空中都市トウキョウの少女歌劇団(2)
とうとう〈黄玉ハチドリ少女歌劇団〉トウキョウ遠征公演初日がやって来た。
その日の気温は摂氏零度を下回り、空中都市国家トウキョウ市の路面には、朝からしんしんと粉雪が舞い落ちていた。
夕方、冷たい空気に身を震わせ外套の襟をきつく搔き合わせた大オペラハウスの観客たちを待っていたのは、ヘルメットを被り腰に拳銃を差して物々しく大劇場を取り囲む警官隊の姿だった。
劇場に入る者は身分の貴賎に関係なく全員、危険物の所持は無いかと体を探られ、少しでも危い物を所持していた客は、たとえそれが鉛筆削り用の小刀一本であっても、切符の有無に関わらず容赦なく追い返された。
本来なら必要のない身体検査に時間を取られるがゆえに入場は遅れ、美少女たちの歌い踊る姿を一目見ようとやって来た観客は、寒空の下、雪の降る路上に列を作って待たされた。
何とか身体検査の関門を抜けた客たちが暖房の良く効いたロビーに辿り着き、あたたかい空気の中でホッと人心地つけて思い思いに談笑するその真ん中で、ヒグマが背広を着たような大男が劇場支配人と何事かを話していた。
身の丈百九十センチの巨大な筋肉の塊とも見えるこの大男こそ、支配人の依頼を受けて天空トウキョウ市警視庁が派遣した警備隊隊長、鬼草剛太警部。
鬼草警部は、前に立つタキシード姿の支配人を見下ろし、自信ありげな顔で、しきりにウンウン頷いている。
「……本当に大丈夫でしょうか」と、支配人が胸元の蝶ネクタイを弄りながら目の前の大男を見上げて言った。
「何、心配はご無用」警部は笑いながら答えた。「今夜のために二百人からの警察官を動員しました。見ての通り建物の外にも内にもズラリと警官を並べてある。猫の子一匹……いや、アリの子一匹だって入る隙間は有りませんよ……それに……」
顔を上げ、入り口を見る。
「身体検査をする警察官には『マチ針一本だろうと見逃すな、必ず取り上げろ』と厳重に言ってありますからな。万が一を考えて、女の客も婦人警官に一人残らず検査させている。たとえ観客の中に脅迫者が紛れていたとしても、殺傷武器が無いんじゃあ、おとなしく椅子に座って観劇する以外に手は有りますまいて……今夜は私自身もステージの脇に立って警備をしようと思っておるのです」
「はあ……警備隊長直々にステージ前で……」
「いや、実は……大きな声では言えませんが……今度の件で私は密かに脅迫犯に感謝をしとるのですよ。本来なら一生縁が無かっただろう〈黄玉ハチドリ少女歌劇団〉のレビュウを、舞台の真ん前かぶり付きで、それも切符無しで堂々と見られるのですからなぁ」
巨漢の警部は余裕しゃくしゃく顔で再び「はっはっはっ」と笑った。
警備隊長の余りの楽観ぶりを見れば見るほど、聞けば聞くほど、かえって支配人の胸のうちには不安の雲がモクモクと湧き上がるのだった。
そうこうしているうちに、開演十分前の予鈴が「ジリリリリ……」と劇場じゅうに鳴り響いた。
ロビーで暇を潰していた客たちが、ゾロゾロと指定された自分の席へ戻って行く。
「さて……それでは私も配置につきますかな。では、後ほど」
鬼草警部はクルリと後ろを向くと、筋肉の壁のような背中をユッサユッサと揺すりながら観音開きの二重扉を抜けてステージの方へ降りて行った。
十分後、いよいよ本鈴に続いて〈黄玉ハチドリ少女歌劇団〉による天空トウキョウ市初の公演が始まった。