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空中都市トウキョウの少女歌劇団(3)

 その夜の演目は、〈黄玉(トパーズ)ハチドリ少女歌劇団〉ご自慢『南極の王女(プリンセス)

 厚い氷の中で冷凍睡眠状態だった古代南極文明の王女が、数千年の眠りから覚醒(めざ)め、現代の大富豪令息にして若き冒険家、桜源院(おうげんいん)祥智(よしとも)と出会い、恋に落ちていく(さま)を描いた一大叙事詩だ。

 もちろん主演は劇団の看板女優(マドンナ)美園(よしぞの)三音子(みねこ)

 多くの『少女歌劇団』と同じく、この〈黄玉(トパーズ)ハチドリ少女歌劇団〉も、男装した背の高い少女が男の登場人物を演じていた。

 今回の相手役は、同い年で入団年も同じ滝房(たきふさ)桂子(けいこ)。男役としてはまだ未熟だが、気心の知れた同期生を配することで、主役の美園(よしぞの)三音子(みねこ)が気兼ねなく思う存分(ぞんぶん)演技できるようにという演出意図だ。

 今回の興行では、三音子(みねこ)の存在を最大限に美しく輝かせること(ただ)一点に(まと)を絞り、配役、音楽、その他ありとあらゆる要素が三音子(みねこ)に奉仕するよう演技計画が練られていた。

 二時間三十分に及ぶ物語の要所要所には、五十人以上の少女たちが一斉に踊り狂う大スペクタクル・シーン、主演の三音子(みねこ)と相手役の桂子(けいこ)が二人きりでシットリと互いへの愛情を歌い上げる場面、悪人との活劇、古代帝国崩壊の回想などが配され、とにかく客を飽きさせない構成になっていた。

 そして開演二時間十分過ぎ、物語はいよいよクライマックスに入った。

 三音子(みねこ)扮する『南極の王女(プリンセス)』が、蘇った現代社会に自分の居場所は無いと悟り、恋人となった桜源院(おうげんいん)に別れも告げず、小さな船で一人密かに雪の舞う南極海へ出航するラスト・シーン。

 たった一人ステージ上に残った『南極の王女(プリンセス)』こと美園(よしぞの)三音子(みねこ)が、十五分間ノーストップで、二階構造のステージ全体を走り、踊り、歌う圧巻のフィナーレだ。

 ……その(はず)だった……

 会場全体が固唾(かたず)を飲んで見守る十五分間全力疾走の長丁場、その最後三分。

 さすがの三音子(みねこ)も、いよいよ息が上がって意識が朦朧(もうろう)とし、振り付けを徹底的に叩き込まれた肉体だけが、精神の支配を逃れて神がかったように無意識に跳ね踊った。

 三音子(みねこ)の姿に劇場の誰もが神経を集中していたその時。

 ステージから一番離れた大向こうの二階席、いわゆる天井桟敷の一角から、美しい音楽をかき消す「ぎゃあっ」という女の観客の悲鳴。

 続いて「バ、バケモノ!」と叫ぶ、今度は野太い男の声。

 無粋な奴らめ、静かにしろ……と、振り向いた観客らが見たのは、バルコニーのように()り出した二階席から一階席へ飛び降りる黒い塊だった。

 暗い客席の間の通路へドンッと飛び降りたその黒い塊は、一直線に三音子(みねこ)が踊るステージへ走った。

 その速さ……全く人間とは思えない。獲物を追う豹か、いっそ突風のよう。

 舞台が近づくにつれ、スポットライトの反射光を浴びて徐々にその黒い塊の姿が露わになった。

 ガリガリに痩せた男だった。

 外は氷点下だというのに、色の()せた一重(ひとえ)を着流し、(すそ)をヒラヒラと(はた)めかせながら、物凄(ものすご)い勢いで客席の通路を駆け下りて来る。足には何も()いていない。

 その走る速度も異常だが、何より奇怪なのは男の頭部だった。

 見た客が思わず「バケモノ!」と叫んだのも仕方ない。

 彼の頭部は、狼とイカの脚とナメクジとをごったに混ぜたような異様な形をしていた。

 おそらくは作り物の(かぶ)り物だろう。

 しかし仮に作り物だとして……ならば何故(なぜ)、頭部から無数に生えた触手がヌメヌメと嫌らしく(うごめ)くのか? 一体(いったい)どんな仕掛けで?

 客席の騒動に気づいていないのか、ステージの上では三音子(みねこ)が我を忘れて狂ったように踊っている。

 客席の誰もが呆気(あっけ)に取られて凍りついたように動かない中、いち早く我に返ったのは、さすがの警備隊長、鬼草(おにくさ)剛太(ごうた)警部。

「この曲者(くせもの)! 止まれ! 止まりやがれ!」

 狭い客席通路に立ちふさがり、バケモノ頭の男へ向かってズンズン段を(のぼ)っていく。

 ここまで最初の悲鳴が上がってから(わず)か二秒か三秒の出来事。

 警部は何故(なぜ)この時、(ふところ)の拳銃を抜かなかったのか?

 自分は身長百九十センチの巨漢、対して向こうはガリガリに痩せた小男、という(あなど)りがあったのかも知れない。あるいは密集した客席で発砲して、客に流れ弾が当たるのを恐れたのかも知れない。

 いずれにしろ、バケモノ頭の不審者を素手で捕まえようと無防備に近づいたのが運の尽きだった。

 両手を広げて昇って来る警部を迎え撃つように、バケモノ頭は(さら)に速度を上げ、通路をステージの方へ(くだ)った。

 肉体と肉体が激しくぶつかる『バシンッ』という音。

 次の瞬間、観客たちは我が目を疑った。

 枯れ枝のようなバケモノ頭の男が、警部の巨体を楽々と持ち上げたからだ。

 バケモノ頭は、鬼草(おにくさ)警部を重量挙げのバーベルよろしく持ち上げると、客席の騒動に気づく様子もなく一心不乱に舞い踊るステージ上の三音子(みねこ)に投げつけた。

 身長百九十センチの巨体が観客たちの頭上を越え物凄い勢いで飛んで行き、板の上で飛び跳ねる三音子(みねこ)の体に「ドン」と鈍い音を立てて衝突(ぶつか)った。

「アレェーッ」

 ひとこえ叫んで板の上に倒れる三音子(みねこ)の腹に、気を失った警部の巨体が()し掛かる。

 どうにか巨体の下から()い出してフラフラと立ち上がったその目の前に立つは、触手をウネウネと揺らすバケモノ頭の着流し男。

 再び「アレッ! お助け!」と叫んで舞台裏に逃げようと後ろを向いた三音子(みねこ)に迫ったバケモノ頭は、いつの間にかナイフのように長く鋭く伸びた左手の爪で、逃げる女の背中、左肩甲骨の上あたりをグサリと差した。

「アッ」と、その場に倒れ(うつぶ)せになる三音子(みねこ)

 倒れた事が、かえって三音子(みねこ)にとって幸いした。

 やっと我に返った警官たちが自分の職務を思い出し、ステージ上のバケモノに向け、それぞれ拳銃の照準を当てていたからだ。

 三音子(みねこ)が立ってバケモノと相対(あいたい)している間は、彼女に流れ弾が当たるのを気にして警官たちも迂闊(うかつ)に発砲できなかった。

 しかし三音子(みねこ)が倒れ伏してしまえば、一段高いステージの上で無防備に立ち姿を晒しているのはバケモノ頭の男だけだ。

 警官たちの拳銃が一斉に火を吹き、何十発もの鉛玉が男の体に無数の穴を開けた。

 人間離れした走力と腕力を見せたバケモノ頭も、さすがに不死身の超人ではなかったらしい。ボロボロになった一重(ひとえ)の着流しを真っ赤な血で染め、その場にバッタリ倒れてしまった。

 次の瞬間、高電圧スイッチを切る「ガタンッ」という音が館内に響き、客席、ステージ、スポットライト、一切合切ありとあらゆる電源が一瞬で落ち、一寸先も見えない真っ暗闇が人々を襲った。

「アッ! 馬鹿! 電気を点けろ! 早く! 早く!」

 口々に叫ぶ警官たち。

 一秒……二秒……三秒……四秒……五秒……

 ようやく電燈(あかり)が復旧する。

 再び照明に晒されたステージ上に倒れていたのは……

 左の肩からドクドクと血を流して倒れている看板女優・美園(よしぞの)三音子(みねこ)

 そして、その()ぐ隣で倒れていたのは……バケモノ頭……ではなく、頬の()けた顔色の悪い若い男。

 どこからどう見ても(ただ)の人間だ。

 (つるぎ)のように伸びて三音子みねこを刺した爪も、今は元どおり。

 左手全体が血で赤く染まっているものの、常人と変わることのない痩せ細った指があるだけだ。

 着物や体型から、この男が犯人であるのは間違いない。

 あの奇怪な頭や、長く伸びた爪は一体(いったい)何だったのか?

 やはり(かぶ)り物だったのか? あの爪は手袋にナイフを(くく)り付けていただけなのか?

 しかしステージの上には、バケモノの(かぶ)り物も、ナイフを縛った手袋も見当たらなかった。


 * * *


 多量の血液を失い、意識が薄れゆく三音子(みねこ)の耳に、自分を襲った男の声が(かす)かに届いた。

蛇目(じゃもく)髑髏どくろ党、万歳……(マムシ)ドクロ様、万歳……」

 その声に、三音子(みねこ)は霞む目をようやく動かし、隣に倒れている男の顔を見た。

 すでに事切れた男の額に黒々と刻印された髑髏(どくろ)と五匹の毒蛇の印……

 ……それを最後に、三音子(みねこ)の意識は暗い闇の中へ沈んで行った。

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