16.超分析
ピチョン、と。
小さな雫の音が響くダンジョン内部は、酷く湿気の多い空洞になっていた。
「リックさん、松明の火です。前見えますか?」
「助かるよ。ディーナさんの方も、ぬかるんでるから足取られないようにな」
「ふふ、ありがとうございます」
「え、今笑うところあったっけ……?」
「知っていますよ。リックさんが私のために、わざとぬかるみの少ないルートを通ってくださっていることくらい」
からかうように笑うディーナさん。
そ、そりゃそうなるよ!
わざわざ冒険者じゃない彼女がこうしてダンジョン内に入ること自体が異常なんだ。
少しでも怪我をさせれば、俺が俺を許せなくなる!
ディーナさんは暗闇の中できょろきょろと辺りを見回しつつも、手で壁を触ったりして細かに情報を収集してくれている。
「壁に生えている藻や光るコケ……いわゆるトールドヒカルゴケという種類でしょう。これが生息しているということは、生態的には特別な所は見当たりません。強いて言えば、小型の虫魔獣の類いが多い程度でしょうか。こちらは松明などで対処可能です」
ぶんぶんと松明を振り回して辺りの虫を追っ払うディーナさん。
さすが、冒険者ギルド一実地調査の多い受付嬢。対処が手慣れているな。
ダンジョン内に生えた木々を掻き分け進んでいく。
どうやらこの地一体はジャングルのような環境になっているらしい。
ダンジョン内は、そのダンジョンボスに見合った特性のバイオームを形成するという。
ゴツゴツとした岩に囲まれていれば、岩系魔獣が多いし、森のような環境であれば哺乳肉食獣の魔獣が多い。
だが、今回のように湿気や虫が多いジャングルとなると……?
ダンジョンの内部に入ってしまえば、そこはもうその固有ダンジョンのテリトリー。
同じ魔獣の類いにくくられるアイシャの助力も得られない。
ここは俺だけでも何とかしないと……!
そんな俺の様子を余所に、ディーナさんはべたりと木の幹に貼り付いた粘着質な液体に手を伸ばす。
「ふむ……なるほど。リックさん、このダンジョンの概要のおおよそが把握できました」
「って、ずいぶん早いですね!?」
「お褒めいただき光栄です。ここのボスは節足動物が支配するジャングル系のダンジョン。このダンジョン全体が、ボスの餌になるように仕組まれています。これを見て下さい」
言って、ディーナさんは自分の手についた白濁とした液体を俺の前に出してくる。
「これは蜘蛛類が放つ粘糸です。これがある……ということは、ここのボスは恐らくフロアボスをも設置していないボスとコアの両立体の可能性があります。つまり、フロアボスを探し出して倒す、というよりは直接大型魔獣を駆逐すれば、それがダンジョン本体のボスである可能性が高いということです」
すらすらと流れるような説明に、俺は思わず気圧される。
「そして――火属性魔法を使えば、恐らくですがダンジョンボスはすぐに姿を現しますよ」
「ディーナさんは、魔法使えるのか?」
「えぇ。冒険者の皆様方のように強力な魔法は使えませんが、全般的に微弱な魔法……生活魔法程度ならば扱うことが出来ますよ。粘糸を燃やして、ボスを誘き寄せますか?」
「え、あぁっと……お願いします」
「分かりました。では――」
あまりにもスムーズすぎた。
え、ダンジョン攻略ってこんなに簡単なの?
ギルド職員一人いれば事足りちゃうの?
呆気にとられる俺を余所に、ディーナさんは魔法を行使する。
しかもそれは、冒険者なら誰しもが省略するものの最も基本に忠実で、最も魔法力の無駄なく使える詠唱呪文付きの魔法術だった。
「火の神ファルル、世に焔を顕現させ、魔火を我が手に敵を焼き焦がし尽くせ――火属性魔法、焔の微笑」
ボッとディーナさんの手から魔法力が放たれれば、木に貼り付いていた粘糸は空を伝って空中のとある一点に集まりだした。
すると――。
「キュララララララララララッッッ!!!」
空中のどこからか聞こえてくるこの金切音。
空を見上げれば、このダンジョン全体を覆うかのような巨大な蜘蛛の巣がその姿を現した。
なるほど俺たちが今まで見えていなかったのは、このダンジョン全体に蜘蛛の巣もろとも擬態させていたせいだったのか。
あまりにもドンピシャリとも言えるようなディーナさんの分析に、俺は思わず口角が上がっていた。
「ここまで付き合ってくれたんだ。絶対に指一本触れさせないまま攻略してみせるぜ」
「キュラララララララッ!!」
空中から一本の糸が放たれ、その先には人間の3倍ほどはあろう巨大な蜘蛛が出現する。
「特Aランク蜘蛛型魔獣、氷結蜘蛛です! この湿った空気全体を凍らせて戦います。お気を付けて!」
自身は被害を被らないようにすぐさま安全な場所を見繕って隠れるディーナさん。
特徴把握から、発見から退避まで、流れる仕草に惚れ惚れしてしまいそうなくらいだ。
「ウチのダンジョンに欲しすぎる人材だぜ、なぁ、アイシャ……! でも、とりあえず――」
俺は剣に魔法力を込めて、目の前の巨大蜘蛛に向けていく。
「あの村とアイシャの為に、お前のダンジョンはここで潰えさせてもらおうか」
ぞわりと氷結蜘蛛の口は大きく開き、不気味な音を発し始めていた。




