その名ふたたび
「さて、お三音、どうするつもりさね?」
館の主婦の美園三音子、小さな声で自分自身に問う。
(化物どもの話を真に受けて、『さあ、どうぞ』と館の中に招き入れるなんざ、愚の骨頂まっぴら御免……と、言いたい所だが……)
構えた拳銃ごしに、玄関扉の覗き窓を見た。
窓の向こうから、化物……いや、醜い顔の下半分を隠しているから、今は美しき貴公子か……が、ジッとこちらを見返している。
その近くに立って、同じようにこちらを見つめる白い着物の美しい女。
化物が立っているのは扉の外だが、白い女が立つのは扉の内側、玄関ホールの中だ。
女が突然現れたり消えたりするのは、やはり幽霊である証拠だろうか?
どうであれ、まともじゃない。
……しかし……と三音子は思う。
(外の化物にしろ、内の幽霊にしろ、こっちを見つめる目の光が真っ直ぐだ……そして切実だ……一片の邪悪さも見られない)
これは三音子の直感。理屈なんて無い。只のあやふやな感覚に過ぎない。
以前、良人で私立探偵の泥渕錠太郎は言った。『この世に人間の感覚ほど当てにならない物は無い』と。
同時に、こうも言った。『しかし論理を突きつめて、突きつめて、最後の最後、正解への閃きを齎すのも又、自分自身の内なる直感だ』と。
(……錠さん……一体どうしたら良いのさ?)
そこで、やっと気づく。
(そうだ、まずは連絡だ。錠さんと、それからハチドリ市警視庁へ)
心の中でそう思った瞬間……白い女がビクッと体を震わせ、振り返って、覗き窓ごしに化物男の顔を見た。
化物と幽霊、ほんの一、二秒、目と目を合わせる。
突然、「ヤッ! 待ってくれ!」と外の化物が扉ごしに三音子へ言った。
「どうか……どうか、外部への連絡だけは止めてください! 頼む! お願いだ!」
今度は、三音子のほうがハッとする番。
(何だ? 何だってぇんだよ!)
錠太郎や警察に連絡を取るということ、三音子は頭の中で思っただけだ。
決して口には出していない。
それなのに、扉の傍に立つ美女と化物、三音子の考えを察知して、止めるように拝んできた……
(まさか、あいつら、他人の頭ン中が読めるとでも言うのかい?)
少しだけ治まっていた恐怖が再び心に沸き上がる。
拳銃を持つ右腕にグッと力を入れ直した。
「頼む! 知らせないでくれ!」外に立つ美男で怪物の男が言った。
「私たちのことを外部に知らせないでくれ……私たちは恐ろしき犯罪組織、恐ろしき秘密結社に追われているのだ……並外れた科学力と鉄の結束力を持った、地獄の鬼より恐ろしい奴らだ! どんな連絡手段も傍受の危険を免れない……そして、秘密の党員は何処にでも居る! 警察だろうと議員だろうと、たとえ恋人であっても信用してはならん」
「あんた、何を言ってるんだ!」と三音子。「犯罪組織? 秘密結社? いったい何の話しさ? ほざくのも良い加減に……」
「蛇目髑髏党!」
「何ッ!」
「アッ!」
化物が叫んだ名を聞いて、三音子と富喜子が同時に驚きの声を上げる。
「なぜその名を知っている!」と三音子。「答えによっちゃ、承知しないよ!」
男は屋敷の中にいる三音子と富喜子の態度に驚くが、再び振り返った白い女と目を合わせ「なるほど、そういう事か」と呟いた。
「奥方……」男が覗き窓から三音子を見返して言った。「どうやら、あなたと……それから後ろに隠れている女中……髑髏党と少なからぬ因縁があるようだな?」
「そっちこそ! 何を知っている! さあっ、洗いざらい白状をし」
「まあ、待て、待ってくれ……こちらも語れば長い因縁話だ。しかし、今は一刻を争う緊急事態と理解してくれ。私は雪夜を……体調の優れぬ妻を自動車に残してきた。彼女を救うのが先だ。暖かい屋内へ一刻も早く妻を移さねばいかんのだ。それが済んだら何でも知りたいことを教える……だから、今は、頼む」
「本当かい? ……助けてやったら、蛇目髑髏党とかいう連中のこと、洗いざらい全部バラして聞かせるかい?」
「ああ。二言は無い」
主婦の三音子、少しのあいだ考える。
三つ数える間に決心を固め、背中の富喜子へ振り向いて言った。
「富喜坊、鏡壱から銃を受け取りな……鏡壱、ライフルを富喜坊にやって、私と一緒に来るんだ」
「エッ?」と、女中の富喜子。「私一人をこの場に残して、奥様たちは何処へ行かれるのですか?」
「何を今さら怖がっているんだ……度胸を決めて、シッカリ留守番してな。油断なく銃口を奴らに向けて、一瞬でも逸らすんじゃないよ」
そう言い捨てながら、三音子は、もう廊下の奥へ歩き始めている。
物の言えない運転手の黒目鏡壱が、レバー式ライフルをグッと女中の胸に押し付けた。
富喜坊、仕方なく銃を受け取り、言われた通り、銃口を化物男と幽霊女に向けて構えた。




