因果応報の罠
「馬鹿馬鹿しい……」三音子が苦虫を噛んだような顔で言った。「呪い? 鬼の血統だって? そんな与太話、誰が信じるかね……『親の因果が子に報い』って、見世物小屋の口上じゃあるまいし」
「そうかな?」マフラーで顔を隠した士呼尾一郎と名乗る男が、三音子に問うた。「ならば、この生まれつきの醜い顔は何だ? これは一体どういう因果だ?」
「そりゃ、何にでも因果は有ろうってもンさ。真水に砂糖を入れりゃ甘い、塩を入れれば辛い式の因果がね。枝を離れた林檎が地面に落ちるのは万有引力ってやつがあるからだ。春夏秋冬があるのは御天道様の周りを丸あるい地面が廻っているからだ。これが現代式の因果ってもんさ……おっと、悪いけど、私ゃ、尋常小も碌に行けずレビュウへ放り込まれた踊り子あがりの学の無い女だ……どこぞの学者先生みたく質問攻めで困らせないでおくれ……ただ、これだけはキッパリ言える。血の呪いなんてもンは、これっぽっちも信じちゃいない……いま生きてる私らが、何百年も昔に死んだ御先祖様の尻拭いをさせられちゃ、堪ったもンじゃない」
「ずいぶんと威勢が良いな。御内儀。何ぞ、先祖に恨みでもあるのか?」
「会ってもいない親の親のそのまた親に、恨みなんぞ有るものか……旦那、私が恨んでンのはね、血筋やら前世の因果を持ち出して、生まれた場所で人の格を決めつける性根の腐った連中さ。だから、そういう考えには虫酸が走るんだ」
三音子は、キッと男を睨み返した。
男は、その強い眼差しを受け流して「ふふ」と力なく笑う。
「キッパリした人なのだな、御内儀は……私は駄目だ」
そこで目を伏せ溜め息を吐き、言葉を続けた。
「物心ついてからこの方、ずっとウジウジ悩んでばかりだ。いったい何の因果で私はこんな姿で生まれ、こんな甲斐の無い人生を過ごしているのか? 森の奥の屋敷に籠って、そればっかりをグルグル考えていたよ……学校に無縁なのは私も一緒だが、それでも学が無いなりに、ソクラテスやら、プラトンやら、ダーウィンの自然選択説、メンデルの隔世遺伝論、そのほか哲学、科学、文学、神話・伝説の類まで、古今東西の書物を片っ端から読み漁った……しかし読んでも読んでも、この私自身のことは一つも書かれていなかった……本当に知りたい自分自身のことは何一つ分からないままだ」
伏せていた目を上げて、男は女を見返して言った。
「さっきの鬼の話だが……言った当の私でさえ心の奥底では、九割がた、荒唐無稽な只の伝説だと思っている……しかし、嘘でも何でも信じたフリさえしていれば、取りあえず心が満たされる。腹が膨れた気になる……正しい答えを探して飢え続けるよりはましな気分になれる。それだけのことだ」
そこで、士呼尾と名乗った男、ハッと何かに気づいて、三音子の顔を凝視する。
「何だい」三音子は男から視線をずらして目を伏せた。「他人の顔をそんなに見つめるもんじゃないよ」
「ダンサーあがりと言っていたな……どこかで見たと思っていたが、もしや、貴女は、〈黄玉ハチドリ少女歌劇団〉の看板ダンサー、美園三音子か?」
「ご名答。でも何にも出ないよ。板の上で飛んだり跳ねたりしてたのは、もう十年以上も昔の話だ。今じゃ、ご覧の通り、体のあちらこちらにお肉の付いた、左腕が効かない年増の片輪自動車さ」
「おお、何という偶然だ。公演中暴漢に襲われ大怪我を負って引退を余儀なくされたと当時の新聞雑誌で読んだが……こんな時に、こんな場所で、百年に一人と言われた天才マドンナに会うとは」
「止しとくれ、こそばゆい。今は、辺鄙な岬の先っぽで暇を潰してるだけの只の年増女だって言ってるじゃないか」
* * *
その時、ボイラーの横で力なく寝そべっていた大百足が、蛇が鎌首をもたげる様に頭を上げた。
「おお、雪夜……力が戻ったか?」化物紳士の士呼尾一郎が言った。
そこで三音子は、ボイラー室の温度が随分下がっているのに気づいた。寒いという程でもないが、入った時の熱帯砂漠のような暑さが消えている。
男の言う通り、あの大百足は、周囲の熱を奪って力を蓄えるのか? 周囲が暑ければ暑いほど、力を取り戻すという事か?
鎌首をもたげた百足の頭、人間で言えば額か頭頂部に相当する場所が、ボンヤリと光りだす。
光は、やがて百足頭部の甲殻の上に、ある文様を浮かび上がらせた。
そのシムボルを見て、三音子がハッと息を飲む。
「蛇目髑髏党っ!」
髑髏の額から一匹、両方の眼窩からそれぞれ二匹ずつ、合計五匹の蛇がニュルリと這い出して鎌首をもたげたその図案は、正しく、十一年前に三音子の肩を抉って死んだ、気の狂った学生の額にあったのと同じもの。
大百足の額にその文様が浮かぶと同時に、その横に、あの美しい女の姿も浮かび上がった。
なるほど、白い着物姿の美しい女を空間に投影しているのは、この大百足の不思議な力に違いない。
とすると、文様は大百足が不思議な力を発揮する時に現れる一種の証なのか。
(この女、やっぱり何処か会ったような気がする……幻なのに)投影された美しい女の像を見て、三音子は思った。
白い女、すなわち大百足の化身は、足音もなくボイラーの所から奥の壁に寄りかかって座る男の側まで歩いて行き、自分も混凝土の土間に座った。
隣に座って見つめ合うマフラーの男と幻の女。その姿は、どこから見ても仲睦まじい恋人か新婚夫婦そのものだ。
その様子を見ていた屋敷の主婦、ギリリッと奥歯を噛んで、少し声を大きくして言った。
「さあっ、旦那、そろそろ本題に入って欲しいねっ」
あらためてヴァルターの銃口を二人に向け、しっかり狙いをつける。
「蛇目髑髏党とは一体何なのさ。旦那との因縁、ボイラーの横に居るニョロニョロしたものの正体……全て話して貰う約束だ」
「そうだな……分かった」
マフラーの男は、何か面白いことを思いついた少年のように目を細めて「ここは一つ趣向を凝らして、物語風に話してみようか……人物その他いくつか固有の名前を出すが、全て仮のものと承知してくれ」と言った。
「さて、何処から話すか」しばらく腕を組んで考えた後で、こう続けた。
「滅多に人の行かない森の奥深くに、誰も知らない立派な館が建っていた。主人は士呼尾一郎という若い男。五十過ぎの執事と二人、ひっそりと隠れるように暮らしていた」




