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探偵の独白

あの子を刺したのは、私です。


私は幼い時から、自我を失うことがよくありました。いや、自我を失う、というのは正しくないのかもしれません。ただ、自分の中に、常に誰かがいるような気がしていたのは事実です。


私の母は臆病なひとでしたから、私を見る度に悲鳴を上げていました。当時の私はそれにただただ傷付いているだけでしたが、今思うと、母も随分と苦労したのでしょう。私の父は、母を放って遊びに行くようなひとでしたから。父が殺された時も、母は血塗れの包丁を持って嗤っていました。


親戚をたらい回しにされていた時に私に下されたのは、『解離性同一性障害』、所謂二重人格という診断でした。お医者様曰く、もう一人の私は随分と攻撃的な人格とのことでしたが、幼い頃から彼に付き合ってきた私としては、特に気にするようなことでもなく、お医者様の治療を頑なに辞退いたしました。もしあの時、治療を受けていたのなら、もう少し結果も変わっていたのでしょうか。まあ、後悔先に立たず、とも言います。今は真実のみを伝えることにいたしましょうか。


時折出てくる彼と付き合いつつ、遂に私は大学で、あの女性と出会うことになったのです。


私と彼は人と馴れ合うことが苦手でしたから、大学でも、何時も一人で行動していました。例に漏れず、その日も一人きりで椅子に座り、苦心して購入した書籍を開き、そのまま微睡んでしまったようです。もう一人の私のように__といっても、私は彼のことはよく知らず、彼が出てくる時には何時も眠っていたのですが__随分と攻撃的な日差しが、終始私に襲いかかっていたのですが。


私が瞼を開いた時、彼女はすぐ隣に座っていました。私が胸に抱いていた本を、興味深げに見つめながら。


私が声を掛けると、彼女は驚いたように見つめていた本と眠っていた私とを交互に見比べ、それから焦って言い訳をして、最後には照れたような、可愛らしい笑みを浮かべました。まるで幼子のようで、純粋で無邪気な、正に『天使』と評するべき笑顔が、私の中の何かを奪っていきました。


それは、彼も同じだったようです。その出来事以来、私が彼女と接触するたびに、彼が出てこようとするのですから。


もちろん、私の中に彼がいることが、彼女にバレないはずがありません。最初は驚いていたものの、すぐにまた、あの可愛らしい笑みを浮かべ、私と彼を受け入れてくれました。その頃には、私たちは『恋人』という立ち位置にあり、私たちは__少なくとも、私と彼は__彼女とこれからも歩んで行くのだと、信じて疑いませんでした。


彼女の方が何歳か上でしたから、彼女の方が先に、大学を卒業することになります。彼女の卒業の日、私は何時も通り、彼女の借りている下宿へ向かいました。卒業祝いの、花束を胸に抱えて。


彼女の部屋には、文字通り何もありませんでした。下宿先の大家さんを問い詰め、更に彼女の実家に連絡しようとした時__私はあることに気付いて、愕然としました。それは当然と言えば当然なのでしょう。


私は、私たちは、彼女のことを殆ど知らないのですから。


私が知っているのは、彼女の些細な癖と、名前だけなのです。彼女のことを訊いても、何時もはぐらかされ、話を変えられていたことに、私たちはようやく気付いたのでした。


それからの生活は、我ながら自堕落なものでした。そんな生活を送っていた私が就職できるはずもなく、私は自分の特技__というか趣味のようなものですが__を生かし、探偵事務所を設立することとなりました。もしかしたら、探偵をしていれば彼女にもう一度会える、そう思っていたのかもしれません。


そしてそんな無意識の思いは、数年して実現することになったのです。


その日も、日差しの強い日でした。古本屋巡りをしていた私の目に、彼女と初めて会った時の本が映った、その日も。


それを手に取ろうとしたとき、横から別の手が伸びて、私の手とぶつかりました。思わずその人を見れば、その人は私を見て、正に『悪魔』のような、妖艶な笑みを浮かべました。


私が混乱するのも、無理はないと思うのです。何故ならその女性は、紛うことなき私の恋人であった彼女だったのですから。


それからの私は、鬼にでも憑かれたように彼女のことを調べ上げました。


彼女が地元の高校を卒業した後、あの大学で犯罪心理学を学んでいたこと。


大学を出た後、すぐに結婚したこと。


彼女が私と同じ、二重人格であったこと。


彼女の結婚相手は、彼女の担当医から紹介された男であること。


今回の結婚は、彼女の完治祝いも兼ねていること。


そして、私と彼の出逢った彼女は、二重人格の分裂した方の人格であり、それは元の人格に戻ってしまったこと。


ああ、私達の苦しみが、貴方に解るでしょうか。最愛の人でさえも虚像であった私達の悲しみが。


私は恋人であったことを隠して、彼女と夫に近付きました。彼女は、私のことを知らない様子でした。それがまた、私と彼に大きな衝撃を与えたのは、きっと誰も気付いていなかったでしょう。


暫くして産まれた彼女の子供は、彼女に__私達が恋をした彼女に、幼いながらも生き写しでした。


そしてとうとう、あの夜は来てしまったのです。


正直に言いますと、私はあの夜のことをろくに覚えていません。ただ、あの家に入るまでは、あの少女の顔を見るまでは、確かに私の人格であったことは、断言できます。


何故私が彼女の家に入ったのかは__名誉の問題もございます。今回は私の心にしまっておくことにしましょう。


いきなり扉を開けた私に、あの子は疑いも持っていない様子でした。無防備に私を招き入れ、無防備に彼女が作ったクッキーをつまんでいました。


おじさまも食べる?そう聞いたあの子の顔が、彼女のように見えました。出逢った頃の、私達がもう二度と逢えない、『天使』のような彼女に。


それからのことは、あまり覚えていません。気付いた時には、私は外へ出ていましたから。ただ、あの子を汚したくない、『悪魔』のような彼女によって穢されたくない。そんな気持ちだったような気もします。


……ここまでお聞き頂き、本当にありがとうございます。私はこれから、真実を伝えるつもりでおります。私の罪も、彼の罪も、全てお話するつもりです。それが私に、探偵に出来る限りのことですから。


サラさんにも、あの子にも、本当に申し訳のないことをしました。出来うることなら、悪魔のような私達に、天使のような彼女が救いを与えてくださりますように、烏滸がましくも願わせていただきます。


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