第6話 君の名は?
「……っが、ふ…………」
しばしの静寂が場を支配した後、不意に一つのうめき声が生まれる。
「こんな、ガキ……に、俺様がァ…………ッ」
出所は、俺の目の前で斬撃を受け、立ちすくんだまま動かない、男。
怨嗟の言葉を呟いた男が、そのままぐるりと白目をむいたかと思うと、まるでスローモーションのように身を揺るがせ、ゆっくりと地面に倒れ伏した。
倒れたことが皮切りになってか、胴体――おそらくは俺が切りつけた場所であろう場所から、出力の弱い噴水のようにどくどくと赤い液体が噴出し始める。それを見つめながら、俺はゆっくりと、無意識に血払いの動作をしてから、背に負った鞘へと愛剣、スターリアを納めた。
……人を殺したはずなのに、どういうわけか罪悪感とか殺人への恐怖はわいてこない。初めて経験する戦闘に気持ちが高ぶっているだけなのか、はたまた俺が元からそう言う心のない人間だったのかは分からないが、ともかく今感じているのは「人を殺した」という、端的な事実だけだった。
「っと、そうだ」
しばらく鮮血を吹きあげる男の亡骸を見つめていたが、ふと俺は思い出して向き直る。この場には俺とこの男以外にも、今回の戦いの大きな功労者が居るのだ。
そのことについてお礼を言わないといけない。ついでに、どこか近くに街なり村なりがあるなら教えてもらおう――と考えて振り返った俺の視界に現れたのは。
「…………えっ」
小さく体を折りたたんで、こちらに向けて見事な平身低頭を疲労する、金髪翠眼の美貌の少女の姿だった。
……え、ちょっと待って何この状況。なんでこの子こんな土下座してるの? というか土下座のフォーム完璧すぎる。美人は何やっても様になるっていうけどってそうじゃないそうじゃない。
「……あ、あの」
「スミマセンでしたぁぁー!!!」
なんとも言えない空気感に耐えかね、彼女に声をかけようとするが、その一言は彼女が発した謝罪の叫びにかき消されてしまった。
「本当に、ほんっっとうに、スミマセンでした!! 知らぬことだったとはいえ、無関係の方であったあなたを巻き込んだばかりか、矢を射かけてしまったなんて……ほんっとうに、面目次第もございません!!!」
そこまで聞かされて、ようやく俺は彼女がこんなことをしている理由に思い至る。そういえば、出会い頭に撃たれてたんだっけ、俺。色々ありすぎてすっかり忘れてた。
「えっと――」
「全ては私の落ち度です! なんでもしますから、許してくださーい!!」
取り付く島もない、とはこのことを言うのだろう。とりあえず、この子が真面目な――というか生真面目すぎてちょっと残念な雰囲気を漂わせる美少女なのは理解できた。
「わ、わかったから、わかったからちょっと落ち着いて!」
彼女をなだめるために、こちらも気持ち大声。土下座したままの少女がびくりと震えたが、とりあえずその辺は無視してこちらの話を進めなければ始まらないだろう、と判断した。
「えーっと……あー。まず、矢を撃たれたことは別に怒ってないよ。むしろ、こっちこそ紛らわしいことをしてごめん」
「何を言うんですか! 謝るのは私の方です、咎を受けるべきは私の方です! さぁ、是非に刑罰を!!」
「しないって!!」
なんというか、残念と言うよりはマゾなんじゃないかとすら思えてきた。どうも、この分だと彼女に撃たれた分の見返りを貰わないと、話が進まないらしい。
「……えーとじゃあ、許すかわりに、いくつかお願いがあるんだ」
「はいっ。何でも申し付けてください!!」
……もう疲れてきた。ちゃちゃっと用件を伝えることにしよう。
「実は俺、ちょっと事情があって、ここに迷い込んじゃったんだよ。右も左もわからなくって、どうにか街に出れる道とか、教えてくれる人を探してたんだ。……だから、君さえよければその案内役をやってほしいんだ。頼めるか?」
真実をぼかしながら、嘘を交えずに事情を話す。色々あって忘れかけていたが、今の俺は着の身着のままで見知らぬ場所に放り出された迷子。彼女と接触しようと思ったのも、現状をどうにかしなければいけないからだったのだ。なんでもする、と自分から言ってくれている以上、このチャンスを生かさない手はないだろう。……正直、その一言を聞くとお約束のフレーズを返したくなるのだが、状況が状況なので自嘲だ。
「……そ、そんなことでいいんですか?」
「そんなこともなにも、俺にとっては一応、深刻な問題なんだよ。何でもするって言ったんだ、やってくれるんだろ?」
対する少女は、やっぱりというかもっといろいろ深刻なことを考えていたらしい。俺の提案のあまりの簡単さに、土下座も忘れて、宝石のような緑色の瞳を見開き、呆然とこちらを見やっていたが、俺の言葉にはっとしたかと思えば、次の瞬間にはぱっと明るい笑顔を浮かべた。
「勿論です! このセレネ、責任をもって案内させていただきます!」
先ほどまでとは打って変わって、とても快活で柔和な笑みを浮かべる少女が、少し形を崩した、可愛らしい敬礼をして見せる。
思わず見惚れてしまいそうな笑顔を見ながら、俺は内心「悪い出会いでもなかったみたいだな」と、静かに苦笑をもらした。
「……っと、自己紹介が遅れました。私は「セレネ・アルディアナ」です。良ければ、あなたの名前も教えてもらえませんか?」
直後、彼女――セレネと名乗る少女にそう問われて、少しばかり俺は考え込む。
本来ならば、こういう時は自分の本名を――現実世界で使っていた名前を名乗るべきだろう。けれども、今の俺の姿形はアステルのもの。加えて、ステータスに表示されている名前もまた、俺が名付けたアステルのものだった。
どちらの名前を名乗るか……と考えかけて、俺は内心でかぶりを振る。
「あぁ。――――俺はアステル。「アステル・シュトラール」だ。君の好きに呼んでくれ」
この身体がアステルで、ステータスに記された名もアステル。ならば、そうなった俺が名乗るべき名前はこの、「煌めく星」と言う名前ただ一つだ。
正直なところ、自分の名前があまり好きじゃない、と言うのも理由の一つではある。だが何より、俺の姿形がこうあるというのならば、俺は「アステル」という一人の人間として、生きるべきなのだろう。
……そこまで考えて思ったが、この世界が夢の中のものだという可能性も捨てきれてはいない。それでも俺がここまで順応し、「この世界で生きること」を主軸に考えているのは、それだけ俺の中での「現実」の比重が、エタフロに――エタフロとよく似たこの世界に傾いていることの、紛れもない証左なのだろう。
「アステルさん、ですね。では、少しの間宜しくお願いします、アステルさん!」
何より、いましがた経験したすべての出来事を――歩き、逃げまどい、戦い、話した、すべての経験を、夢だと断じて切り捨てたくなかった。
もしこれが本当に夢だったなら、起きた後で散々笑って、後悔すればいい。
だからとりあえず、今は今を楽しむことを考えよう。この世界を「新しい現実」として受け止めて、この世界で生きていくために。
***
「ここから一番近いのは、私が滞在している「ルクリット」の町です。一時間ぐらいで着くので、まずはそこまで案内しますね」
「分かった、頼む。……そういえば、セレネはやっぱりあいつらの退治に来てたのか?」
お互いに自己紹介を終え、ひと時の仲間として握手を交わした俺たちは、セレネが言う「ルクリットの町」を目指して移動を始めた。その道すがら、セレネがここに居た理由を聞いてみると、返ってきたのは案の定な答えだった。
セレネ曰く、ここは件のルクリットの町からほど近い場所にある森林地帯で、彼女は町で依頼を受け、山賊――先ほどの男が率いていた一味を討伐するために、ここにやってきていたのだそうだ。なんでも、件の山賊は小規模ながらも活動範囲が広く、ルクリットの町を利用する人間たちにも、看過できない影響を与えていたらしい。
「本当は、私のことを保護してくれている人がするべき仕事だったんです。でもその人は今、別件で手を離せなくって。なので、見習いである私が代わりに討伐に来たんです」
「なるほどな。……ん、保護してくれている?」
終始朗らかな表情の彼女の話を聞いていると、引っかかる言い回しを耳にする。
「あぁ。実は私、行き倒れてたみたいなんです」
「……は?」
聞き返してみると、セレネは本当に何でもないように、さらりととんでもないことを言ってのけた。二の句を次げなくなった俺をしり目に、彼女は快活な表情を崩さないまま続ける。
「その人曰く、この森からほど近いところにある小さな遺跡で倒れているところを、恩人であるその人が見つけて、助けてくださったんだそうです。優しい方なので、もしかしたらアステルさんのことも助けてくれるかもしれませんね!」
話ぶりから見て取る限り、どうやら彼女自身は行き倒れていたことに関して特に何か思うところはないようだ。わざわざほじくり返すような話でもないし、本人が気にしていない以上、こちらも極力気にしないことにしよう。
「ん……そうか。じゃあ、まずはその人を頼ってみたいな。セレネを通して話したいんだけど、大丈夫か?」
「はい、大丈夫ですよ。じゃあ、ルクリットに着いたらまずはそこに行きましょうか」
***
「……おぉ、おぉーっ!!」
それから少し歩けば、俺たちはすぐに森から脱出することができた。直後、眼前に広がった光景に、思わず俺は歓声を上げる。
抜けるような青に染まった空と、日光に照らされて香る若草が広がる草原。何処までも伸びる平原の奥にそびえる切り立った山々と、青の天蓋に小さく映り込む、翼を広げたシルエットたち。
かつてエタフロが稼働していた頃、公式サイトに掲載されていたコンセプトアートと全く同じ風景が、雄大なパノラマを以てそこに描いていた。
隣にセレネが居ることも忘れて、ファンタジックなその光景に食い入る。現代の世界ではまずもってお目にかかることはできないであろう、自然あふれるその光景は、感動の叫びをあげるには充分すぎるほどの絶景だった。
「ルクリア草原、いつ見ても綺麗ですよね! アステルさんが感動するのわかります。私も、ここからの眺めはすごく好きなんです!」
「あぁ……これは、なんというか感動しちゃうな」
はにかむ彼女の言葉を聞いて、思わず手放しで首肯する。今の俺の胸中は、デザイナーが手掛けたイラストでしか見れない風景を、実際にこの目で見られるなんて……という感動でいっぱいだった。
「あっちに見える、肌色っぽいものが見えますか? あれが、ルクリットの町ですよ」
セレネに手を引かれて、俺は歩き出す。絶景に気を取られていたが、視界を回せば確かにレンガ造りの大きな構造物が見える。セレネの言葉を加味すれば、あれは恐らく街を守るための外壁なのだろう。見たところ、規模もそれなりに大きそうだ。
「ここからの眺めも綺麗ですけど、ルクリットの町もすっごくきれいなんですよ! まだ日も高いですから、暗くならないうちに町に入っちゃいましょう」
「それもそうだな。じゃ、行こうか」
ココからの景観がこれほど直球にファンタジーならば、街並みの方もさぞかしファンタジーなんだろう。
はたして、モニタの中で見慣れた光景は現実になって表れてくれるのだろうか……という淡い期待を、自然につりあがった口角に宿しながら、俺はセレネと連れ立ってルクリットの町を目指して歩いて行った。