺はそんなことよりも、小さな女の子が囚われている事の方が何より気がかりで仕方がなかった。
「そこから動けないのか」
『えぇ。1000年ね。でも、あなたがゴーレムをおびき出してくれたおかげで、それもそろそろ終わるわ」
「……終わる?」
女の子の謎に達観した様子に不思議を覚えている間に、カタリとゴーレムの破片が再び動き出した。
カチャリ、カチャリとゴーレムの破片は集約していき、次第に周りの岩さえ吸収して先ほどよりも巨大な体躯を創り上げていき――。
「ゴルゴルゴルゴルゴルゴルゴルァァァァァァァア!!!!」
――推定SSランク。先ほど遭遇したゴーレムより一回り大きくなったそれは、国の軍隊が総力を挙げて立ち向かわねば倒せない天災レベルのバケモノになっている。
「ごる……ごる、ごるるるる……」
ゴーレムはきょろきょろと辺りを見回して、水晶に囚われた女の子へと近付いていく。
な、何だ……!? 何が始まろうとしているんだ……!?
『安心しなさい、人間。このゴーレムの狙いはわたし。ダンジョンの中に居続けた異物を排除しようとしているだけよ。既にボスだった魔熊は死んでいるもの。ここの崩壊も間もないわ。わたしを倒せばこの子も止まる。この隙にあなたは地上に戻ると良いわ』
「ごるごるるぁぁぁぁ!!」
女の子の言うとおり、ゴーレムは紅水晶へ向かって攻撃を始めていった。
一つ拳が紅水晶へとぶつかれば、ぴきりと小さいヒビが浮かび上がる。
ゴーレムが紅水晶を殴れば殴るほどに、ヒビ割れは加速していく。
『あなたには感謝してるわ。微弱ほどでもあなたに闇魔術の素質があったから、こうしてゴーレムも重い腰を上げてくれたのだもの』
微弱ほどの闇魔術……?
俺がいつも使っていた影と暗闇を使った魔法に起因しているかのように彼女は言う。
『――私はやっと、開放される。本当に感謝してるわ』
俺の足元に、ゴーレムが殴り砕け散った黒い結晶の破片が飛散してくる。
俺は今、身動きの取れない女の子がただただ死ぬのを待っているだけ……なのか?
これじゃあの時から何も変わっていないじゃないか。
誰一人として護れなかったあの頃と、何一つ……!
ぞわりと、身体の奥底に冷たい感情が沈んでいく。
と同時に地面に落ちた結晶の破片は黒い煙となって、無意識に握っていた俺の剣に集まっていく。
『何をしているの、早く逃げなさい。わたしが壊れればここも一緒に崩壊するのよ』
「ごるっ! ごるっ!!」と。一心不乱に少女を捕らえた水晶を殴り続けるゴーレム。
そのたびに、黒い破片が側に転がる。
そのたびに、黒い破片は俺の剣へと吸収される。
今まで足に重く嵌められていた枷がカチャリと外れるかのように、身体の中からどんどん力があふれ出してくる。
あぁ、憎い。
自分の力の無さが憎くて憎くて仕方がない。
願わくば、眼前のゴーレムを屠りきる力が欲しい。
剣に纏わり付いていた影は、次第に辺りの闇をも取り込み刀身を伸ばしていく。
『わたしの力を吸収しているの? あんな微弱な闇魔術で、わたしの力が吸い寄せられるわけが――』
地に落ちた結晶だけでなく、女の子が囚われている結晶までもが黒煙を上げて俺に吸い寄せられていっ
た。
『――まさか、上で使ってたあれはセーブした結果の代物だったとでも……?」
セーブした結果だと?
この子が何を言っているのかはよく分からないが、影の魔法は日頃から最小限にしか使ってないな。
偵察索敵にはお役立ちだが、戦闘じゃ全く役に立たないモノだったからな。
だけど今は違うようだ。
このまま黒い煙を纏わせ続けられるならば、俺は誰にも負けない強力な魔法を放てるような感覚がある。
それこそ目の前のゴーレムを討ち滅ぼすような、強大な力が。
『やめておきなさい。このままわたしを吸収し続けて闇魔術の真の力を開放したらあなたは人間と共存する術を失うことになるわ』
なるほど。まだまだ吸収できるのか。そうと決まれば話は早い。
「全部寄越せよ、その力」
俺に迷いはなかった。
何も護れなかった俺が、目の前にいる女の子を護れる力がある。
俺が動く理由なんて、それだけで充分だ。
『……わたしは死ぬことなんて怖くはないわ』
ゴーレムの一撃が、徐々に黒い水晶に大きなヒビを作っていく。
あと三発もあればその拳は女の子に届いてしまうだろう。
俺は言う。
「目の前で困ってる女の子を見捨てる理由にはならないね。それに無理するなよ。――声、震えてるぞ」
死ぬのが怖くないなんて、本心から出るわけがない。
女の子が声を震わせて、先ほどからゴーレムの攻撃が一つ結晶にぶつかる度に緊張の吐息が出ているのは丸わかりだ。
その時、初めて女の子の目が俺を捉えた。
『……っ! もしかしたらあなたならばと期待しているわたしがいるわ。本当に、人間という生き物はワケが分からない。いいわ、あなたにわたしを助けさせてあげる』
モノは言いようだ。
だが、生きる気力を出してくれたのならそれで充分!
『あなたの闇魔術はダンジョンマスターとしてこそ大いなる力を発揮する、世界最強の攻撃魔術よ。今わたしに眠る力全てをあなたに預ける。使えるモノなら使ってみなさい』
バリンッッ。
黒い水晶はゴーレムの拳を待たずして崩壊した。
同時に全ての破片が黒煙と化して俺の身体を包み込む。
頭の中に、力の使い方が濁流のように押し寄せてくる。
「ゴルォォォォォォォ!!!」
ゴーレムの一撃が、結晶があった場所の壁を穿った!
だが、そこにもう少女の姿は無い。
気付けば俺の隣には、結晶の中に囚われていたはずの少女がいたからだ。
『あなたの力の枷を全て開放するわ。わたしの後に続きなさい。全ての精霊、英霊、生物たちよ――』
なんだかたくさん魔術が使えるらしいなかで、どれを使えばいいのかはさっぱりだったから助かる!
俺は少女の唱える祝詞に続く。
「全ての精霊、英霊、生物たちよ――! 新たなるダンジョンの創成に歓喜せよ! ルシフェル級闇魔術・ダンジョン創成魔法! システムフロア構築。マザーコア及びダンジョンマスターの存在をここに示す!」
瞬間、俺の身体を覆っていた黒い煙は女の子の両腕の中に収まるほどの漆黒の球体となった。
「これはダンジョンの核……なのか……?」
「えぇ、そうよ。あなたが作り出した、あなただけのダンジョン。そして――目の前の脅威を打ち払う強大な力」
球体の中に浮かび上がる文字に俺は納得する。
『ダンジョン ーアルテミスー
ダンジョンレベル :1/100
ダンジョン階層数 :1
支配下モンスター :無
マザーコア :***
ダンジョンボス :リック・クルーガー
ダンジョンマスター:リック・クルーガー 』
ぞわりと俺の身体の中から力が湧き上がる感覚が表れた。
こんなものは、生まれてこのかた初めてだ。
でもこれが『魔法』の波動なんだっていうのは瞬間的に理解が出来た。
すると少女は俺の服の袖をぐっと握りしめる。
「お礼は、まだ取っておくわ」
すごく怖くて、すごく寂しかったんだろう。
ゴーレムは振り返り、俺たちを睨み付けた。
ようやくひょこりと、岩陰に隠れていた魔獣達が顔を覗かせ始める。
俺は剣に魔法力を溜める。
今まで一度たりとも流し込めなかった魔法力が、するりと剣を伝わっていく。
「まずは一人、絶対に助けてみせようか!」
――ここから、俺の世界征服への第一歩は始まることになるのだった。